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2005年9月17日(土曜)武蔵小山編・豆腐屋の音 「商店街のある街」として有名な武蔵小山にやってきました。 武蔵小山へは、目黒から東急目黒線で2駅。 目黒線は5年前から、南北線〜埼玉高速線の浦和三園、 三田線・西高島平から、東横線の武蔵小杉まで直通運転を行っているため、 東急・東京メトロ・都営・埼玉高速の4種類の車両がやってきます。 右の画像は、都営三田線からの直通列車が着いたところです。 昭和22年にスタートした武蔵小山の象徴、商店街「パルム」。 全長800メートルにわたる巨大アーケードは、街自体が買い物のテーマパークと 言っても過言ではないくらいの充実した商店街です。もちろん、いつも多くの人で賑わっています。 ※「武蔵小山商店街パルム」ホームページ http://www.t3.rim.or.jp/~palm/ 今回は、この武蔵小山界隈で、地元の方にはおなじみの「ある人」にスポットを当てます。 ◆豆腐屋のラッパの音@ 実はこの武蔵小山には、まだまだ「ラッパ」を鳴らしてリヤカーを引きながら、 豆腐を売りに来る人がいるんです。その人とは、品川区荏原4丁目で、80年にわたって 豆腐屋を営んでいる「並木豆腐店」2代目の並木光雄さん。 並木さんは、昭和8年生まれで、18歳だった昭和26年、 父の跡を継いで豆腐屋になりました。既にこの道、54年という職人なんですね。 「パー!」と音が聞こえると、ご近所さんが続々と並木さんの下へ…。 地元の方に、深く愛されている様子が伺えます。 そもそも、豆腐は壊れやすく、日持ちがしないため、 豆腐屋さんが、家の近くで自転車やリヤカーで売るスタイルが主流でした。 しかし、昭和40年代から、スーパーマーケットが広まったり、 保存技術が上がることで、この販売形態は、衰退の一途。 同時に「ラッパの音」も、街の中から消えていくことになったわけです。 ◆豆腐屋のラッパの音A 並木さんのラッパは、40年も使っている年季の入ったもの。 真鍮製で30〜40センチといったところでしょうか。 一説には、この豆腐屋のラッパは「宮本ラッパ」というそうで、 足立区にあった「宮本喇叭(らっぱ)製作所」が、 豆腐屋用ラッパの多くを作っていたといいます。 しかし、ここの職人も、この世を去り、工場も廃業。 その後、新たに「豆腐屋用のラッパ」は作られることもなく、 現在、豆腐屋さんが大切に使っているラッパが、 現存する豆腐屋のラッパの「全て」なんだそうです。。 まだまだ、都内でに、場所によっては聴くことも出来る「豆腐屋のラッパの音」。 今のうちに、しっかり脳裏に焼きつけておきたい、いい音です。 |
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