6月26日(火)

『ボクサーの罪と罰』

今日は、あるボクサーが自ら科した「罪と罰」というお話です。
今年の4月9日、後楽園ホールで行われた日本スーパーバンタム級のタイトルマッチ10回戦・・・。
チャンピオンの(白井・具志堅ジム)山中大輔(やまなか だいすけ)選手にとっては、これが2度目の防衛戦でした。
相手は、(帝拳ジム)の下田昭文(しもだ あきふみ)選手。
WBCの世界ランキング、7位と9位の対戦という好カード。目の肥えたボクシングファンを熱狂させる豪快な乱打戦でした。しかし、このタイトルマッチを、判定で制したのは下田選手。山中大輔選手は、前チャンピオンとなってしまいました。負けた理由について、山中選手は振り返ります。
「練習は、これまでで一番やりました。
 けれど(オレはこれだけやったんだ!)という気持ちが、
 心のどこかに、油断を作ったのかも知れません」
   
王座から転落したボクサーの悔しさと無念さは、計り知れませんが、試合後の山中選手のとった行動は、意外にサバサバしたものでした。
高校卒業後、福岡・大宰府から東京へ出てきて苦節8年の26歳。残した戦績は、23勝(17KO)3敗・・・。
初めて練習や減量の苦しみから解放されて、
新宿で飲み、上野で遊び、東京タワーへも昇りました。
仲間と酒を酌み交わす席で飛び出したチャレンジ話。
「ふるさとの大宰府まで、買い物用自転車=ママチャリで走る!」引くに引けなくなった山中選手は、ペダルを漕ぎ始めていました。

九州の大宰府を目指して、ただひたすらペダルを漕ぐ、どこまでも漕ぐ!胸の中には、様々な想いが浮かんでは消えました。当てもなく東京へ出て、親戚の叔父さんのツテで、具志堅用高会長に、初めて会い(ああ、テレビに出てる人だなぁ)と思った日のこと。ジムに行き、自分で考えて練習するだけの孤独で厳しい練習生の日々。1年後のうれしいプロデビュー戦は、4ラウンドの判定勝ちでした。一戦を重ねるたびに思いました。(こんな苦しいことは、もうイヤだ!)
それでも、打たれたら打ち返す。前へ出て、とにかく手かずを出す。ファイタータイプの山中選手の戦いは、見る人を熱く感動させました。そして、去年6月17日のタイトルマッチ! 1ラウンドと5ラウンド、2回のダウンを奪いながら、フイニッシュを決められない山中選手に、コーナーの具志堅会長は叫びました。
「大輔! チャンピオンになったら長渕剛に会わせてやる!
チャンピオンになったら、あこがれの長渕に会えるんだぞ!」
(この人、何を言ってるんだろう?)・・・と思いながらも、大奮起!9ラウンド、テクニカルノックアウトで見事、日本チャンピオンのタイトルを獲得しました! そして、10月には、初防衛にも成功!その王座を失った今、これからどうする? これからどうなる?
そんな恐れや不安を忘れさせてくれたのは、ペダルをこぐ自分の前に現れる長い長い坂、降り続く冷たい雨、夜の寝床の心配などなど。
何よりも身にしみたのは、毎日のようにブログに届く言葉でした思いつきの身勝手のような行動に理解を示し、応援してくれる人たち。山中大輔の戦いを、もう一度見たいと待ってくれている人たちの想い。そして、あの敗戦の三日後、心筋梗塞で倒れた2歳年上のお兄さん。そのことを、ずっと隠していてくれた家族たち・・・。

山中選手の心の奥底では、一つの決心が固まっていました。
「リングの上で殴られようとケガをしようと、たとえ死んでしまおうと、何も怖くない。ただ・・・、負けることだけが怖かった。しかし、負けて引退するというのは、結局は「逃げ」じゃないのか?勝っても負けても、自分の終わりは自分で決めたい。」
「ボクサーにとって、負けることは罪! この罪をつぐなう罰として、俺は、一番やりたくないことをやろう! それは、ボクシングだ!」
5月28日月曜日のブログに、山中選手は、こう綴りました。
『更新遅れてすんません。 現役でもう一回やる! 
色々書きたいけどボクサーだからリングで見せる! 感謝!』
茶色だった髪を黒に戻して、時給950円のポスティングのアルバイトに汗を流しながら、山中選手の1からの戦いが、また始まっています。