6月5日(火)

『高認試験』

毎週月曜日の夕方、5時から7時くらいまでの2時間ほど、
新宿は歌舞伎町のコマ劇場前広場に立っている人がいます。
行方正太郎(なめかた しょうたろう)さん、47歳。
行方さんが掲げるキャンバス地の板には、こんな言葉が書かれています。
『教育で成り上がろう! 歌舞伎町から学者や医者を出そう!』
これは、歌舞伎町のホストクラブやキャバクラで働く若者に向けて、行方さんが個人的に開設している無料の教育相談所なのです。
現在の日本の高校進学率は98%・・・。
それでも、親が居なかった、家が非常に貧しかった、病気だった、引きこもりだった、不登校だった、矯正施設に入っていた〜などなど、さまざまな理由から、中学卒業や高校中退のまま社会へ出ている若者が、数%は、確実にいるのです。
「人間、学歴じゃない」「個性が大事」「ナンバーワンよりオンリーワン」「一度失敗しても、再チャレンジできる社会を!」それぞれ、理屈は間違っていないと、行方さんは言います。けれども、耳に心地いい謳(うた)い文句のウラに隠されている現実を、見過ごすことができない・・・それが行方さんの思いなのです。
高校を出ていないことによって、非常に限られてしまう職業の選択肢。入っていける世界も、出会いの場も、大きく制約されてしまう人たち。行方さんは彼らに、どうにかして学校へ行ってほしいと、様々な試行錯誤を重ねつつ20年間も、その教育に力を尽くしてきた人です。
彼らに目指してほしいのは、高校卒業認定試験。いわゆる高認試験。全部で8科目あるこの試験を、何回かに分けて少しずつ取って行けば、未来が広がる! 大学にだって行ける!
行方さんのこんな信念は、すさまじい人生体験から生まれています。

行方正太郎(しょうたろう)さんは、昭和35年、埼玉県上尾市のお生まれ。小学校に入るか入らないかの頃、母親が家から消えました。隣の家に住んでいた男性との失踪でした。プッツリ途絶えた母の記憶。弁当を持っていけない遠足や運動会の日は、自分だけパンを買うのが辛かったといいます。中学になると、毎日が弁当でした。学校からますます遠のいてしまう足。授業が分からない、友達もいない。何とか高校へは入れたものの、家でボーッとしている不登校の日々。
「学歴が無くても生きていけるほどの実力は、自分には無い!」こう気づいたとき、行方さんは独学で勉強を始めていました。一浪して、国立大学の教育学部へ。養護学級の教員課程を選びました。

ここで行方さんは、二度目の挫折を体験します。
平気でカンニングをする学生。安定してるから教師になるという学生。親が先生だから、自分も先生になるという学生。
ふと気づけば円形脱毛症で、引きこもりになっている自分がいました。たった一つの救いは、音楽でした。バンドに参加し、ドラムを叩き、8年かけて大学を卒業しました。

赴任したのは、国立の養護学校。ここに三度目の挫折が待っていました。知的障害児に繰り返される肉体的・精神的な暴力。証拠をそろえて、それを新聞社に告発した途端、仲間の教師ばかりか、虐待を受けていた生徒の親までもが、手のひらを返したように、学校側に付いて、行方さんは一人ぼっちになってしまいました。

母親、友だち、学校の同僚・・・さまざまな人に裏切られ、失望し、行方さんに残された道は、個人的な塾を開くことだけでした。不登校や引きこもりの若者の気持ちを、嫌というほど思い知っているので、その教育方法はユニークでした。
貸しスタジオに連れ出して、ドラムを叩かせる。スカイダイビングやスキューバダイビングに挑戦させる。合コン、お見合いパーティー、風俗店にまで連れて行く。生徒たちだけでグァム旅行にも行かせました。
行政も企業も誰も助けてくれない孤軍奮闘。やがて資金は底をついて、数千万円の借金を負い、死まで考えたのは、7〜8年前のことです。それでも、裸の心で、生徒に接することをあきらめなかった行方さん。3年間引きこもりだったT君は、外へ履いていく靴がありませんでした。目を合わせてくれるまで1年半かかりました。少しずつ勉強を重ねて、
昨年の夏、高認試験に合格! 
そしてこの春、帝京大学に合格!
「先生・・・受かってました!」
それは、行方さんが初めて見るT君の笑顔でした。

以前、このコーナーでご紹介した、
児童養護施設を巣立った方たちのサークル「日向ぼっこ」では、今日の行方正太郎(しょうたろう)さんをボランティア講師に迎えて、毎週火曜日の夕方5時半から7時半の2時間
高卒認定試験無料学習会を行っています。
お問い合わせは、
[hinatabokko@yogo-shisetsu.info]
までどうぞ。