6月4日(月)

『あいりん地区を変えた男性の熱意』

大阪市西成区、通称「あいりん地区」。
この地域は、建設関係の労働者が多く集まる場所として
知られます。簡易宿泊所などの「宿(やど)」が建ち並ぶ
「ドヤ街」でもあるこの地域に、今、
新しい形の「住まい」が生まれて話題となっています。
それは「サポーティブハウス」と呼ばれるもので、
主に65歳以上の高齢者や、病気やケガなどで働けない人に、
「定住」するための場所を提供する事業です。

最初に作ったのは、『アプリシェイトグループ』の山田和英
さんです。山田さんは、明治から100年以上も続く
「宿泊所」を経営してきた家系の4代目です。きっかけと
なったのは、1997年ごろから始まった建設不況でした。
経営する簡易宿泊所で自殺や餓死者が増え始め…
街には、行き倒れて亡くなる人の数が急増、「あいりん
地区」には、毎日必ず路上で亡くなった人が収容される、
そんな異常な事態が起きたのです。
山田さんは、急いで対策を立てる必要がある!と、大阪市に
陳情を行います。しかし、行政が思い腰を上げることは
ありませんでした。陳情を行った98年ごろには
3000人程度だった路上生活者=ホームレスの数は、
ほとんど対策が行われなかった1年間に、8000人を
数えるまでになっていました。

もう、大阪市や大阪府が動くのを待っている時間はない!
山田さんは、日本の経済成長を土台の部分で支えてきた
「功労者」が見捨てられ、路の上で冷たくなって死んで
いく…その状況は自分の手で変えるしかない!そう考え
作ったのが、「サポーティブハウス」だったのです。
2000年6月、第1号を開業します。
名前にある「サポーティブ」とは、生活支援の意味。
ただ部屋を貸すのではなく、お金の管理や薬を飲む習慣を
手助けするなど、日常生活のサポートもします。
問題の家賃ですが…これは、基本的には「生活保護」と
併せて支給される「住宅扶助」から支払ってもらいます。

これはあくまでも「利益を上げなければいけない会社の
事業」です。山田さんがあえてNPOや社会福祉法人に
しなかったのには理由がありました。
山田さんは、こう説明します。
「入居者とは契約関係。タダやってあげているのとは
まったく違う。だから、その方が亡くなるまで…
責任を持ってサービスさせて頂きますという気持ちに
自然となる。そして何より、寄付や援助ではなく
事業なので、自分たちが頑張れば、途中で資金が途絶える
ことはなく、サービスを継続して行うことが出来るのです」

現在では、6棟の「サポーティブハウス」に
700人以上の方が「定住」しています。
同じような「サービス」を開業する別な会社も登場して、
結果、あいりん地区から高齢の「路上生活者」は激減したと
いいます。
それでも、先駆者となったはずの山田さんは、
今でも葛藤する日々だといいます。行政から支給される
お金で商売をすることへの批判を耳にすると、やはり、
悩むそうです。しかし…自分のやっていることには意味が
ある、そんな出来事に出会うことで、信念を曲げずに
いられるとも言います。
山田さんはいいます。『孤独な人が多いあいりん地区の
労働者に家族の絆が戻ること…それが、何よりもやっていて
うれしいことです。みんな同じ人間なんですから』。

山田さんが運営する「サポーティブハウス」では、
着の身、着のままで入居する方が多く…洋服が足りない人が
多い。そこで…家に、もう着なくなったいらない洋服の
ある方、ぜひ送って頂けると助かります、とのことでした。

<送り先の住所>
〒557の0002 大阪府大阪市西成区太子2の2の16
アプリシェイトグループ 古着支援の係まで