5月1日(火)

『ボクサーを撮る男』

ゴールデンウイークの映画が、シノギを削っているようですね。トップが「名探偵コナン」、次いで「クレヨンしんちゃん」アニメが強い。続いて、大ベストセラーを映画化した「東京タワー」・・・。『ロッキー ザ ファイナル』も、ベスト4内で奮闘しています。「ロッキー」は、30年の映画。その第6弾にしてこの強さ。やっぱり「闘う男」の生きざまや極限状態の姿というのは、いつの時代にも、人の胸を打つものなんでしょうね。

今日ご紹介するのは、ボクサーを10年間も撮り続けているカメラマン、林建次さんという方のお話です。林さんは現在、36歳。どちらかというと、ショーアップされた「ロッキー」よりも、「あしたのジョー」の方が好みで、「矢吹丈」について語り始めたら、まず1時間は、話が止まらないそうです。

林さんは、先週からタイに行ってらっしゃいました。ゆうべ帰国。もちろん、ボクシングの試合を撮りに行かれたんですね。今回の目的は、大嶋記胤(おおしまのりつぐ)という選手の試合。実は、大嶋選手には、日本のリングに上がれない事情があります。道をあやまった少年時代、全身に総刺青を入れてしまった。皮膚を移植して消そうにも、全身に入っているので使える皮膚が無い。大嶋選手に残された道は、タイでのプロデビューでした。昨年9月に行われたデビュー戦は、見事2ラウンドKO勝ち!そして、先週の第2戦の結果は・・・・4ラウンドKO勝ち!林 建次さんのカメラは、この瞬間を完璧に捉えたことでしょう。そのシャッターは、指ではなく歯で噛むことによって切られるんです。

林 建次さんは、昭和45年、神戸に生まれました。
カメラというものに興味を感じたのは、家によく遊びに来た叔父さんの影響でした。叔父さんは、カネミ油症など公害病患者の惨状を告発する社会派のカメラマン。ズッシリと重い、黒光りのするプロ用のカメラをこっそりと手にとってみるたび、林少年の胸は、ときめきました。東京の写真スタジオに、撮影助手として入ったのは、22歳のとき。照明のセッティング、露出の計測、フイルム交換、毎日が雑用ばかり。
しかも、被写体はニッコリ微笑むタレントさんやモデルさんだけ。「何かこれ、オレのやりたかった事と、違うだろう?」こんな迷いを抱きながら1年が過ぎた頃、林さんは夕暮れの環八で、オートバイ事故を起こしてしまいます。放り出されて宙を舞った体。背骨から出ている8本の大切な神経のうち、2本が断裂。重症でした。首、背中、腕にかけての猛烈な痛みとの戦いが始まりました。睡眠薬は効き目なく、モルヒネも吐いてしまうので使えない。起きられない、動けない。幾晩も、眠れない夜が続きました。「右手の機能の回復の見込みなし」という診断が下ったときも、そのショックを感じることができないほどの痛みでした。腕への神経の移植、肩への骨の移植。3度の手術と4度の入退院を繰り返し、右腕がやっと胸まで上がるようになったのが26歳のとき。林さんは、痛みをかかえたまま写真の現場に戻っていきました。今度こそ好きなものを撮りたい・・・「ボクサーを撮りたいんです」と、板橋の古口(こぐち)ボクシングジムに飛び込むと、会長は快く承諾。重い機材を抱えてのジム通いが、それほど苦痛に思えなかったのは、ボクサーたちから伝わってくる気迫、執念、孤独、恐怖、そして痛み、そうしたものと自分の痛みを重ね合わせることができたからでしょう。試合が近づくと共に痩せていくボクサーの体。鋭さを増していく眼光。カメラをお腹にくくり付けて、左手でシャッターを切ったものの、なかなかうまく撮れない焦りの中で、林さんは(レリーズ)というコードでつないだ遠隔操作用のシャッターに目を向けます。(そうか、左手でカメラを構えて、これを噛めばいいんだ!)シャツのボタンを接着剤でシャッターに貼り付け、そこに歯を当てて噛む! 思い通りのタイミングで、シャッターが切れました。一度関わったボクサーは、引退まで撮り続けるという林 建次さん。
「命がけでリングに上がる彼らと、一緒に闘う気持ちで撮っているうち、 ボク自身が変われた。それが大きいんです」ファインダーの向こう側とこちら側、二つの熱い夢の焦点は今、ひとつに重なり合っています。

★ 林 建次さんの写真集の準備が、ただ今進行中です。
  おそらく夏ころには、「A‐Works」という会社から
  出版されます。

★ 林さんの写真には、8年前、一緒に事務所を立ち上げたラ  イター、伊藤史織さんの文章が添えられています。
  ご覧になり方は、全部カタカナで「オフィスミギ       と入れて、検索すると「オフィスミギ」のブログが
   出てきます。それを開いて、ホームページの入り口を
   クリックすると、林 建次さんのギャラリーと伊藤さんの文章をご覧になれます。

★ お送りした曲は、(ウルフルズ)の「サムライ ソウル」・・・。
2001年、林 建次さんが初めて写真展を開いた
大阪の「カンテ グランデ」というインドカフェ。
このお店のアルバイト仲間で結成されたのが、
(ウルフルズ)だそうです。林さんは、この歌詞の中に、ボクサーのみなさんを、
イメージするんだそうです。