3月9日(金)

『東京大空襲』

3月10日・・・明日は「東京大空襲の日」です。
昭和20年の今日、3月9日の夜、10時30分。空襲警報が発令!
2機のB29は、間もなく房総沖に飛び去ったので警報は解除。
庶民がホッとして眠りに付いた真夜中の午前0時8分、
空襲警報も出ないまま、1発目の焼夷弾が投下されました。
東京上空に飛んできた300数十機のB29は、ここから2時間半、
江東区・墨田区・台東区一帯に、おびただしい焼夷弾の雨を降らせ、
超低空飛行から逃げ惑う庶民たちに機銃掃射を浴びせかけました。
一般市民を狙ったこの無差別爆撃で、火の海に飲まれて亡くなった方は
8万人から10万人。焼失家屋、およそ27万8千戸。
東京の3分の1以上が焼けて、100万人もの人が家を失いました。

戦後62年、東京大空襲を語り継げる方も、年々少なくなっていますが、
今年も様々なところで、その活動が粘り強く引き継がれています。
浅草オレンジ通りと伝法院通りが交わる所にある浅草公会堂。
毎年、このギャラリーで開かれる「東京大空襲資料展」もその一つ。
今年、ここには一枚の大きな絵が展示してあります。
タイトルは『3月10日 報われぬ犠牲』・・・。
赤ん坊の上に覆いかぶさって、真っ赤な炎からわが子を守ろうとする
母親の姿です。その髪の毛はすでに燃え尽きて丸坊主。
母親の背中一面と両腕は、赤く焼けただれています。
この絵を描いたのは当時、葛飾区の青砥(あおと)に住んでいた、
吉野山隆英(よしのやま たかひで)さん、76歳。
看板業を営む吉野山さんが「あの日のことを描こう」と決心して、
筆をとるまでには、半世紀以上の時間が必要でした。

昭和20年、吉野山隆英(よしのやま たかひで)さんは、
4月から墨田区の本所工業学校の2年生になろうとする15歳でした。
大空襲の翌朝、青砥の家からまだ燃えている下町方面の空を見ながら、
学校のそばに住む友達のことが心配でたまりませんでした。
母親が握ってくれた麦飯のおにぎりとサツマイモを腰に巻いて、
「オレ、学校を見てくる」と、家を出ました。
四つ木の鉄橋を渡って、線路の上を行こうと思っていたのですが、
枕木がマキのように燃えていたので、曳舟川に沿って走りました。
できるだけ周りの光景を見ないようにして、一目散に走りました。
「学校だ! 学校が残っている!」
喜んで裏門から飛び込んだ吉野山さんが最初に目にしたもの!
それは階段の上に、ひな人形のようにズラリと並んだ負傷者たち。
真っ黒にすすけた顔、包帯をグルグル巻きにした子どももいます。
その目にいっせいに見つめられ、足がすくんで動けなくなりました。
「吉野山、地下室へ行ってくれ!」
先生の声に我に帰って向かった地下室には、ロウソクが灯り、
その闇の向こうから聞こえる沢山のうめき声、泣きわめく声、
それを励ます家族の声・・・。あまりにも恐ろしい地獄絵図。
まだ15歳の吉野山さんは、その場にへたり込んでしまいました。
そして、持ってきたおにぎりとサツマイモを、その場に置くと、
地下室からそっと逃げ出してしまったのです。
帰り道、吉野山さんは、弱い自分を激しく責めながら思いました。
「よし! せめて、この光景を、しっかり見届けてやる!」
伏せていた顔を上げると、次々に焼死体が目に飛び込んできました。
焼け残ったビルの入り口に殺到して、2階のあたりまで折り重なって
焼かれた人々。それを「トビくち」の金具に引っ掛けて、トラックに
積み込む兵隊たち。吉野山さんが手伝おうと素手で遺体をつかむと、
焼けただれた皮膚が、ズルっとむけました。心の中で叫びました。
「食べるものも食べず、正義の日本の勝利だけを信じていた人たちが
 どうしてこんな姿になってしまうんだ!」
おそらく同じビルに避難しようとしたのでしょう。
途中で息絶えた赤ん坊と母親の遺体を見つけたのは、このときでした。
母親は、赤ん坊をお腹の側にくくりつけ、地面を這いながら逃げたのでしょう。
両手の指先に、吹き出た血が黒く固まって残っていました。
母親は避難訓練で教えられた通り、一つも間違ったことはしていない。
なのに、赤ん坊も自分も救われることなどなかったのです。
吉野山さんは今も、この日の様々な光景を夢に見るといいます。
「記録のためだ」と人に勧められて、やっと筆を手にしたものの、
あのむごたらしさを、どうしても有りのままには再現できず、
作品に描いた赤ん坊の目は、見開いたままにしました。
そばに哺乳瓶を描いたのも、吉野山さんの気持ちです。
醜くただれていた母親の背中は、不動明王の炎で包みました。

吉野山さんは言います。
「今の日本が、こんなふうになってしまったのは、
「時代が違うよ」と言われるまま(そうかなぁ)と思ってきた
我々年寄りの責任。私らの生き方も悪かったんですよね。
だけど今、殺されたっていいから、大きな声で本当の事を言いたい。
 正義の戦いなんて、ないんです。」