10月6日(金)

『ゾウのはな子』

ゾウのはな子が、タイから日本にやって来たのは昭和24年9月。戦争で猛獣が処分された日本の動物園に戦後初めてやってきたゾウでした。ゾウは、戦後の平和のシンボルとして大歓迎を受けますが、ある夜、ゾウ舎に忍び込んだ酔っ払いを踏み潰すという事故を起こしてしまいます。次いで数年後、今度は飼育員が同じ事故に遭います。はな子に付けられたのは「殺人ゾウ」のレッテル。はな子は、4本の足を鎖でつながれて、暗いゾウ舎に押し込まれます。「このゾウの鎖を解きましょう」・・・そう言ったのは新任の飼育員だった山川清蔵さん、30歳。山川さんは徹底的にはな子に語りかけ、その体に触れるという飼育法を選びました。家庭も顧みず、四六時中仕事、仕事。息子の宏治さんは、父親と旅をしたこともキャッチボールをしたこともありません。清蔵さんのこんな努力が実って、はな子はふたたび、運動場に出られるゾウになりました。心無い客から「殺人ゾウ!」と、罵声を浴びせられたり石をぶつけられたり、そんなときもジッと黙って
はな子に寄り添う清蔵さんの姿がありました。こうして30年、はな子を愛しぬいた清蔵さんの体は、がんに蝕まれていました。そして、平成7年66歳で永眠。その2年後に、はな子の飼育係りになった宏治さんは、このたび父親の思い出を
一冊の本にまとめました。現代書林から出た「父が愛したゾウのはな子」・・・。浩治さんは言います。「ボクははな」子を通して、亡き父を知り、亡き父と語らっているんです。