4月12日(月)

『9時のサプライズ』

今年の2月23日,沖縄で一人の大学生が亡くなりました。
それは海の事故でした。
その日、,琉球大学医学部「ウィンド・サーフィン部」の
学生10人は、沖縄県中城村の沖合いで、ウィンド・サーフィンの
練習をしていました。
午後になって風が強くなり、練習は中止。
部員達はそれぞれ海から上がってきました。
ところが、男女二人の部員が海に取り残され、
強風に流され始めます。
それを知った3年生の藤倉久太郎さんが,救命胴衣を手に
果敢にも一人で沖へと向かいました。
3時間近くも海を探し、まず女子部員を発見します。
この女子部員は1時間後、自力で岸へとたどり着きました。
そしてもう一人の遭難者である男子部員も発見します。
しかし、すでに海は闇の底に沈み始め、うねりも大きく、
このまま海岸に向かうのは危険だと判断します。
藤倉さんが岩場にボードをくくりつけ、それに二人でしがみつき
夜明けと救助を待ちました。
ところが、次の日の朝,大きな波がそんな二人を飲み込みます。
藤倉さんに助けられた男子部員は,ボードにしがみついている
ところを救助されましたが…、皮肉にも,藤倉さんだけが
冷たくなって海に浮かんでいるところを発見されたのです。
自らの命と引き換えに,二人の命を救った藤倉さんは、
34歳の大学生でした。
一度別な大学を卒業して、自動車メーカーに勤めた経験を持ちます。
しかし、「一人でも多くの命を救いたい」…
そんな医師になる夢を捨てられず、医学部に入りなおしたのです。
責任感が人一倍強く、後輩にも慕われる学生だったといいます。
連絡を受けたこの勇敢な医学生の父親は、横浜の実家から
駆けつけ、冷たくなった我が子と対面しました。
このときの言葉を,その場に立ち会った誰もが鮮明に記憶しています。
「息子が人を助けて自分の命を落としたと聞いて、安心しました。
 皆さんは息子の分まで立派なお医者さんになってください。」
サークルの顧問を務める教授は、この言葉が,心乱し
大きな混乱に陥る学生達を、どれだけ助けたか分からないと話します。
葬儀に参列した指導教官はこんな話をしてくれました。
「子供を亡くし、さぞかし無念だったでしょう。
 身を切られるような思いだったに違いありません。
 それでもお父様は、最後まで気丈にふるまっていらっしゃいまし た。人の命を救いたいと医師を志した息子が
 二つの命を救って死んだ。息子は本懐を遂げたのだ…。
 そんな子供を誇りに思う親の心を,感じ取る事が出来ました。」