3月17日(水)

『9時のサプライズ』

時代と共に数が少なくなって、見かけなくなったもの、
銭湯、駄菓子屋さん、風呂桶屋さん…
そして全盛期には日本全国に260軒あったストリップ劇場も
年々減って、今は100軒を切っているそうです。
ストリップ劇場というと、白い目で見る人もいますが、
実は、数多くの喜劇人を生み出しています。
渥美清、由利徹、コント55号、ツー・ビート
コント赤信号、ウッチャンナンチャンも、ダチョウ倶楽部も
ストリップ劇場のステージで芸を磨きました。
その昔は「ストリップ芸人」と呼ばれる、司会、コントを担当し、
ストリッパーを魅力的に紹介する芸人が
ひとつの劇場に、ひとりやふたりいました。
ところが、劇場が減るにつれて、ストリップ芸人も減って
いまではとうとう、一人になってしまいました。
「日本最後のストリップ芸人」と名乗るのが、「松本格子戸」さんです。松本幸四郎さんではなく、歌舞伎が好きで本名が松本ということから、開けたらすぐ閉められる格子戸みたいな芸人だから、
松本格子戸…。
彼は、36年前、京都の「DX東寺」というストリップ劇場の
楽屋で生まれました。
母は踊り子で、臨月を迎えても舞台へ上がっており、
全国のストリップ劇場の楽屋が、我が家のようなものでした。
松本格子戸さんはなるべくしてなったストリップ芸人と言えるわけです。
初舞台は19才、最初の一、二年は酔っ払ったお客に
「へたくそ!帰れ!」とやじられ、「なんで出て来るんだ」と
コップ酒の瓶を投げつけられる事も良くありました。
さらに、バブル崩壊と共に、古きよき時代のストリップ劇場が
次々と姿を消していきました。
入場料だけでは、劇場の経営が成り立たず、今ではほとんどの劇場が踊りよりもポラロイド写真の撮影会を売り物にするようになっていきました。
そんな中、昔ながらのストリップにこだわっているのが
松本格子戸さんのホームグラウンドといえる
埼玉県の大宮駅東口にある「ショーアップ大宮劇場」です。
今日もお昼の12時から松本格子戸さんの名司会で
踊り子さんがカクテルライトに浮かぶステージに上がっています。