12月24日(水)
『9時のサプライズ』 今年もニッポン放送では12月24日クリスマス・イブの正午〜 翌25日クリスマスの正午まで、目の不自由な方へ 音の出る信号機 などを送るためのチャリティ番組 「第29回 ラジオ・チャリティ・ミュージックソン」を お送り致します。 この番組雅スタートしたのが1975年、今日は そのミュージックソンの誕生秘話をお届けします。 ミュージックソンの発案者、それは当時、ビートルズを 始めたくさんの海外アーティストを日本に招いて 数々のコンサートを成功させていた「キョードー東京」の 当時の社長、内野二朗さん。 アメリカで見たチャリティ番組の感動を日本でも とこのプランを持ち込んだ先、それがニッポン放送でした。 前代未聞の24時間チャリティ番組には様々な意見が上がりましたが パーソナリティを誰にするかが大きな問題でしたが、 当時視聴率男といわれた、萩本欽一さん、欽ちゃんでした。 欽ちゃんは、この話のオファーがあって、仕事を受けるかどうか かなり悩んだといいます。芸人として様々な制約を受けてしまいかねないこの仕事を受けると決めた欽ちゃんは、毎日の様に悩んだ結果、夜の歓楽街から姿を消し、この仕事を受けることにしました。 こうして1975年、昭和50年12月24日、快晴に恵まれたクリスマスイブの正午に、西銀座のニッポン放送サテライト・スタジオ前から 第1回<ラジオ・チャリティ・ミュージックソン>の産声が上がりました。世界的なトランペッター、ニニ・ロッソさんのファンファーレ、欽ちゃんのタイトルコール、募金の呼びかけ、100人の ボランティアの皆さんが待ち構えるニッポン放送第一スタジオ の電話がいっせいに鳴り響きました。 募金第一号は、千葉県の主婦の方、金額は2000円。 24時間の熱いドラマが始まりました。 次々に募金を持った方々が集まり、欽ちゃんの募金箱は あっという間に重くなっていきました。 <人の心の温かさ><人間の優しさ>を実感した 欽ちゃんはミュージックソンが終わってこう漏らしたそうです。 (よかった…こんな素晴らしい仕事を断らなくて、本当によかった…) あれから二十八年…次々に引き継がれた感動のバトンは 今年、メイン・パーソナリティーのイルカさんに手渡されます。 『きずな、聞こえますか』を合言葉に 来年の1月31日まで募金が行われます。 今年はどんな出会いがあって、どんな感動が生まれるのか。 みなさんのご協力をお願い致します。
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