須田慎一郎のニュースアウトサイダー

2017.06.14

元日本共産党議員から見た、現在の共産党

左派から右派に変わった経緯を持つ、風変わりな元議員

東島)今日のゲストは、元日本共産党ナンバー4の、筆坂英世さんです。

筆坂)よろしくお願いします。

須田)いま聞いたら、元は「ナンバー4」だったのですか?

筆坂)いや、これは週刊誌がつけたアレでね。
僕は、共産党という組織は本来ナンバー2も3もいないと思っています。ナンバー1だけ。あとは一緒。僕は政策委員長をやっていたから、他党で言えば政調会長とか政審会長なので、4番目くらいかな、と。党首、幹事長、総務会長と、いろいろいますよね。だから、「ナンバー3」と言っても良いんですよ? ハハハ。

須田)とは言ってもお偉いさんということなので、プロフィールをご紹介いただけますか。

東島)ご紹介します。筆坂さんは1948年兵庫県のお生まれです。高校卒業後三和銀行(現三菱東京UFJ銀行)に就職。18歳で日本共産党に入党し、25歳で銀行を退職。国会議員秘書を経て、1995年に、参議院議員に初当選。政策委員長となるも、2005年7月に離党。現在は保守派の論客として活躍されています。

須田)共産党の、まさに中枢中の中枢にいた人、ということですが。出世街道まっしぐらみたいな感じだったのが、そもそもなぜ共産党を辞めてしまったんですか?

筆坂)共産党にいる存在理由が、そもそも無くなったんです。僕は失脚して、仕事も何もなくなったんです。党本部にはいたけど。仕事が何もないところにいても、しょうがないですからね。それで、給料をただでもらっているだけで、意味がないんですよ。人間として。それでこれは「辞めよう」と。何とかなるだろうと。……なかなかなりませんでしたけどね(笑)

須田)そういったとき、「おまえはもう辞めろ」とは言われないのですか?

筆坂)言われなかったです。言われなかったけれど、引き留めもされなかったです。

須田)それと、驚くべきことに先ほどのプロフィールを伺っていると、それまでの「左から右へ路線変更した」と。何で変わっちゃったんですか?

筆坂)僕は18歳で共産党に入ったでしょう? ハッキリ言って何も知らないで入っているわけです。社会のことも歴史のことも何も知らないで。そして、ただ共産党の掟だけをずっと自分にたたき込んでいたんですよ。だから僕は辞めようと思ったときに一番思ったのは、「自分は日本の歴史を知らない」と。

須田)そうなんですか? テレビでご一緒したけど、よく知っているじゃないですか。

筆坂)いや、それはね、すごくそう思ったんです。要するに、「共産党からみた歴史」でしか無いわけです。やはりもっと、幅広い歴史観を持たなきゃダメだと思って、まあいろいろな本を読みました。たとえば、「この本を読んでいたら共産党に入ってなかったな」と思う本があってね。

須田)どんな本ですか?

筆坂)慶応大学の塾長だった小泉信三先生の「共産主義批判の常識」という。これはホントに名著だと思うんですが、あるんですよ。これを読むと、共産主義というのがいかにおかしな理論か、克明に研究して書かれているんですよ。それを読んで、「なるほどな」とすごく思ったんです。まあ、それだけではないですけどね。だから、やはり18歳なんて、何も知らないんですよ。

須田)かつての全共闘世代ではないけれど、そういった18歳や20代前半の人たちというのは、その共産主義に対して、「甘美」と言ったらいいのですか? 甘い憧れみたいなものがやはりあったのでしょうか?

筆坂)僕が何で入ったかというと、18歳で高卒で三和銀行に入りました。当然、1番下っ端ですよね、高卒ですし。最初にやったのは集金の仕事です。当時は大阪の池田支店で最初働いていて。ダイハツ工業の本社があって、あるいは阪急バスとかね。いろいろ大きなお店があって。そういうところの集金。軽自動車に乗ってね。そうすると、つまらないわけですよ。「俺の人生って人の金勘定して、ソロバン置いて終わるのか」と。もうね、本当にむなしいわけですよ。「俺は何のためにこの世に生を持ったんだ、俺は本当に必要な人間なのか」と。そういう思いがもの凄く強かったんです。そういうときに、共産党の青年組織として「民青(民主青年同盟)」、ここの呼びかけと規約というのがあって。それを同じ共産党員……池田支店には共産党員が多かったんですよ。

須田)そうなんですか。

筆坂)共産党員の巣のような支店だったんですよ。それを読まされて、集金の途中に、「直に来るから」と言って軽自動車だから、止めて読んでいたんです。そしたら、趣旨にはこんなことが書いてあったんですよ。「今地球上の3分の1の人たちが、社会主義の元で暮らしている」と。「この世界は、資本主義から社会主義へ音を立てて変化している。これこそが社会進歩の方向なんだ」と。この「社会進歩の方向」を「スピードをもっと早く! それが君たち若者が主役なんだ」と。こう書いてあったんです。「何だ、俺は存在する意味が無いどころか、社会変化の主役なんだ!」と思ったものです。単純なもので、それがスッと入っちゃったんですよ。それで民青に入って。その後、続けざまに共産党に入った。

共産党は昔から若者に訴えかけるかで悪戦苦闘している

須田)どうなんですか? 今の共産党というのは、若い人たちに訴えかける力がというのは、まだあるんですか?

筆坂)無いです。もうとっくに無いです。私がいたときから、どうもここ30、いや40年と言って良いくらい、「どうやって若者を共産党に入れるか」というのを、いつの党大会でも主要議題なわけです。しかし答えは出てこないです。僕は無理だと思います。

須田)一方で、安保法制の審議が国会で始まって。国会の前を大量のデモの人たちが集まりましたよね。あのときにいろいろな団体が来たのだけれども、「やはり共産党の影響力が強いんじゃないか」と言われたグループ団体もありましたが、その辺の、ああいった若い人たちの動きと、共産党の連係プレイというのは、あったのでしょうか?

筆坂)あれはね、SEALDsという若者たちが集まって。アレ自体はそんなに大きな組織じゃないですよね。多分数十人とか、そんなものじゃないですか? これに共産党が乗っかったわけです。SEALDsを共産党の組織にしたのではない。SEALDsがやっているのは、やはり今までにない運動なわけですよ。若者が政治の問題でバンと目の前に出てくるというのは、それこそ70年安保以降は無かったと思います。だからみんなびっくりした。共産党もびっくりしたわけです。だから周りに老人が沢山いましたよ。あれはやはり共産党の人が多いと思います。

党名を頑なに変えようとしない理由

東島)党名を変えよう、という議論があると思うのですが、これはどうなんですか?

筆坂)今まで一貫して、「変えたらどうか」という人がいっぱい出てきました。私がいたときは共産党の支持者ですら言いました。「名前を変えたら、俺たちは周りにもっと支持を訴えやすい」と。そういうことを言う後援者の人もいっぱいいました。でも共産党は必ずこう言っていたんです。「名前は変えません」と。「政党が名前を変えるのは、過ちを犯したときだけだ」と。「我が日本共産党は過ちを犯していないのだから、変える必要はない」と。こう言ってきた。ところがね、若干の変化があるんです。

須田)どういうところですか?

筆坂)去年か今年に「サンデー毎日」で、志位委員長と、自由党の小沢一郎さんが対談しているんですよ。その中で党名変更のことが出てくる。それで、今までなら志位さんは「名前は変えません」と必ず言ったんです。ところが、言わなかった。「”アイデンティティ”は変えない」と言った。ということは、名前の変更に、ちょっと含みを持たせているんですよ。

須田)そういった流れの中で、野党共闘というのが出てきていますよね。かつては選挙というと、他の野党とは一線を画して、すべての選挙区でとりあえず候補者を立てよう、とガムシャラにやってきた。だけど、それをやらないというのは、やはり資金力に問題があったのでしょうか。

筆坂)資金力の問題も、ゼロではないかも分からないですね。毎回選挙区に全部立てると。今は少し変化したけどね。供託金だけでも大変ですよ。しかも没収される。だから「供託金募金」というのを共産党は選挙の前からやってきたのですよ。それくらい大変なのだけれど、ただ共産党が野党共闘でやる、というのは、共産党の元々の戦略なのですよ。

須田)あ、元々なんですか。

筆坂)そうです。それを共産党の言葉では「統一戦線」と言っていますけどね。統一戦線政策というのが、ずっと戦後そのことを言ってきているのです。ただし、今まではどの党にも相手にされなかったわけです。特に1980年に社会党と公明党が合意して「社交合意」というのをやって、共産党とは、絶対に国政段階での統一はやらないと決めて以降、30数年間、言ってみればどの野党とも共闘関係が出来ないで来たわけです。
ですから、僕は野党共闘になったとき、どんなに民進党が無茶な注文をしても、共産党は言うことを聞くと思っていました。なぜなら、もう離したくないからですよ。だって、統一戦線と言いながら、何十年も出来た試しがなかった。それが初めて、小さい野党とは言え、4党が統一したわけですから
。これは共産党にとっては夢が実現したような話なのです。

自由党の小沢代表は野党共闘の要である

須田)ただね? 連合をバックにしている、民進党、旧民主党ね。社会党の系譜も継いでいますから、それは分かる。あるいは社民も分かる。でも、自由党を小沢さんと一緒に手を組むというのは、全然理解できない。水と油じゃないのかと思うのですが、これはどういったことがあるんでしょうか?

筆坂)小沢さんが、実はこの野党共闘の要だと思っているんです。

須田)逆に要だと。

筆坂)今や小沢さん抜きに、共産党の野党共闘はないと思っています。それぐらい、小沢さんは今重要な役割を果たしている。ですから、今年の1月に共産党の党大会をやりました。そして、最初は小沢さんが来る予定はなくて、森裕子さんが来る予定になっていたのが、急遽小沢さんが来たのです。会場は騒然となりましたよ……喜びで。

須田)喜びで騒然ですか! そのメンタリティは何ですか?

筆坂)僕は思うんですよ。共産党というのは、僕も30数年いたけれど、ちょっと日陰にいるようなところがあったわけです。そこに、小沢一郎さんと言えば、自民党の大幹事長で。言ってみれば保守の超大物じゃないですか。この人と組めるというのは、日向に出ることができるということなんですよ! メジャーな存在になれるわけです!
だから、僕は、苦労してきた党員であればあるほどうれしかったと思う。「あの小沢一郎さんと選挙が出来る!」
とね。党大会が終わった後、新聞記者との懇談会で、志位委員長が、「今度の党大会はどうでしたか?」と言われて、「小沢さんが来たから100点満点」と言ったそうです。

須田)その辺は支援者も理解しているんですか?

筆坂)概ねそうだと思います。ただ、今やっているのは政権目指しての獲得選挙ではないですよね。野党4党が組んだところで、すぐに政権が取れるような選挙ではない。そうすると政策的に何もかも一緒でなくてもいけるわけですよ。いくつかの問題が一致すればね。だからそういう点では、そんなに矛盾無くやっていけると思いますよ。

須田)でもそういった中で、言ってみれば小沢さんは、自民や民主が捨てて、共産が拾って、息を吹き返した、という感じですかね。

筆坂)そうだと思います。だから小沢さんも共産党の存在はうんと大事だと思うのですよ。だって、志位さんはともかく、サンデー毎日のあれで見たって、「これからもよろしくお願いします! 政局のことは小沢さんがお詳しいのだからこれからも是非よろしく」と言っているわけです。それくらい頼りにしているわけですね。
それは小沢さんからすると、その共産党を率いて、民主党といろいろ交渉したり、打ち合わせしたりできるわけです。共産党の存在というのは、大きいと思います。自由党なんて、本当に小さいですからね。

共産党が目指すことと、これからのテーマ

須田)キャッチフレーズが「建設的野党」ということは、「集まっても与党になれない」ということを意味しますよね。小沢さんも与党になるのは諦めちゃったのですかね?

筆坂)共産党の党大会だったと思うのだけど、「野党連合政権構想」という言葉が出てくるでしょう。連合政権って、野党は連合政権を執っていないじゃないか!(笑)

須田)やっぱり与党になるのに抵抗があるんですかね? 共産党は。

筆坂)いや、そんなことはない。

須田)政権を執ろうと思っていますか?

筆坂)それは、どこまで本気で政権を執ろうと思っているかと言えばね、僕は、そんな本気じゃないですよ。本気になれないでしょう。今、参議院で、衆議院で増えたと言っても、まだ僅かな数字じゃないですか。政権を執ろうと思えば、衆議院で少なくとも200~250、参議院で100議席取らなきゃ、政権党なんかなれない!
だからそんなことをリアルに考えられる方がおかしいですよ!だから、今度の総選挙がいつあるかは分からないけど、政権選択選挙にはならないですよ。だって、あまりにも自公と野党との差が大きすぎますから。

須田)そうすると、共産党、あるいは党員のみなさんというのは、何を目指して、何を実現させたいと思っているのですか? 安部さんの足を引っ張りたいとか……

筆坂)正直言えば、地方議員なんかは、小さな要求を実現することが共産党といえども、出来るじゃないですか。でも、国会に来れば、ほとんどそういうことはない。私も8年やりましたけどね。「あなたが実現したことは?」と聞かれても、何もないですよ。野党ですから。そういう意味では、政権与党のあら探しというか。どうしてもそういうのが中心になってくるわけですよ。そうならざるを得ない。

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      須田慎一郎

      経済誌の記者を経て、フリーのジャーナリストに。週刊誌や新聞などで執筆活動を続けるかたわら、ラジオ、TVの報道番組で活躍中。政界、経済界での豊富な人脈を元に数々のスクープを連発。

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      東島衣里
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      東島衣里
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      1991年1月4日生まれ。
      長崎県出身。
      趣味は読書、料理。
      特技はバレエ、ぱぱっと料理。
      Facebook:東島衣里

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