PersonalityProfile

1965年、香川県生まれ。
1985年、内村光良と「ウッチャンナンチャン」を結成。
数々のテレビ出演で人気を集め、 1989年からは『オールナイトニッポン』のパーソナリティも 務める。
近年はバラエティー番組のほか、スポーツキャスター・記者としても活躍し、その他にも演劇・映画・落語・執筆活動など多岐に渡る活躍を見せている。

GuestProfile

佐伯美香(さいき みか) 1971年9月25日 愛媛県松山市生まれ。 小学5年生からインドア・バレーボールを始めて、高校卒業後の1990年、名門「ユニチカ」に入社。 全日本女子チームのエースとして、 95年のワールドカップ、96年のアトランタオリンピックに出場。 97年からは、ビーチバレーに転向。 2000年のシドニーオリンピックに高橋有紀子選手と出場して、日本人過去最高の「4位入賞」。 その後、結婚を機に一度引退、出産後の02年に現役復帰。 08年には、北京オリンピックに出場し自身3度目となる五輪出場を果たします。 現在は指導者として、インドア、ビーチを問わず、バレーボールの普及に努めている、佐伯美香さんです。

01月10日の放送は

ニッポン放送「トヨタスポーツドリーム」(1月10日放送)。

プロフィール:(ひらの・けいいち)1979年4月7日生。神奈川県出身

「オリックス時代、千葉ロッテ戦でフェンスに激突して大けがをしました」
平野「野球ができなくなると思いました。車椅子での生活を余儀なく
されて・・・。トイレもペットボトルを切ってしていました」

「フェンスにぶつかった瞬間は覚えていますか?」
平野「それよりまずボールをしっかり捕れているか心配でした。ボールが
見えた瞬間、記憶が飛んでしまいました。気づいたら救急車の中でしたね」

「“無理して捕らなくても”とも思うんですが」
平野「僕のプレースタイルの象徴的な出来事だったと思います。
“守備範囲に来たボールは必ず捕る!”というのを意識していますから」


「阪神に移籍してレギュラーを獲得するのは難しかったと思います」
平野「僕の場合、毎年監督が代わっているんです。
来季で8年目なんですけど、真弓さんが8人目の監督です」

「岡田監督にはずっと2番を任されていました」
平野「岡田監督が指揮を執る最後の試合で、涙ながらに“おまえは
2番だぞ!”と連呼されました。それは今でも体にしみついています」

「2番という打順はどんな所を注意していますか?」
平野「1番を打つ赤星さんの出塁率が凄くいいので、とにかくチャンスを
広げなきゃいけないというプレッシャーがあります。それにクリーンナップに
いいお膳立てをしなければいけないという大事なポジションでもあります」

「赤星選手と色々話をしたんですか?」
平野「入団が決まってすぐに“最高の1・2番を作ろう”と言われました。
その言葉を聞いて燃えました!」

「2人とも身長はあまり大きくないですよね?」
平野「赤星さんの方が若干高いです。いつまでも1・2番を組みたいん
ですけど、監督が代わりましたから。またアピールですかね(笑)」


「元々プロ野球選手になりたかったんですか?」
平野「なれないと思っていました。指導者として後輩に経験したものを
受け継いでいけたらなと考えていましたから」

「指導者に言われて胸に響いた言葉は?」
平野「“思いを言葉に出せ!それを必ず行動にしろ!”です。思うのは誰でもできるからそれを大きい声で口に出せと。すると皆が聴くからそれを
プレッシャーにして、言ったからには絶対やらなきゃいけなくなるだろうと」

「今シーズンの目標をここで口に出すとしたら?」
平野「阪神ファンの方から“怪我だけはするな”という意見が多かったので、“今シーズンは怪我をしないで優勝します!”」

オンエア曲
ブラックビスケッツ「タイミング」

対談を終えて
南原「アツい選手でした。その中に実はひょうきんな所もあって、
次回はそういう所をもっと引き出していけたらいいですね」

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