PersonalityProfile

1965年、香川県生まれ。
1985年、内村光良と「ウッチャンナンチャン」を結成。
数々のテレビ出演で人気を集め、 1989年からは『オールナイトニッポン』のパーソナリティも 務める。
近年はバラエティー番組のほか、スポーツキャスター・記者としても活躍し、その他にも演劇・映画・落語・執筆活動など多岐に渡る活躍を見せている。

GuestProfile

佐伯美香(さいき みか) 1971年9月25日 愛媛県松山市生まれ。 小学5年生からインドア・バレーボールを始めて、高校卒業後の1990年、名門「ユニチカ」に入社。 全日本女子チームのエースとして、 95年のワールドカップ、96年のアトランタオリンピックに出場。 97年からは、ビーチバレーに転向。 2000年のシドニーオリンピックに高橋有紀子選手と出場して、日本人過去最高の「4位入賞」。 その後、結婚を機に一度引退、出産後の02年に現役復帰。 08年には、北京オリンピックに出場し自身3度目となる五輪出場を果たします。 現在は指導者として、インドア、ビーチを問わず、バレーボールの普及に努めている、佐伯美香さんです。

02月28日の放送は

ニッポン放送「南原清隆のスポーツドリーム」(2月27日放送)
(今週のゲスト:植田 辰哉さん)

(南原)実は香川県ご出身ということで、私と同郷で、全然知らなかったです。そして今日新しい事実が、判明したんですけども…同学年ということで。
(植田)僕は南原さんが香川県出身だということは前から知ってましたよ。
(南原)あ、そうですか…すいません変な奴が出てきたと思ったでしょう?
(植田)いえいえ、嬉しいですよ。
(南原)いやー僕もね、監督が熱くなって、コートに突っ伏しているのを見て、「この人が香川出身?ああいう事をやる?この県民性が…」っていうのがね〜ビックリしたんですけども。
(植田)いやいやもう、無意識ですね。崩れ落ちたという…
(南原)ははははっ(笑)
(植田)ひざから崩れ落ちました。
(南原)崩れ落ちて、普通そこから動くじゃないですか。そのままず〜っと突っ伏したままでしたよね?
(植田)南原さんはもしかしたら友達かもしれませんが、ハイヒールモモコという芸人が関西にいますよね。
(南原)はっはっはっは居ますね〜。
(植田)僕、親友なんです。すぐに電話があって「辰哉、あんた撃たれたかと思ったわ、狙撃されて倒れたと思った」って(笑)。それくらいみんなビックリしてましたけどね、ふふふ。

(南原)バルセロナ・オリンピックにも出場したっていう…男子バレーボール良く観ていましたよ。僕ら高校生の時は、(女子の)三屋さん、広瀬さんとか人気で…
(植田)白井貴子さんとかね。
(南原)白井貴子さん!モントリオールのね〜。
(植田)強烈な方ですね。
(南原)今でも強烈な方ですか?
(植田)今でもです。
(南原)はっはっは(笑)
(植田)たまにオリンピアンが集まって、ママさんバレーと試合するんです。僕もコートに入らなければならないんですよ。
(南原)入れ!って?
(植田)叱られてばっかりです。
(南原)はっはっは(笑)
(植田)皆さん、オリンピアンの人、怖いですよ。まさに魔女です、魔女。大きくなった魔女。…コレやばいな(笑)
(南原)いやいやいや、それくらい親近感を持っているって事ですよね。尊敬の念を込めて。
(植田)尊敬の念を込めて、あえて“恐ろしい”って。
(南原)あっはっはっは!
(南原)あのね、香川県の人って、ちょいちょい笑いを挟んでくるんですよ。ずーっとまともに行こうとせずに、ちょいちょいね。
(植田)ちょいちょいね。(笑)

(南原)監督として、植田監督が就任されて、それまで男子の監督は長くやるってあんまり無かったじゃないですか。
(植田)なかったですね。私の前で長かったのは、大古監督ですね。私の選手の時の監督ですけど。
(南原)あの〜、オリンピック決まってから、スタンドの大古監督に向かっていって抱き合った。
(植田)そしてら、その時の実況アナウンサーの方が“お父さん”って言っちゃったんです。
(南原)あっはっはっは〜お父さんではないですけども。父のように慕うって事ですよね。
そういう事です。

(南原)女子はある程度までは、世界で戦えるってイメージがあったんですけども、男子って結構低迷期長かったですよね?
(植田)そうですね。92年に僕たちが行ってから、まずオリンピックにも行けないし。アジアの中でもランキング下位のチームに負けてしまって、アジアで6番目・7番目位に落ちてしまったのでね…。

(南原)植田監督が代表監督に就任して、まずドコを変えようと思いました?
(植田)選手たちに規範を作ったんですよ。ルールを。一番最初は、基礎作りが出来てないから、1972年から30数年位ずーっと落ちてきたバレーボール。なだらかに落ちて来たものを、なだらかに上げたら100年以上かかっちゃうと思ったんで…
(南原)ははは(笑)
(植田)そこをバサッと切って、全て否定から入ったんです。今やっている事はダメなんだと。ダメさ加減を知ろうっていうことで…。今のアメリカのバレーボールも取り入れて、新しいものも来ている、イタリアの新しいものも来ている、非常に斬新な練習方法・合理的なトレーニング、全て取り入れているけど勝てない。これじゃダメなんだ。そこでバチッと切って、そこから徹底的に落とし込む方法を考えたんです。年に2度3度底まで落としてあげるっていう。
(南原)すごい、言葉悪いけど…“ドS”じゃないですか…はははは(笑)最近の言葉で言うと(笑)

(南原)落とすってどうやっておとすんですか?落としても、ふて腐れたりとか、今の若い子ってどうなんですか?僕なんかも、演出やる時にドコまで行っていいのか分からないんですけども。
(植田)そうですね。その時に、根性論だけでは絶対付いてきませんから、そこには具体的な分析が必要ですね。達成可能な目標を決めていく訳です。それを現実的に、いつまでに達成するか。
(南原)はいはいはい。
(植田)それを僕が落とし込んでいって。今はこういう状況でダメだけど、俺たちはオリンピックに行けるんだ、まず行くことだ。
そのためには、今何をしなければならないのかっていう時間を決めていくんです。
2008年にオリンピック行くためには、2005年にアジアのトップに立たねばならんだろう。だったら、必死になってのたうちまわりながら歯を食いしばり苦しいトレーニングをしないといけないだろうと。 
(植田)荻野なんかはしょっちゅう涙を流してましたよ。
(南原)チームメイトでしたよね?元々は。
(植田)はい、オリンピックの時の。「なんで植田さんはこんなに俺に対して…」っていう。
僕の1年目は、それまでトレーニングはベンチプレスだとかをジムに行ってやってたのを、もう使わせないで、「はい、全員並んで、いーち、にー」って腕立て伏せ(笑)。で、弱い者から先に終わるじゃないですか。
(南原)ハイ。
(植田)強い者が生き残るんだ!って言ってやっらたら、荻野が130数回行ったんです。そしたらみんな拍手ですよ。「な、92年にオリンピックいった荻野、オリンピック選手っていうのは基礎体力強いんだよ!お前15回で終わったろ、荻野は10倍だぞ。それがこの10年間16年間のブランクなんだよ」って言って。1年目は徹底的に。食事もです。
(南原)はい。
(植田)それまではバイキングでした。それやめました。栄養士つけて。
とにかく食わない選手は強くならないから、肉・野菜・ご飯をとにかく残すなと。出された物は最後まで食べる。
(南原)お〜…っほっほっほ(笑)
(植田)食べられない選手は、2時間半かかって食べました。
(南原)でた〜〜、給食の最後まで食べろっていう小学校の…
(植田)そう!そこにはお母さん役の栄養士の女性がずーっと付いてて、食べ終わるまでそこに居るんです。だから10時半位まで食ってる奴がいて…(笑)
(南原)あっはっは(笑)、そうこうしている間に、また朝飯が始まっちゃうんじゃないですか?
(植田)そうそうそう、そういう事です。だから弱いんですよ。食べれないって事は体力が無いって事を証明しているってこと。
(南原)すっげ〜〜。植田ジャパンは胃袋から鍛えるんですか?
(植田)まず、食べること!

(南原)いや〜、今の若い子たちは付いて来るんですかね?
(植田)付いてきますね。で、ちゃんと逆算して、計画を立てて、説明をして、そこで議論して、それでみんなが納得して約束したことは、やりますよ。それで3ヶ月、半年すると体つきが変わってくるでしょ?そうするとパフォーマンスが上がってきて、今まで打てなかったようなスパイクが打てるようになるんですよ。
僕の考え方は、基礎体力の無いところに基礎技術も乗っかって来ないし、基礎技術も無いところに、専門的な技術も体力も乗っかってこないです。で、土台がでかくなってくると、全てがトータル的に上がってくるんです。
(南原)いや〜。監督が今おっしゃったのは、日本のスポーツ全般に言える事だと思います。基礎体力をまず上げて、そこに基礎技術を乗っけて。
(植田)そうです。

(南原)平成の今の話ですよ、皆さん。
(植田)でも30年周期でいろんな物が回ってくるってどこかで聞いた覚えがあるんですけど…。やっぱりね、古いものが新しい時代に来てるんじゃないかと思いますよ。昔我々の先輩方が出来た事が今出来なくなってるでしょ?
(南原)はい…。
(植田)挨拶にしても、コミュニケーションにしても、大きな社会問題になってるけど、それをもう一回確認する時期に来てるような気がします。

(南原)本を出版されているんですね。「植田辰哉 徹底マネージメント」これはどういった内容ですか?
(植田)私が正式に2005年から北京オリンピックまでの間にどういうチームマネージメントをしたかを、色々な図解とかグラフとか数字で分かりやすく説明しています。そのなかにSMART分析といって目標達成に必要な分析とかを分かりやすく説明した本です。
(南原)これまで歩んできた人生がギュッと詰まっている、苦悩も…。トップに立つ者はいつも不安が付きまとって…。
(植田)不安ですよね…次にちゃんとした結果が出るっていう保証はドコにも無い訳ですから。
自分がいつまでこの仕事を出来るっていう保証も無いし。勝ち続けるなんて、奇跡ですから。
あらゆる準備をしておかないと、怖くて…
(南原)勝った時はいいでしょう、それで。
(植田)勝った時はスカッとしますけどね、でもすぐ次が…
(南原)あはははは(笑)
(植田)繰り返し繰り返しなんで…いつになったら終わるんだろうな、でも終わったら終わりだしな〜って。終わりがないんですね、自分の中に。

(南原)でもそこに身をおけるっていうのは、本当に限られた人ですからね。
(植田)まあ、ね。友達とかにもよく言われますよ。お前は幸せ者だよって。そうかもしれません。

『植田 辰哉さんのリクエスト曲』
三線の花(さんしんのはな) (BEGIN)

3月6日の「スポーツドリーム」は、Jリーグ中継のためお休み。
次回放送は3月13日です。
植田監督を10の質問で、プライベートにも迫ります!お楽しみに!

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