スポーツ伝説

6月27日~7月1日の放送内容

【サッカー 小笠原満男選手ほか】

 Jリーグ創設当初から名を連ね、主要タイトル通算20冠。国内最多のタイトル獲得数を誇る鹿島アントラーズで、特別な意味を持つ背番号が8番。その象徴が、不動の司令塔として活躍した小笠原選手です。入団3年目の2000年、チャンピオンシップ・天皇杯決勝でMVPを獲得するなどチームを牽引し、カップ戦・リーグ戦、そして天皇杯をすべて制する「3冠」をJリーグのクラブで初めて達成する原動力となりました。翌01年から背番号8となり、この年もチームの中心として活躍。Jリーグチャンピオンシップでは2年連続でMVPに輝きました。その後、キャプテンに就任。8番は一時海外移籍したときに譲りましたが、18年に引退するまで、鹿島の20冠のうち関わった数は17と、まさに常勝軍団のシンボルでした。
 小笠原選手がイタリアに渡った07年以降、背番号8を継承したのが野沢拓也選手です。この年、6年ぶりとなるリーグ制覇を達成。翌年も野沢選手が最終節でゴールを決めてリーグ連覇を果たし、続く09年も優勝と、前人未到のリーグ3連覇を達成します。そして15年以降、鹿島の8番を背負うのは土居聖真選手です。16年のクラブワールドカップでは全4試合に先発出場し、1ゴール3アシスト。この大会での鹿島の得点のおよそ半分に絡み、世界大会準優勝の立役者となりました。土居選手は今シーズンから鹿島のキャプテンに就任。チームを引っ張っていきます。

    
 
【サッカー 宮本恒靖選手ほか】

 創設当時からサッカー・Jリーグに加盟する「オリジナル10」のひとつで、J1優勝2度を誇るガンバ大阪。このクラブで、長年にわたって守備のリーダーが袖を通してきたのが、背番号5のユニフォームです。この番号に特別な意味が加わるようになったのは2000年、宮本選手がつけるようになってから。それ以前、宮本選手は20番をつけていましたが、シドニーオリンピックに挑む代表チームで5番をつけ、ガンバでも背負うことに。この年、23歳でキャプテンに就任し、代表でもチームでも抜群のキャプテンシーを発揮。チームリーダー、そしてディフェンスリーダーとしてチームを引っ張ります。そんな宮本選手にとって特別なシーズンとなったのが05年。クラブ初タイトルとなるJリーグ年間王者に輝いたのです。
 宮本選手は06年シーズン終了後に海外クラブに移籍し、代わって背番号5を引き継いだのは、やはりディフェンスリーダーのシジクレイ選手でした。クラブ史上初めて、外国人選手でキャプテンを務めたリーダーのもと、ガンバ大阪は07年のJリーグカップで初優勝を果たします。翌08年からは、やはり守備の要、山口智選手が背番号5をつけキャプテンに就任。この年以降、ガンバ大阪はアジアチャンピオンズリーグを制するなど、毎年のようにタイトルを獲得する黄金期を迎えます。この背番号5を18年からつけているのが、三浦弦太選手です。キャプテンとしてチームをまとめ、再びガンバに黄金期をもたらすべくプレーを続けます。


  
【サッカー 森島寛晃選手ほか】

 セレッソの8番を特別なものにしたのが、“ミスターセレッソ”と呼ばれ、クラブ創成期から活躍した森島選手です。セレッソの前身、ヤンマー時代の1992年から17年間にわたって背番号8を背負い、チームを牽引し続けた森島選手。身長168㎝の小柄な体でも、ピッチ上では誰よりも目立つガッツ溢れるプレーでサポーターに愛されました。2008年、森島選手が引退する際に注目されたのが8番の後継者でした。そして森島選手が直々に指名したのが、当時19歳にしてすでに日本代表に名を連ねていた香川真司選手です。すでに海外クラブも興味を示していた若きスター選手なだけに、オフに移籍する可能性もありましたが、香川選手は背番号8を譲り受け、セレッソに残留することを決めました。
 香川選手が海外移籍すると、背番号8は清武弘嗣選手へ。その清武選手も海外移籍が決まると、今度は柿谷曜一朗選手へと、チームの若きエースに継承されていきました。14年ブラジルワールドカップでは、香川選手・清武選手・柿谷選手が揃って日本代表に名を連ね、改めてセレッソ大阪の背番号8の重みを感じさせてくれました。

  
 
【サッカー 平川忠亮選手ほか】

 世界的スーパースター、オランダの英雄ヨハン・クライフが付けたことから、世界中で人気のある背番号14。浦和レッズのサポーターの間で14番といえば、17年間レッズ一筋を貫いた平川選手です。入団2年目の2003年から14番を背負い、06年のJ1リーグ優勝など7つのタイトル獲得に関わったレジェンドです。平川選手が背番号14を付けた背景には、レッズ入団の決め手となった親友、小野伸二選手の存在がありました。二人は清水商業高校からのチームメイト。大学卒業後は、小野選手がいるレッズに入ろうと思っていた平川選手。ところが01年のシーズン途中に小野選手がオランダ・フェイエノールトへ移籍し、02年に入団した平川選手は小野選手がレッズ1年目に付けていた28番でプレー。翌年、小野選手がフェイエノールトで付けていた14番に変更したのです。
 06年に小野選手がレッズに復帰すると、小野選手は攻撃で、平川選手は守備でレッズのJ1初優勝に貢献。さらに天皇杯も制し、翌07年にはアジアチャンピオンズリーグをJリーグ勢で初めて制するなど、レッズは黄金期を迎えました。そんな平川選手の後を受け、今年から14番をつけてプレーするのは、副キャプテンの関根貴大選手です。念願叶って、ついに手にした背番号14のユニフォームでした。

  

【サッカー 中西哲生選手ほか】

 川崎の背番号14は、“ミスターフロンターレ”とともに歩んできた番号です。1999年に初めてJ1に昇格した際のキャプテンで“初代ミスターフロンターレ”と呼ばれたのが、背番号14の中西選手。そして2000年に中西選手が引退したあと、この番号を受け継いだのが中村憲剛選手でした。プロ2年目の04年、26番から14番に変わり、ポジションもトップ下からボランチにコンバートされます。するとこの年、川崎は5年ぶりにJ1へ再昇格。中村選手が14番を背負ってからチームの躍進が始まり、以降、毎年のように優勝争いに絡む強豪クラブへと変貌を遂げていったのです。
 17年と18年のリーグ連覇の際、チームを牽引したのはもちろん、14番の中村選手でした。“ミスターフロンターレ”はいつしか、中村選手の代名詞として定着していきました。2020年10月31日、40歳の誕生日にゴールを決めた中村選手。健在ぶりをアピールしたかと思いきや、その翌日、まさかの引退表明。今年、脇坂泰斗選手がその14番を継承しました。背番号14をつけて初ゴールを決めた試合後には、サポーターから脇坂は正統な14番になったといった声も上がっています。



来週のスポーツ伝説もお楽しみに!!
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