スポーツ伝説

6月6日~6月10日の放送内容

【サッカー 鈴木隆行・稲本潤一選手】

 2002年6月4日、埼玉スタジアム2002で行われたサッカーワールドカップ 初戦、日本対ベルギー。0対0のまま迎えた後半12分。ベルギーの選手のオーバーヘッドシュートが決まり、先制点を許してしまいます。それでも日本はすぐに反撃。失点からわずか2分後、小野伸二選手がベルギーゴール前へロングパス。これに反応したのが、フォワードの鈴木選手でした。相手キーパーと向き合う形になりながら、まるで空中にスライディングするように足を伸ばし、右足のつま先でわずかに触れたボールはゴールキーパーの横をすり抜け、劇的な同点ゴールとなったのです。実は、鈴木選手はこの試合の翌日が26歳の誕生日。25歳最後の日に決めたゴールは、日本中を熱狂させる特別なゴールとなりました。
 鈴木選手のゴールで勢いづいた日本は、さらに怒涛の攻撃を続けます。後半22分、22歳の若きボランチ・稲本選手が鋭いプレスで相手からボールを奪うと、日本はパスでつなぎ、再びボールは稲本選手のもとへ。すると稲本選手は、相手ディフェンダーをかわして左足でゴール。日本はワールドカップ出場2回目にして、初めてリードを奪いました。しかし後半30分、ディフェンスラインの裏をついたベルギーにゴールを許し、再び同点に。結局、2対2の引き分けで、試合終了の笛が鳴りました。
   
  
 
【サッカー 稲本潤一・宮本恒靖選手】

 2002年に開催されたサッカーワールドカップ日韓大会。初戦のベルギー戦を引き分けで終えた日本は、第2戦でロシアと対戦します。この試合で躍動したのは、初戦のベルギー戦でもゴールを決めて名を上げた稲本選手です。0対0で迎えた後半6分、左サイドの中田浩二選手からの素早いセンタリングは、ゴール前で待ち受けていたフォワードの柳沢敦選手へ。これを柳沢選手がワンタッチパスで折り返すと、反応したのは稲本選手でした。コンパクトに振りぬいた右足のシュートはゴールネットを揺らし、日本に先制点をもたらしたのです。
 初戦のベルギー戦ではリードを守りきれず、引き分けに終わった日本にとって、この第2戦では守備陣にかかる期待も大きなものがありました。日本の守備は、3人のディフェンダーが細かく連携を取るフラットスリーが代名詞。ただ、この戦術の要ともいえるセンターバックで、代表キャプテンの森岡隆三選手が初戦のベルギー戦で負傷退場。代わってセンターバックに抜擢されたのが、宮本選手です。持ち前の戦術眼と統率力はもちろんのこと、時にはロシアの選手との肉弾戦に地面に叩きつけられながらも声を出し、体を張ってゴールを死守します。大会前の練習試合で鼻骨を骨折し、黒いフェイスガードをつけてディフェンスラインを統率する姿は“バットマン”の異名をとり、話題になりました。粘り強い守備でロシアの攻撃を退けた日本は、1対0の完封勝ち。ワールドカップの歴史で初の勝利と、勝ち点3を手にしました。


    
【サッカー 森島寛晃・中田英寿選手】

 2002年のサッカーワールドカップ日韓大会。グループリーグ2試合を終えて、1勝1分けの勝ち点4で首位に立った日本代表。引き分けでも決勝トーナメント進出が決まる第3戦の相手は、チュニジアでした。グループステージ突破には勝つしかないチュニジアは、守備的な布陣からカウンターを狙う作戦を採用。守りを固めた相手に日本も攻め手を欠き、前半は0対0で折り返します。ここで日本代表のフィリップ・トルシエ監督が勝負に出ます。ハーフタイムで、フォワードの柳沢敦選手を下げ、縦横無尽の動きで相手を翻弄する30歳のベテラン・森島選手を後半から投入。監督の狙いはズバリ的中し、後半開始早々に森島選手がゴールを決め、日本が先制したのです。
 後半、トルシエ監督は森島選手と共にもう1人、新たな選手を送り出しました。右サイドバックの市川大祐選手です。この交代策も見事にハマり、何度もチャンスを演出します。そして迎えた後半30分、市川選手の右からのクロスボールを、豪快なダイビングヘッドでチュニジアゴールを揺らしたのが、日本の司令塔・中田選手でした。4年前のフランス大会での3試合を含め、常に日本代表を引っ張ってきた中田選手にとって、このゴールはワールドカップ通算6試合目にして初得点。普段はクールな中田選手も、ゴールの後には笑顔を見せて喜びを表現しました。しっかり仕事をした大黒柱の活躍もあって、日本は2対0で快勝。大会ホスト国のノルマとされる、初の決勝トーナメント進出を決めたのです。


 
【サッカー 三都主選手・トルシエ監督】

 2002年サッカーワールドカップ日韓大会。2勝1分とグループ首位通過でベスト16入りを果たした日本代表は、6月18日、負ければ終わりの決勝トーナメント1回戦を迎えます。相手は手堅い守備と鋭いカウンターが武器のトルコ代表。そのトルコに日本は前半12分、パスミスから先制点を許してしまいます。1点を追う日本のキーマンは、大会のおよそ半年前にブラジルから日本に帰化した三都主アレサンドロ選手でした。普段はサイドポジションがメインでしたが、この試合ではフォワードでスタメン出場。それでも持ち前の突破力を武器に、前半20分、最初のチャンスでシュートを放ちます。前半30分には、中田英寿選手からのクロスに飛び込んで、あわやという場面を作りますが、いずれもゴールには至りません。前半終了間際のフリーキックも、惜しくもクロスバーに阻まれました。
 1点を追いかける日本は、後半も怒涛の攻撃。しかし、手堅い守備でゴール前を固めるトルコを崩しきれず、そのまま0対1で試合終了。日本を指揮したフィリップ・トルシエ監督の功績のひとつは、ベテランの存在意義を高めたこと。大会直前にサプライズ選出した34歳の中山雅史選手、31歳の秋田豊選手の二人はチームに安定感を与え、その後もワールドカップで経験豊富な30代のベテラン選手が代表に選ばれることが恒例となりました。そしてこの大会は、日本代表が試合を重ねるごとに「ワールドカップで初めての勝ち点」「初めての勝利」「初めてのグループステージ突破」と一つずつ新たな歴史を築いていったことも、大会の盛り上げに大きく貢献しました。



【サッカー エジミウソン選手】

 サッカーワールドカップ日韓大会の決勝戦が行われたのは、20年前の6月30日。横浜国際総合競技場で優勝3回を誇るドイツと、優勝4回のブラジルが激突し、ブラジルが2対0で勝利。5度目の優勝を果たしました。大会得点王に輝いた怪物フォワード、ロナウド選手。背番号10のリバウド選手。若き天才ロナウジーニョ選手の頭文字を取って“3R”と呼ばれたブラジルの強力攻撃陣に加え、守備陣のレベルも極めて高く、決勝トーナメント4試合でわずか1失点と安定したパフォーマンスを発揮したことも優勝の大きな要因でした。その立役者が、センターバックを務めたエジミウソン選手です。
 エジミウソン選手は代表キャプテンを務めたこともあるリーダーシップの持ち主で、この大会ではスリーバックの中央でディフェンスラインを見事に統率し、また攻撃に参加すれば、グループリーグのコスタリカ戦で見事なオーバーヘッドシュートを決めるなど、攻守においてチームを牽引し続けました。クラブレベルでも、フランスリーグの強豪リヨンでリーグ3連覇に貢献。その後はスペインの名門・バルセロナでもプレーするなど、世界的な名声を誇りました。



来週のスポーツ伝説は……

6/13(月) プロ野球 佐々木朗希投手
6/14(火) プロ野球 槙原寛己投手  
6/15(水) プロ野球 今井雄太郎投手
6/16(木) プロ野球 高橋善正投手
6/17(金) プロ野球 外木場義郎投手

お楽しみに!!
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