スポーツ伝説

8月23日~27日の放送内容

【車いすラグビー 倉橋香衣選手】

 スポーツが大好きで、高校までは体操、大学ではトランポリンの選手だった倉橋選手。ところが2011年、練習中の事故で首を骨折して頸髄を損傷。鎖骨から下の感覚がほぼなくなり、肩と腕の一部しか動かせなくなりました。そんな状況にもめげず、少しでもできることを増やしていこうと前向きにリハビリに励んだ倉橋選手は、自立訓練施設で偶然、車いすラグビーに出会います。頑丈な競技用車いすでのタックルが、ルール上認められている車いすラグビー。そこに魅力を感じた倉橋選手は、埼玉に本拠を置く強豪チームに入団。男子選手に交じって腕を磨いていきました。
 そんな倉橋選手に突然、リオ・パラリンピック後に日本代表監督に就任したケビン・オアー監督から代表入りの声が掛かります。女子選手がコートに入った場合、規定でより障害の程度が軽い選手がコートに立てるようになり、戦術の幅が広がるのです。もちろん、ボールを持った味方の選手を相手の攻撃からガードしたり、壁となって味方のパススペースを作るなど、献身的なプレーも評価されてのことです。倉橋選手は18年に行われた世界選手権にも出場し、日本初の金メダルにも貢献。今年6月、女子選手では史上初めて、パラリンピック日本代表に選ばれました。
  
  

【車いすバスケ 鳥海連志選手】

 生まれつき両手足に障害があり、3歳の時に手術で両足を切断した鳥海選手。中学1年生の時、車いすバスケットボールに出会って競技にのめり込み、地元・長崎のチームに入団。短期間で才能を伸ばしていきます。高校2年生の時、日本代表に抜てきされた鳥海選手は、リオ・パラリンピック出場を懸けたアジア・オセアニア選手権に出場。みごと出場権獲得に貢献し、2016年、高校3年生・当時チーム最年少の17歳でパラリンピックの大舞台にも立ちました。しかし目立った活躍はできず、日本も9位に終わります。鳥海選手は悩んだ末、次の東京を目指すべく、上京してバスケットに打ち込む環境を整えました。
 両足を切断し、手の指も生まれつき一部欠けている鳥海選手は、他の選手に比べて障がいは重いものの、しっかりした体幹を使って幅広い動きができるのが持ち味です。2度目のパラリンピックとなる東京大会は主力としての働きが期待されています。より車いすバスケに集中するため、大学を辞めて企業とアスリート契約を結び、退路を断って大舞台に挑みます。


 
【車いすテニス 荒井大輔選手】

 世界ランキング1位の経験を持つ男子の国枝慎吾選手、女子の上地結衣選手がいる“車いすテニス大国”ニッポン。荒井選手も、注目選手のひとりです。先天性の右足の病気で2歳から義足生活を送っていた荒井選手が、テニスに出会ったのは中学生の時。軟式テニス部で健常者と一緒にプレーし、他の同級生たちより早くレギュラーになるほど競技に打ち込み、部長も任されました。テニスを始めるまで、人前で義足を見せたり、歩き方を見られたりするのに抵抗があったといいますが、健常者の対戦相手とも互角以上に渡り合うことで、周囲からも特別扱いされなくなり、自信をつかむことができたのです。
 その後、25歳の時に車いすテニスを始めると、競技を始めてわずか2年で海外遠征をするまでに成長。2019年は6つの国際大会で優勝し、大きく飛躍します。世界ランキングもトップ20入りを果たし、国内ランキングでもパラリンピック代表入りができる4番手にジャンプアップを果たしました。荒井選手の成長の背景にあったのは、世界の頂点を極めた国枝慎吾選手の練習パートナーを務めるようになったことです。世界レベルの壁の高さ・厚さを痛感する日々だったという荒井選手。それでも試行錯誤しながら挑み、東京パラリンピック代表の座をつかみとりました。



【車いすテニス 大谷桃子選手】
 
 大谷選手は小学3年生で硬式テニスを始めると、スポーツ推薦でテニスの強豪校、栃木県の作新学院高校に進学し、ダブルスでインターハイに出場するほどの実力者でした。ところが高校卒業後、病気の治療薬の副作用で車いす生活に。2016年、父親と観戦した車いすテニスの試合をきっかけに、自ら挑戦することを決意します。練習を始めてわずか4カ月後には、大阪オープンという大きな大会で韓国の選手に快勝。18年にはアジアパラ大会シングルスで銅メダルを獲得し、一躍、日本代表候補に躍り出ました。
 そんな大谷選手にとって、世界の頂点に立つために欠かせない存在が世界女王の経験もある上地結衣選手とのライバル関係です。20年8月、大谷選手は4大大会の1つ・全米オープンに出場。そのシングルス1回戦で当たったのが、当時世界ランキング2位の上地選手でした。競技を始めたときから憧れの存在。大谷選手は上地選手に追いつくため努力を重ねてきましたが、ストレート負けと世界の壁の高さを痛感します。ただ、この経験があったおかげで1ヶ月後の全仏オープンでは世界を驚かす結果を残します。準決勝で、世界ランキング1位の女王ディーデ・デフロート選手を破る大金星をあげたのです。決勝戦は上地選手と戦い、またしてもストレート負け。東京パラリンピックでは、今度こそ上地選手に勝って頂点を目指します。



【ブラインドサッカー 黒田智成選手】 

 生後3か月でガンが見つかり、左目を摘出した黒田選手。残された右目も小学1年生の時に失い、全盲になりました。その右目がまだうっすらと見えていた時、テレビで見て夢中になったのが、伝説のサッカーアニメ『キャプテン翼』でした。黒田少年はサッカーが大好きになり、壁に目がけてボールを蹴って遊んでは、足下のボール感覚を磨きます。しかし当時は視覚障害者がサッカーをプレーできる環境がなく、学生時代は陸上競技でパラリンピック出場を目指していました。転機となったのは、大学院時代の2002年4月。日本に伝えられたばかりのブラインドサッカーの講習会を受けたことです。さっそく翌月に初めて結成された日本代表メンバーにも名を連ねました。それから19年。黒田選手は草創期から日本代表のエースとして、プレーし続けています。
 04年・アテネ大会でブラインドサッカーが正式競技になって以降、日本代表はパラリンピックの檜舞台になかなか立てずにいました。開催国枠で初出場を果たした東京大会では、結果も求めたい日本。今年6月。パラリンピックにも出場する5カ国で行われた国際大会で、日本は黒田選手の2試合連続ゴールなどで強豪国を抑えて決勝に進出。世界ランク1位のアルゼンチンに敗れましたが、堂々の準優勝に輝き、パラリンピック本番に向けて大きな手応えを掴んでいます。黒田選手は、42歳で初めてのパラリンピックに挑みます。



来週のスポーツ伝説は……

8/30(月) パラバドミントン 里見紗李奈選手
8/31(火) パラバドミントン 鈴木亜弥子選手  
9/1(水) 柔   道 渡名喜風南選手
9/2(木) 柔   道 髙藤直寿選手
9/3(金) 柔   道 大野将平選手

お楽しみに!!
BACK
NEXT