スポーツ伝説

8月16日~20日の放送内容

【高校野球 小島和哉投手】

 2013年夏の甲子園優勝候補の筆頭は、埼玉代表・浦和学院高校でした。この年の春のセンバツ決勝を17対1の大差で初の全国制覇。強力打線に加えて、大会を通じてわずか3失点だった2年生エース左腕・小島投手が健在。夏の県予選・準々決勝で完全試合を達成するなど、万全の状態で再び甲子園に乗り込みました。ところが初戦の宮城代表・仙台育英高校戦は、意外な展開に。浦和学院が初回に1点を先制した直後、小島投手が大乱調。打者一巡でいきなり6点を与えるまさかの展開になりました。もっとも、春の王者・浦和学院がこのまま終わるはずもありません。3回に一挙8点を奪い逆転すると、4回にも1点を加え、10対6とリードします。しかし6回に4点を返され、10対10の同点で終盤戦に突入しました。
 8回、浦和学院はノーアウト満塁のピンチを迎えますが、意地を見せた小島投手が3者連続三振に斬ってとり無失点で切り抜けます。気づけば甲子園球場には照明がともり、試合は9回へ。先攻の浦和学院は得点を奪えず、小島投手は体が悲鳴をあげ、182球を投げマウンドを降りました。結局、浦和学院はサヨナラ負け。この試合は“11対10の悲劇”とも呼ばれ、今も高校野球ファンの間で甲子園史に残る名勝負として語り継がれています。

  

【高校野球 大瀬良大地投手/菊池雄星投手】

 2009年夏の甲子園1回戦、花巻東高校 対 長崎日大高校の試合は、因縁の組み合わせでした。この年春のセンバツで、花巻東は長崎の清峰高校に破れ準優勝。花巻東は“打倒・清峰”に燃えて、夏の甲子園の切符をつかみました。ところが、その清峰を破って甲子園にやって来たのが、初戦の相手となる長崎日大です。花巻東のエースは、プロが注目する菊池雄星投手。長崎日大は思い切り振ることだけを心掛けた結果、菊池投手から1試合3本のホームラン。これは菊池投手の野球人生で初めてのことでした。
 しかし中盤、長崎日大のエース・大瀬良大地投手が花巻東打線につかまります。実は大瀬良投手、この試合の数日前に腰を痛め、一時は自力で歩くことも困難な状況だったのです。好投手同士の投げ合いが予想された試合は、終わってみれば8対5の乱打戦の末、花巻東が勝ちました。大瀬良投手と菊池投手の対決は、“伝説の一戦”として語られることになりました。


 
【高校野球 涌井秀章投手】

 横浜高校に入学した当初から、大先輩・松坂大輔投手の再来と評価され“松坂2世”と呼ばれていた涌井投手。甲子園デビューは、2年生で迎えた2003年の春のセンバツで、この時は卒業後にロッテで活躍する成瀬善久投手との二枚看板で注目を浴びました。準決勝までは、先発・成瀬、リリーフ・涌井の必勝パターンで決勝に進出。ところが決勝の大一番では涌井投手が先発の大役を務めますが、打ち込まれてしまい優勝を逃したのです。
 この屈辱から1年4ヵ月後、横浜のエースナンバーを背負った涌井投手が再び甲子園にやってきたのは、高校3年最後の夏、04年夏の選手権大会でした。大会屈指の好投手として甲子園に帰ってきた涌井投手は、初戦から噂に違わぬ投球を見せます。2回戦の京都外大西高校との試合は、両チームのエースが共に一歩も譲らぬ投手戦になりました。しかし涌井投手が14個の三振を奪って、見事な完封勝利。続く3回戦、強豪・明徳義塾高校との試合は序盤にリードを許す苦しい展開。涌井投手は5点を失ったものの、147球の熱投で12個の三振を奪い、「3試合連続2ケタ奪三振」の離れワザをやってのけたのです。



【高校野球 ダルビッシュ有投手/服部大輔投手】
 
 夏の甲子園史に残る奪三振ショーの伝説が生まれたのは、2003年の第85回大会。京都代表・平安高校の服部大輔投手と、宮城代表・東北高校のダルビッシュ有投手が投げ合った3回戦です。共に2年生エース。2人は中学時代からのライバルで、同じ関西のボーイズリーグでしのぎを削った間柄でした。ダルビッシュ投手は、伸びのある直球と変化球で的を絞らせず、服部投手も切れ味鋭い変化球で三振の山を築きます。三振の数は9回を終えた時点で、服部投手が「16」ダルビッシュ投手は「14」。両投手合わせて30奪三振は1925年以来、78年ぶりの大会タイ記録でした。
 試合は0対0のまま延長戦に突入し、10回はダルビッシュ投手・服部投手ともに1つずつ三振を奪い、どちらも無失点に抑えます。続く11回表、ダルビッシュ投手が三者凡退に抑えると、その裏に東北高校の先頭打者がレフト前ヒットで出塁。これを足掛かりにツーアウト一・二塁と、一打サヨナラのチャンスを作ります。バッターがバットを振りぬくと、打球はレフト前へ。レフトからのバックホームは一塁側にそれ、1対0で東北高校のサヨナラ勝ちとなりました。ダルビッシュ投手は、2安打15奪三振で完封。一方の服部投手は、ダルビッシュ投手より2つ多い17奪三振を記録しながら負け投手となりました。2人合わせて32奪三振という奪三振ショーの幕が、ついに降りたのです。



【高校野球 上田佳範投手/井手元健一朗投手】 

 1991年・夏の甲子園3回戦。ベスト8進出を懸けて、春のセンバツ準優勝の長野代表・松商学園高校と、甲子園初出場の三重代表・四日市工業高校が対戦しました。松商学園のエースで4番は、のちに日本ハムに入団する上田佳範投手。四日市工業のエースは、大会ナンバーワン左腕と呼ばれ、のちに中日に入団する井手元健一朗投手。この2人の投げ合いは、稀に見る投手戦となりました。
 上田投手は5回、井手元投手は7回に、それぞれ3点ずつ失うもその後は互いに譲らず、試合は3対3のまま延長16回まで進みます。当時の規定では、18回で決着がつかないと引き分け再試合をすることになっていました。16回裏、疲労からボールの抑えが利かなくなった井手元投手は、1アウト二・三塁のピンチを迎えます。ここで監督は満塁策を取り、4番・上田との勝負に出ました。上田投手にとっては、自らのバットで試合を決める絶好のチャンス。しかし、注目の勝負は初球で唐突に終わりを迎えます。井手元投手の投げたボールは、上田投手の右肩を直撃。サヨナラデッドボールという、あっけない幕切れでした。マウンドに座り込んだ井手元投手は232球、上田投手は207球。3時間46分の死闘は、今も高校野球ファンの間で伝説になっています。



来週のスポーツ伝説は……

8/23(月) 車いすラグビー 倉橋香衣選手
8/24(火) 車いすバスケ 鳥海連志選手  
8/25(水) 車いすテニス 荒井大輔選手
8/26(木) 車いすテニス 大谷桃子選手
8/27(金) ブラインドサッカー 黒田智成選手

お楽しみに!!
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