スポーツ伝説

6月28日~7月2日の放送内容

【ラグビー 五郎丸歩選手】

 五郎丸選手がその名を轟かせたのが2015年。イングランドで行われたラグビー・ワールドカップで、世界トップランクの強豪・南アフリカを日本が破った試合です。‟スポーツ史上最大の番狂わせ”と呼ばれた勝利に貢献しただけでなく、プレースキック前の‟五郎丸ポーズ”も印象的で、国民的英雄となりました。昨年暮れ、五郎丸選手は、年明けからのトップリーグを最後に現役を引退すると表明。引退会見では、「私には残り1シーズンしか体力、気力はともに残っていません」とコメントしました。アスリートとしてトップレベルを維持したまま辞めたい、という思いがあったのです。その言葉通り、五郎丸選手は最後までプレーでファンを魅了します。3月6日、シーズン初出場となった試合で1トライ5ゴールを決め、マン・オブ・ザ・マッチに輝きました。
 優勝を目指してのトップリーグ・プレーオフトーナメント。チームが敗れた瞬間、引退となる五郎丸選手でしたが、ヤマハは2回戦で敗退。しかもこの試合を、スタンドで見守る形で終えました。実は、リーグ戦最後の試合で足の肉離れを起こしていたといいます。本来なら別メニューのリハビリ組にまわるようなケガでしたが、五郎丸選手はチームに帯同し、トーナメントに向けた全体練習にも参加。チームを盛り立てました。「フォア・ザ・チーム」これこそ、五郎丸選手がラガーマンとして体現し続けてきた精神でした。
 


【ラグビー ボーデン・バレット選手】

 バレット選手はラグビー王国ニュージーランドの代表チーム・オールブラックスの司令塔やスタンドオフを務め、2016年と17年に2年連続で世界最優秀選手賞を受賞。19年のワールドカップ日本大会でも活躍した、正真正銘の世界的なスーパースターです。23年のワールドカップまでニュージーランド・ラグビー協会と契約を結んでいるバレット選手は、協会への長年の貢献が認められ、海外で1年間プレーできることに。世界から有名選手が集まるフランスリーグ入りも検討したといいますが、日本のトップリーグ入りを決意。サントリーサンゴリアスへの入団が決まったのです。
 トップリーグデビュー戦、バレット選手は試合開始早々、キックで初得点を決めると、前半終了間際には初トライも披露。終わってみれば1試合で21得点を挙げる活躍を見せました。その後もバレット選手は、世界レベルのプレーを遺憾なく発揮します。試合をコントロールするだけでなく、自ら積極的に走りに走ってリーグ戦トータル6トライを記録。さらにトライ後のコンバージョンゴールで37点、8つのペナルティゴールも決めて、通算128得点をマーク。2位に52点差の大差をつけて得点王に輝きました。


 
【ラグビー グレイグ・レイドロー選手】

 大成功に終わった2019年ラグビーワールドカップ日本大会。日本のラグビーファンを増やしただけでなく、日本のプレー環境を気に入った世界的スター選手たちが、その後数多く来日するきっかけにもなりました。そのひとりがレイドロー選手です。レイドロー選手と日本ラグビーには、運命的な結びつきがあります。日本が南アフリカに歴史的勝利を飾った15年のワールドカップ。この大会で、日本に唯一の黒星をつけて決勝トーナメント進出を阻んだのは、レイドロー選手がキャプテンとしてチームを牽引したスコットランドでした。その4年後、19年のワールドカップでは、日本がレイドロー選手率いるスコットランドに劇的勝利を収め、初のベスト8進出が決定。ある意味、日本ラグビーの進化をもっとも肌で感じた選手と言えます。
 レイドロー選手は、この19年ワールドカップを最後に代表を引退。残された選手生活の中で新たなチャレンジができる環境を求めた結果、日本のトップリーグ、NTTコム・シャイニングアークス入りを決めました。今年2月20日、新型コロナウイルスの影響からおよそ1カ月遅れでの開幕となったトップリーグで、レイドロー選手も先発デビュー。いきなり世界レベルのプレーで魅了します。1点を追いかける前半36分、パスと見せかけ相手2人をかわして逆転のトライ。その後もワールドクラスプレーで合計12点を挙げ、勝利に大きく貢献しました。



【大相撲  千代大龍秀政関】
 
 千代大龍関は日本体育大学時代に学生横綱に輝き、2011に、元横綱・千代の富士の先代・九重親方が率いる、九重部屋に鳴り物入りで入門。幕下15枚目格付け出しでデビューしました。本名は「明月院秀政」。まるで戦国武将のような苗字が当時話題となり、十両に昇進するまでは本名をそのままシコ名にして土俵に上がっていました。千代大龍関が得意とする攻めは、立ち合い、強烈なぶちかましから怒涛の攻めを続け、相手が反撃に移ったタイミングですかさず引き技で仕留めるというものです。この勝ちパターンが、ファンの間で‟明月院スペシャル”、略して‟MSP”と呼ばれるようになりました。
 千代大龍関は甘い飲み物が大好きで、日頃の食生活がたたり、2年に糖尿病を発症。両足の血行障害に見舞われた15年1月場所は、途中休場でついに十両へ陥落。しかし先代の九重親方からの叱咤激励を受け、2場所で幕内に復帰しました。最高位は小結ですが、ここ数年は前頭の上位と下位を行ったり来たりで、気付けばもう32歳。東前頭11枚目で臨んだ今年3月の春場所は6勝9敗。5月の夏場所は西前頭14枚目まで落ち、十両陥落がちらついていました。千代大龍関はここで心機一転。立ち合いで変化をせず、中途半端な当たりで引いたりせず、土俵際もとにかく動いて相撲を取ることを心掛けます。すると一時は優勝争いに加わり、最終的に10勝5敗。17年7月の名古屋場所以来、4年ぶりの2ケタ勝利を挙げたのです。



【大相撲  千代ノ皇王代仁関】 

 鹿児島県与論島出身の千代ノ皇関は、高校から沖縄県のうるま市にある県立中部農林高校の相撲部に入部。2年生の時、相撲部の1年後輩に勧められ、その後輩の実家で下宿生活を送ることになりました。2年間、千代ノ皇関の第二の両親となったのが、山本さん夫妻です。千代ノ皇関が卒業する時には、本当の親子のような関係になっていました。そんな第二の両親の後押しもあって、実力を伸ばした千代ノ皇関。高校卒業後の2010年に上京し、当時、元横綱・千代の富士の先代・九重親方が率いていた九重部屋に入門。初土俵から3年で十両に昇進し、17年1月の初場所でついに新入幕を果たしました。
 ところが、右足親指の骨折で17年の3月場所を途中休場すると十両へ陥落。その後も腰痛の再発といったケガに悩まされ、19年1月の初場所では幕下まで番付を下げてしまいます。しかしこの年の7月場所、7戦全勝で自身初の優勝となる幕下優勝を飾り復活の手応えをつかむと、20年には十両に復帰。今年の5月場所では十両筆頭で11勝4敗の好成績を挙げ、4年ぶりの返り入幕を決めました。



来週のスポーツ伝説は……

7/5(月) ラグビー 福岡堅樹選手
7/6(火) バスケットボール富樫勇樹選手
7/7(水) サッカー 鎌田大地選手
7/8(木) サッカー 遠藤航選手
7/9(金) サッカー アントワーヌ・グリーズマン選手

お楽しみに!!
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