スポーツ伝説

2月3日~7日の放送内容

【箱根駅伝 嶋津雄大選手】

 箱根駅伝の見どころは、優勝争いだけではありません。次回の本選出場かけたシード権、「10位争い」も見どころの一つです。今年の箱根駅伝で、この10位争いの主役となったのが創価大学でした。過去、創価大の最高成績は、3大会前の総合12位。そのため、10位以内に入ることはチームの悲願でもありました。創価大は往路で、1区を走った4年生の米満怜選手が、いきなり区間賞をマーク。みごとなスタートダッシュを決めます。その後のランナーも懸命の走りでタスキを受け継ぎ、往路は7位で終えました。しかし復路は例年にないハイペースのレースとなり、創価大は一時、シード圏外の11位に後退してしまいます。しかし、全員が必死でタスキをつなぎ、11位をキープしながら最終10区に。
 その10区を走ったアンカーは、初出場の2年生・嶋津選手でした。遺伝性の目の病気のため、暗い所ではものが見えにくく、冬の早朝練習や夜中の練習でみんなと一緒に走れない、というハンディを抱える嶋津選手。照明のあるトラックを一人で走るなど、努力で不利を補ってきました。結局、嶋津選手は2人を抜いて9位でフィニッシュ。しかも区間新記録で、創価大は悲願のシード権を手にしたのです。
    


【パラ陸上 山本篤選手】

 4年前のリオ パラリンピック 走り幅跳びで銀メダル、4×100mリレーで銅メダルを獲得した山本選手は今、日本のパラスポーツ界を象徴する存在の一人です。昨年11月に行われた世界選手権 走り幅跳びで銅メダルに輝き、東京パラリンピック出場が内定しました。38歳で迎える東京大会。夏季大会は2008年の北京大会から4大会連続の出場になりますが、2年前の平昌冬季大会にもスノーボードで出場しており、通算5度目のパラリンピックとなります。
 今や押しも押されもせぬトップアスリートとなった、走り幅跳びの山本選手。東京パラリンピックで悲願の金メダルを獲得するため、17年にプロ転向を決めました。自らの競技人生の集大成、と位置付ける東京パラリンピックで目指すのは、もちろん悲願の金メダル。そして世界記録の更新です。

  

【ゴールボール 欠端瑛子選手】

 視覚に障害のある選手が、鈴の入ったボールを投げあって得点を競う、パラリンピックならではの競技・ゴールボール。1チーム3人で戦い、コートの広さはバレーボールと同じ。守備側は音を頼りに、全身を使ってゴールを守ります。この競技女子日本代表は、2012年のロンドン大会で金メダルに輝いています。ところが前回のリオ大会は5位、東京大会で再びメダル奪取を目標に掲げています。そんな女子日本代表のキーマンといわれるのが、エースの欠端選手です。
 東京大会が3度目のパラリンピックとなる欠端選手ですが、実は過去2大会は、悔しい記憶ばかりが残っているといいます。ロンドン大会では金メダルを獲得したものの、その時はサブメンバーでチームに貢献しきれない悔しさを味わいました。次のリオ大会では主力メンバーになったものの、準々決勝で敗れて5位。目標は、自分が活躍して手にする、2度目の金メダルです。



【ボッチャ 廣瀬隆喜選手】
 
 パラリンピック正式種目で、脳性まひなど、重度の障害を持つ選手による対戦型の競技「ボッチャ」。ボッチャとはイタリア語でボールの意味です。選手は「ジャックボール」という、目標となる白い球に向かって1人6球のカラーボールを投げ、どれだけ近づけられるかを競います。頭脳戦の要素もあり、“地上のカーリング”と呼ばれるボッチャ。パラリンピックでは個人戦・ペア戦・団体戦が、いずれも男女混合で行われます。そのボッチャ日本代表で、4大会連続パラリンピック出場を内定させているのが廣瀬選手です。
 もともと、車いすで陸上競技をやっていた廣瀬選手。しかし徐々に筋肉の緊張が高くなり、思うように記録が伸びなくなったため、他にできる競技を探していたときに出逢ったのがボッチャでした。高校3年生から本格的に競技を始めると、めきめき頭角を現し、2008年の北京大会で初めてパラリンピックに出場。団体戦は10位でした。12年のロンドンパラリンピックでは、日本は初めて決勝トーナメントに進み、7位。大きな手応えをつかみました。16年リオ大会では、パラリンピック史上初となる団体銀メダルに輝きました。


 
【パラ陸上 鈴木徹選手】
 
 昨年11月、UAEのドバイで行われたパラ陸上の世界選手権。男子走り高跳びで銅メダルに輝き、東京パラリンピック出場を内定させたのが、“義足のハイジャンパー”鈴木選手です。1980年5月生まれで、パラリンピック本番を40歳で迎える鈴木選手。最初のパラリンピック、2000年のシドニー大会から6大会連続出場となります。走り高跳びでは、前々回のロンドン、前回のリオ大会、いずれも4位が最高。あと一歩でメダルを逃すという悔しい思いをしてきました。
 もともとはハンドボールの選手で、高校時代は国体にも出場していた鈴木選手。ところが卒業式の直前、運転中に交通事故に遭い、右足を失ってしまいます。その後、出会ったのが走り高跳び。本格的に競技を始めると、鈴木選手は自己記録をどんどん更新。06年には、ついに夢の2mを成功させます。当時、義足で2mを跳んだのは、史上2人目の快挙でした。15年には、山梨で行われた大会で2m01を跳び、9年ぶりに自身が持っていた日本記録を更新。東京オリンピックでは、新国立競技場でまた2mの壁を越え、メダルの壁も乗り越えます。
 

        
来週のスポーツ伝説は……

2/10(月) プロ野球 嶋基宏選手
2/11(火) プロ野球 牧田和久投手
2/12(水) プロ野球 涌井秀章投手  
2/13(木) プロ野球 アダム・ジョーンズ選手 
2/14(金) プロ野球 中田賢一投手 
                       
お楽しみに!!
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