スポーツ伝説

6月10日~14日の放送内容

【ゴルフ 青木功選手】

 日本人の男子ゴルファーで、4大メジャー大会を制した選手はまだいませんが、過去に限りなくその快挙に近づいたのが、1980年の全米オープンに出場した“世界のアオキ”こと、青木選手です。この年の全米オープンは、ニュージャージー州のバルタスロール・ゴルフクラブで開催されました。予選通過を目指していた青木選手ですが、気付けば“帝王”ことジャック・ニクラウス選手と並び、首位に立っていました。
 世界中が注目するなか迎えた最終日。メジャー制覇が見えてきた途端、青木選手の両肩に、それまでなかったプレッシャーが重くのしかかります。ギャラリーのほとんどがニクラウス選手の勝利を期待する中、最後まで食い下がった青木選手。惜しくもメジャー初制覇はなりませんでしたが、この『バルタスロールの死闘』によって、イサオ・アオキの名前は世界中のゴルフファンに広く知られるようになったのです。


   
【ゴルフ 松山英樹選手】

 全米オープンにおける日本人選手の最高順位は、青木功選手の2位。一昨年、37年ぶりに同じく2位となったのが、松山選手です。一昨年は2月にフェニックス・オープンでアメリカツアー4勝目を挙げ、勢いに乗って全米オープンに臨んだ松山選手。初日は82位でのスタートと出遅れましたが、予選通過が懸かった2日目にメジャー大会自己ベストの「65」をマークし、一気に8位に浮上しました。続く3日目は14位タイに後退。最終日は「ビッグスコアを出すしかない」と開き直り、首位に2打差と迫って再びトップを射程圏内にとらえました。
 そして最終18番ホール、この日8つめのバーディで締めくくってホールアウト。この時点で首位とは1打差で、後続の組の結果次第では初のメジャー優勝も期待できる状況でしたが、首位を行くアメリカのブルックス・ケプカ選手が14番ホールから3連続バーディと圧巻のゴルフで優勝。松山選手は4打差の2位タイとなり、メジャー制覇はお預けとなりました。



【ゴルフ ブルックス・ケプカ選手】

 今年で119回目を数える、全米オープンゴルフ。この歴史ある大会で昨年、アメリカのケプカ選手が29年ぶりとなる大会連覇を達成しました。2017年の大会は、松山英樹選手の猛追を振り切り、通算16アンダーというハイスコアでメジャー初優勝を飾ったケプカ選手。しかし半年後に左手首を故障。18年シーズンはツアー前半の試合を棒に振り、ようやく復帰できたのは4月末のこと。コンディション調整に苦しむなかで迎えたのが、昨年6月の全米オープンでした。
 前年とはうって変わって、我慢比べとなった18年大会。最終日に4人が首位で並ぶという大混戦になりました。そんな中、ケプカ選手は我慢のゴルフで他の選手を振り切り、史上7人目・29年ぶりとなる全米オープン連覇の金字塔を成し遂げたのです。
   

    
【サッカー リバウド&ロナウド選手】
 
 南米大陸のサッカー強豪国同士が、意地とプライドをぶつけ合うコパ・アメリカ。今年の大会は日本代表が出場することもあり、これまで以上に話題を集めています。前回、日本代表が出場したのは1999年のこと。この時は2敗1分けで予選リーグ敗退となり、南米勢の強さをまざまざと見せつけられました。その99年大会で強さが際立っていたのが、サッカー王国ブラジルです。前年、98年のワールドカップでは、優勝候補に挙げられながら決勝戦で開催国のフランスに完敗。それだけに、連覇が懸かっていたコパ・アメリカは、名誉挽回のためにも、並々ならぬ決意で臨んでいました。
 そんなチームで攻撃の中核を担ったのが、名前の頭文字がともに「R」で始まる2人のスター。1人は、ブラジル代表の背番号10、“左足の魔術師”リバウド選手。もう1人が、史上最高のストライカーと呼ばれる“怪物”ロナウド選手です。この「ツーアール」がグループステージ初戦から爆発。ロナウド選手が2ゴール、リバウド選手がダメ押し点を挙げ、7対0と大勝して好スタートを切りました。その後も2人の勢いは留まるところを知らず、決勝のウルグアイ戦も、「ツーアール」のアベックゴールで3対0と快勝。みごと、コパ・アメリカ連覇を果たしたのです。大会得点王は、リバウド選手とロナウド選手がともに5ゴールを決めてダブル受賞。大会MVPは決勝で2ゴールを決めたリバウド選手が輝きました。
  

 
【サッカー ガブリエル・バティストゥータ選手】
 
 サッカーどころ・南米大陸のスター選手たちが集う、南米大陸選手権 コパ・アメリカ。この大会を得意にした伝説のストライカーが、元アルゼンチン代表のバティストゥータ選手です。ゴールへの抜群の嗅覚と、ダイナミックかつ正確なプレーでゴールを次々に決める姿は“バティ・ゴール”と呼ばれました。バティストゥータ選手が初めてアルゼンチン代表に選ばれたのは1991年、22歳の時でした。コパ・アメリカにも代表メンバーに選出され、大会初戦でいきなりゴール。チームを勝利に導きます。このゴールで勢いづくと、決勝戦まで毎試合のようにゴールを量産。大会6ゴールで得点王に輝き、アルゼンチンの優勝に大きく貢献したのです。
 この活躍で一気に世界的ストライカーの仲間入りを果たし、イタリア・セリエAに活躍の場を変えたバティストゥータ選手。コパ・アメリカの93年大会では決勝戦で2ゴールを決め、母国の大会連覇に貢献。95年大会では準々決勝で敗れたにもかかわらず4ゴールを決め、2度目の得点王に輝きました。

        
 
来週のスポーツ伝説もお楽しみに!!
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