スポーツ伝説

12月12日~16日の放送内容

【NBA ティム・ダンカン選手】
 
 プロスポーツ選手にとって何よりの喜びは、個人成績で傑出した数字を残すことよりも、所属チームが優勝すること。そのために優勝の可能性の高いチームへ移籍するのは、どの競技でも当たり前になりつつあります。そんな中、ダンカン選手はアメリカのプロバスケットボールリーグ・NBAで、一度も移籍することなくチームに何度も優勝をもたらしたスーパースター。今年、現役引退を表明したダンカン選手は、サンアントニオ・スパーズ一筋19年で、“歴代最高のパワーフォワード”と呼ばれました。
 現役生活19シーズンで、ダンカン選手が出場したレギュラーシーズン公式戦の勝敗は、1072勝438敗。勝率は7割1分。同一チームで1000勝を成し遂げたのは史上3人目の快挙であり、勝率はNBA史上最高記録だそうです。現役最終年となった2015−16年シーズンの平均得点は8.6点と、全盛期の半分にも満たない数字でしたが、最後の試合となったプレーオフ西地区準決勝第6戦では19得点。まるで全盛期を思い起こさせる勇姿を置き土産に、ダンカン選手は静かにコートを去って行きました。


 
【NBA ケビン・ガーネット選手】

 世界最高峰のプロバスケットボールリーグ・NBAのリーグ開幕を間近に控えた9月下旬、ミネソタ・ティンバーウルブズのスーパースター、ガーネット選手が現役引退を表明し、ファンを驚かせました。21年のキャリアで、オールNBAチーム選出が9回。オールスターゲームの出場回数15回を誇り、2003-04シーズンには、シーズンMVPを受賞。08年には移籍したボストン・セルティックスの優勝に貢献してシーズン最優秀守備選手にも選出されるなど、NBAの歴史に燦然と輝く活躍を続けてきました。
 そんなガーネット選手も、ここ数年はケガや若手選手の台頭で出場機会が減少。そこで彼は最後の舞台として古巣のウルブズに戻り、若手の指南役としてプレーする道を選びました。“スーパースター・チームメイト”ガーネット選手は、最後の最後まで、チームのことを考え続けながらコートに別れを告げたのです。
 

       
【プロ野球 背番号51列伝】

 今年のプロ野球を盛り上げた選手といえば、“神ってる男”広島カープの鈴木誠也選手が思い浮かびます。背番号51を背負い、打率3割3分5厘はセ・リーグ2位。外野守備でもゴールデングラブ賞を受賞する活躍で、カープの25年ぶりのリーグ制覇に大きく貢献しました。背番号51といえば、メジャーリーグで活躍するイチロー選手がオリックス時代から身に着けてきた背番号として有名です。またカープの51といえば、イチロー選手も憧れた天才バッター・前田智徳選手の若手時代の番号としても知られています。カープファンは鈴木誠也選手の活躍に、前田選手の姿も重ねて応援しているのです。
 今年も背番号51をつけ、メジャー通算3000本安打など数々の偉業を成し遂げたイチロー選手ですが、メジャー移籍当初は、シアトル・マリナーズで51番を背負ったことに、一部ファンから否定的な意見も上がりました。なぜなら、イチロー選手の前にマリナーズで背番号51をつけていたのが、“ビッグ・ユニット”の愛称で親しまれたメジャー最強左腕、ランディ・ジョンソン投手だったからです。しかしイチロー選手は自らのバットで結果を残し続け、ファンの不満の声を封印。加えて、イチロー選手が守るセーフコ・フィールドのライトは「エリア51」の名前でファンに親しまれるようになり、今では「ランディ・ジョンソンと連名で永久欠番へ」という声も起こっているほどです。
 メジャーリーグでは、他にも51番を永久欠番にした選手が二人います。一人は、ヤンキース一筋16年、通算2336安打を記録したバーニー・ウィリアムス選手。そしてもう一人が、パドレスなどで活躍し、メジャー史上初の通算600セーブを記録したトレバー・ホフマン投手です。実はホフマン投手は、1993年に創設されたばかりのフロリダ・マーリンズでメジャーデビューを果たしました。もちろん、背番号は51。現在、球団名はマイアミ・マーリンズに変わりましたが、イチロー選手の51番は、ホフマン投手の背負った番号を受け継いでいるのです。

  
   
【体操 塚原直也選手】
 
 2004年のアテネオリンピック・体操男子で28年ぶりの団体総合制覇に貢献、日本初の“親子金メダリスト”となった塚原選手が、今年3月に都内で引退会見を行いました。オリンピックに3回出場した塚原選手ですが、若手の台頭で日本代表入りが難しくなると、13年にオーストラリア国籍を取得。オーストラリア代表としてリオ行きを目指していましたが、国内選考会で敗れて出場はなりませんでした。
 日本に帰国した塚原選手に、鉄棒で「月面宙返り」を編み出し、オリンピックでは1968年のメキシコ大会から3大会連続で金メダルを獲得した父親の塚原光男さんは、引退を勧告。自分の後を継いで、朝日生命体操クラブの総監督に就任するよう要請しました。子どもの頃から「塚原の息子」と言われ、常に「父親超え」を意識して現役生活を送ってきた塚原選手。「父は、今も変わらぬ永遠のライバルです。この勝負はまだ終わっていない。指導者として、父を超えられるように頑張りたい」と宣言しています。4年後の東京オリンピック、さらにその先に向けて、指導者としての新たな活躍に期待です。

   
  
【ハンマー投げ 室伏広治選手】

 今年6月に、愛知県で行われた陸上日本選手権。リオデジャネイロオリンピックの代表最終選考会を兼ねており、2年ぶりに出場したハンマー投げの“鉄人”室伏選手に注目が集まりました。1995年から2014年まで、日本選手権を20連覇。ここで好成績を残せば、5大会連続のオリンピック出場が実現しましたが、自己ベストに20m以上及ばない成績で12位に終わりました。リオ行きの切符を逃した室伏選手は競技終了後、41歳で事実上の引退を表明。長年拠点を置いた愛知で、その偉大な競技人生に幕を下ろしました。
 ドーピングに走る選手が後を絶たない投てき競技で、自分の体を徹底的に研究し、頂点に立った室伏選手の姿勢は、まさにアスリートの鑑。今後は2020年の東京オリンピックに向け、後進の指導やスポーツ界の発展に力を注いでいく予定です。


   
来週のスポーツ伝説は……

  12月19日(月) サッカー ヨハン・クライフ氏
  12月20日(火) ラグビー 平尾誠二氏
  12月21日(水) プロ野球 山本功児氏
  12月22日(木) プロ野球 豊田泰光氏
  12月23日(金) プロ野球 山本一義氏
            
                       お楽しみに!!
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