5月19日
■1990年■日本ダービー〜アイネスフウジン&中野栄治〜

◇1990年の主なニュース

  ・東西ドイツ統一
  ・大阪で花博が開かれる
  ・礼宮さま・紀子さまご結婚
  ・イラクのクウェート侵攻

◇1990年のスポーツ

  ・ルーキー野茂投手が新人最多奪三振記録を更新。
最多勝・最優秀防御率・最多奪三振・最高勝率の主要4冠を独占
  ・日本シリーズで、巨人が西武に屈辱の4連敗。
  ・この年生まれのアスリートはフィギュアの浅田真央


 まだバブルがはじける直前の1990年。
 日本の中央競馬は87年の武豊デビュー、88年に登場したオグリキャップの人気が
 追い風となり、空前のブームを迎えていた。
 5月27日、日本ダービーの当日、東京競馬場に詰め掛けた観衆は19万人超。
 レースは、22才の横山典弘が騎乗するメジロライアンが一番人気。
 21歳の武豊騎乗、皐月賞馬・ハクタイセイが二番人気。
 皐月賞2着のアイネスフウジンが三番人気だった。
 若い女性ファンを獲得していた横山典や武豊に対して、アイネスフウジンの
 中野栄治は36歳の中堅騎手。騎手としては脂が乗り切る年齢だが、
 中野は体重管理の失敗や交通事故などで騎乗馬に恵まれず、
 大きなレースに勝てないことはもちろん、このまま成績が上がらなければ
 引退も考えなければいけない境遇であった。
 しかし、レースは逃げたアイネスフウジンがそのまま押し切って、
 2分25秒3の当時のダービーレコードで優勝。
 19万人の観衆はアイネスフウジンのウイニングランを待った。
 ところが、アイネスフウジンは向こう正面からなかなか戻ってこない。
 そこでどこからともなく巻き起こったのが、「ナカノ、ナカノ」のコールである。
 
 二宮は夏の新潟競馬を取材した際、中野栄治といっしょに飲む機会があった。
 騎手の中でも酒豪で知られる中野の飲みっぷりは豪快だった。
 行きつけの料亭に芸者を呼んでパーッと飲んでは、芸者さんに花代を渡して、
 「さあ、次に行こう」と5分くらいで席を立つ。
 4週間の短い新潟開催。飲みにいける日も限られているので、
 行きつけの店に全部顔を出そうということだったのだろう。
 5分飲んでは花代を渡して、次の店というお金の払い方も粋だった。
 それでいて、次の早朝には合羽を着て、騎乗馬に調教をつけている。

 それでも競馬ブームに乗り遅れた、峠の過ぎたオヤジ騎手。
 アイネスフウジンのダービーは、最後の大きなチャンスだった。
 中野には子供が4人いた。子供たちは友達から「パパはお仕事何やってるの?」と
 聞かれても、胸を張って「競馬の騎手」だとは言えない。
 ブーム以前からの競馬ファンしか中野栄治の名前を知らなかった。

 その中野が19万人の「ナカノ」コールに包まれて、ウイニングランで
 メインスタンド前に帰ってきた。
 中野の妻は子供たちを連れて、ゴール付近に向かって走った。
 「これがあなたたちのパパなのよ」。

 まだ二十歳の中野は、かつて妻にこんなプロポーズをした。
 「ダービー獲ったら結婚しよう」
 以来、16年の月日が経っていた。
 ついにダービージョッキーとなった夫に妻は言った。
 「私たち、やっと結婚できたね」

 そんなドラマを知ってか知らずか、競馬史上初めて、いやスポーツ界でも
 空前絶後の19万人の「ナカノ」コール。
 オグリキャップが奇跡のラストラン。中山に「オグリ」コールがこだましたのが
 この年の有馬記念だったが、その前に、「ナカノ」コールがあった。
 1990年は競馬人気の頂点だった。






 
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