8月18日
■男子マラソンに挑む佐藤敦之選手の心の師■
山本  北京オリンピックを目指すアスリートにスポットを当てる
    このコーナーですが、今回も、アスリートをサポートする方に
    お話をうかがいたいと思います。
    24日、最終日を飾る種目「男子マラソン」。
    日本からは、中国電力の尾方剛選手、佐藤敦之選手。
    NTT西日本の大崎悟史選手の3名が出場します。

    その中で、佐藤敦之選手の高校時代の恩師、という
    越尾咲男(こしおさくお)先生に電話でお話をうかがいます。

山本  越尾先生、こんばんは。はじめまして。

越尾  はじめまして。よろしくお願いします。

山本  佐藤敦之選手は、福島・会津若松市のご出身で、
    越尾先生は、県立会津高校・陸上部の顧問でいらした。
    越尾先生ご自身も、日体大時代、箱根駅伝のアンカーをつとめて、
    優勝のゴールを切ったことがあるランナーだったそうですね。

越尾  昭和45年の箱根駅伝でした。

山本  高校時代の佐藤選手はどんな選手でしたか?

越尾  非常に向上心があって、集中力が高い選手でした。

山本  そもそも長距離をやっていたんですか?

越尾  中学はサッカー部だったそうですが、高校で本格的に始めました。
    中学2年の1500mで優勝したのが陸上に行くきっかけでした。

山本  佐藤選手は本当は駅伝の強い高校に行きたかったそうですね?

越尾  高校駅伝にも福島代表として出ている田村高校というところに行きたかったらしい
    のですが、両親が将来のことを考えて会津高校を勧めたそうです。

山本  それでふてくされている時期もあったとか?

越尾  一年生のときは体調を崩していたこともあって、あまり奮わなかったようです。

山本  何がきっかけだったんですか?

越尾  二年生になるとき、私は会津高校に赴任したんですが、
    その異動の記事が出た新聞を見て、自宅に電話をくれたんです。
    「会津高校の陸上部の佐藤敦之です。よろしくお願いします」と。

二宮  どんな点に注目しましたか?

越尾  狙った大会では必ず結果を出す。
    将来マラソンにいったらいいと思っていました。
    有言実行といいますか、口に出したら必ずやる子なので、
    トレーニングをやりすぎることがありました。
    私が八分目くらいにおさえるようにしていました。
    悪コンディションに強く、暑さ・寒さにも強いです。

山本  福島の英雄、円谷選手に憧れていたようですね?

越尾  お父さんやお母さんに円谷選手について聞いたようですね。
    円谷選手以来、福島県出身選手として四十四年ぶりに走れる
    ということで喜んでいます。

山本  早稲田を卒業した後は中国電力でやっていますが、
    何かあると越尾先生のところに来るそうですね。

越尾  ときどき福島で合宿をやるので旅館を紹介してもらいたいとか
    私のところを訪ねてきます。

二宮  佐藤選手がオリンピックを意識したのはいつ頃でしょう?

越尾  高校時代からオリンピックでマラソンを走りたいと話していました。
    アテネを狙っていましたが、私は北京くらいがいいと思っていました。

二宮  北京ではこのくらいを狙うといった目標は話していましたか?

越尾  自分のレースをすれば北京ではいい結果が出ると話していました。

山本  先生ご自身も北京へ行かれるそうですね?

越尾  北京代表に決まってから後援会を立ち上げました。
    協賛金を集めて、物心両面でサポートしようということで、
    8月23日から26日までツアーを組みまして、23人で応援に行きます。

山本  佐藤選手のご健闘を祈ります。ありがとうございました。

越尾  ありがとうございました。




 
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