05月15日東京都 豊島区

街歩き 東京都豊島区編

豊島区の中心、池袋。
昭和53年、1978年にランドマークと言える施設「サンシャインシティ」が誕生。
高さが239.7メートルの超高層ビル「サンシャイン60」、
ホテルや水族館、アミューズメント施設、専門店街、
ホールやオフィス、マンションまでを有する、まさに「シティ」です。

この「サンシャインシティ」の南に、
昨年5月に完成したのが、豊島区役所。
地上49階・地下3階のモダンなビルで、日本初のマンション一体型本庁舎です。
外観と一部共用部のデザイン監修は、日本を代表する建築家・隈研吾。

「区役所部分の最上階に当たる10階にあるのが、
  この屋上庭園『豊島の森』ね。
   へえ、かつて豊島区に存在した自然環境を再現してるんだ」

遊歩道にそって様々な種類の草木が植えられ、
小川のせせらぎ、メダカの泳ぐ池もあります。

また、3階のエレベーター近くには、
地面から天井まで備え付けられた格子状の棚に、
ずらりと並ぶ、「ふくろうコレクション」。
豊島区はふくろうが羽を広げた形をしていること、
また池袋は「いけ“フクロウ”」に語感が似ていることから、
これまでに様々なふくろうが寄贈されたのだとか。

大きな目で、街を見守っています。

-----

豊島区には、立教大学、学習院大学、大正大学をはじめ、
川村学園女子大学や東京音楽大学など、多くの大学があります。

学生の街になったのは、明治40年代のこと。
豊島師範学校が開校、また学習院や立教大学が区内に移転。
そして、大正10年、1921年には、
日本人初の女性ジャーナリスト、羽仁もと子が、夫・吉一とともに
キリスト教精神に基づく教育理念の学校
「自由学園」を設立しました。

1922年に完成した自由学園の校舎。「自由学園明日館」と呼ばれます。
設計は、「近代建築の三大巨匠」に数えられるフランク・ロイド・ライト。
現在、学校としての機能は東久留米市へ移転、
「明日館」は国の重要文化財に指定されています。

「芝生の広場の向こうにある、白い壁に緑がかった屋根の建物。
  真ん中の少し背の高いのが中央棟、
   そこから左右に伸びるのが教室棟ね。
    ライトならではの、直線を強調した、
     しっかり大地に根を下ろした建築ね」

中央棟の大きな窓に、明るい光が降り注いでいます。

-----

昭和40年ごろまで都民の足として広く親しまれてきた路面電車。
東京都営で現在残っているのは、荒川線だけ。

雑司が谷二丁目にある、鬼子母神前停留場。
ここから北へ、立派なケヤキ並木の参道を歩いたところにあるのが、
法明寺鬼子母神堂です。

元は弘仁元年、810年に開かれた、威光寺。
正和元年、1312年、威光山法明寺と名を改め、現在に至ります。
鬼子母神堂は、この法明寺の飛び地境内になります。

室町時代、鬼子母神が安置されると、次第に信仰が盛んになり、
このあたりは門前町として賑わいました。

「うわぁ、この境内の立派な大公孫樹!
  樹齢は600年以上! 鬼子母神は安産や子供を守る神様なのよね」
 
鬼子母神の向かいには「雑司が谷七福神」のひとつ、大黒天が祀られ、
たくさんの参拝者で賑わっています。

-----

豊島区の東部にある、巣鴨。
「おばあちゃんの原宿」と呼ばれる巣鴨地蔵通りは、
江戸時代、日本橋から中山道を進み、最初の休憩所だった場所。

明治24年、1891年、
「とげぬき地蔵尊」として親しまれる寺・高岩寺が
上野からこの地に移転すると、お参りの人でさらに賑わうようになりました。

本尊・延命地蔵菩薩が「とげぬき地蔵」と呼ばれるのは、
昔、誤って針を飲んだ女性に
延命地蔵菩薩の姿を写したものを飲ませたところ、
その針が尊影を貫いて出てきたことから。

延命地蔵菩薩は秘仏で、実際に見ることはできませんが、
その姿を元に作られた御影に祈ることで、
同じ御利益があると言われています。
5月24日は一年に三回ある大祭の中でも、最も賑わう日。
たくさんの人が参拝に訪れます。

「 地蔵通りに露店がいろいろ!
 もの売りの声に、ついつい目を奪われるわ」

この賑わいに背中を押されるようにして、商店街を歩きます。


------

<街歩きパートの曲紹介>

豊島区の町歩きと併せてお届けした曲は‥

  M1‥K.C.& ザ・サンシャイン・バンド、「ザッツ・ザ・ウェイ」
  M2‥スパンダー・バレエ、「トゥルー」
  M3‥クール & ザ・ギャング、「ゲット・ダウン・オン・イット」
  M4‥バルティモラ、「ターザン・ボーイ」
  M5‥カルチャー・クラブ、「ミス・ミー・ブラインド」
    そして
  M6‥ABBA、「ダンシング・クイーン」でした。



<花鳥風月〜旬の言の葉>

四季、時とともに移りゆく春夏秋冬。
そして、自然の流れにそうように存在する、数々の言葉。
彩りのある日本語を、季節の歌とともにお届けする
「花鳥風月〜旬の言の葉〜」
今回、注目するのは…『潮干狩り』

日本には日々の暮らしに溶け込み、
心和ませるいくつもの風物詩が1年を通じて巡ってきます。
それらが季節の景色を彩り、風にのって薫り、聴こえ…私達のまわりを包むことで、
趣きのある言葉が紡ぎ出されます。
花鳥風月、季節ごとの草花や生き物、旬の味覚、年中行事、詩まで、
日本の気候風土に寄り添うように存在している数々の言葉を知ることで、
日常生活を心豊かなものにしたいですね。
今回、ご紹介する旬の言の葉は、『潮干狩り』。

歴史は古く平安時代の絵画や、江戸時代の浮世絵に描かれ、
また和歌にも詠まれていました。
庶民の行楽になったのは江戸時代からで、
その後、明治・大正時代に全国的に行われるようになりました。
春から初夏の風物詩の1つです。
春先から今の時期は1年の中で最も潮の干満の差が激しく、
千潮時には遥か沖まで干潟が続いて歩いて行けるほどになります。
その現象を潮干といい、
潮干を利用して貝を獲るので潮干狩りと呼ぶようになった、とされます。
ベストポイントは波打ち際。
そして、コツは波打ち際にブツブツと開いている小さな穴を見付けること。
その穴は貝が呼吸をするために出している呼吸管です。
アサリ、ハマグリ、バカガイなど、獲れる貝は地域によって異なりますが、
特にアサリは1ヶ所に集まって生息することが多いので、
1つ見付けたら移動せずに、その周辺を浅く広く掘ると良いとか。
また、収穫した貝を持ち帰る際は
真水で洗ってヌメリをとってから、貝が隠れるほどの海水を入れた容器へ。
帰宅後は平たい容器に貝が重ならないように置き、
海水に1晩浸して砂抜きをしましょう。


   M1‥浜田省吾、「五月の風に」
   M2‥今井美樹、「Anniversary」