05月22日鹿児島県 日置市
街歩き「鹿児島県日置市」編
大河ドラマ「篤姫」で一躍脚光を浴びた,小松帯刀。
薩摩藩家老として明治維新に尽力するも、36才の若さで死去。
維新後の活躍が果たせなかったことを惜しみ「幻の宰相」と呼ばれています。
帯刀が眠るのが、小松家の菩提寺でもある「園林寺跡」。
幕末維新の廃仏毀釈で、本尊である阿弥陀如来像など、その多くを喪失。
墓地へと続く道の入り口にある、首のない仁王像が、
その不幸な歴史を物語っています。
歴代の小松家の墓と並ぶ形で、小松帯刀の墓があります。
「へえ、異国情緒あふれるお墓なのねえ。
あっ、隣には、帯刀の妻お近のお墓もある。」
聞けば大河ドラマ「篤姫」の放映以降,
新しい観光スポットにもなっているのだとか。
周辺には田畑が広がり,のどかな山里の風景が今も残る園林寺跡。
それでも帯刀の墓に花を手向けに来る人は後を絶ちません。
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薩摩焼の里、美山。
鹿児島県最大の薩摩焼の産地として、今も10以上の窯元が点在しています。
朝鮮出兵の折、島津義弘とともに
朝鮮から沢山の陶工たちが薩摩に渡りました。
彼らが美山に移り住んだことが、薩摩焼きのはじまりとなったのだとか。
以来400年に渡って、窯の火は絶えることなく、静かに燃え続けています。
竹林や古い生け垣に囲まれた家が並ぶ静かな小道。
庭先には大きな「かめ」が置かれていたり、
塀の中には「登り窯」や「穴窯」を見つけることができるなど、
焼き物の里ならではの静寂な風情が漂います。
私も窯元を巡ります。
「へえ、薩摩焼には『白もん』と『黒もん』の2種類があるんだ。
白もんは、かつては藩主の手にしか渡らなかった白い焼き物のこと。
で、黒もんは、民衆の生活の中で広く使われてきたものなんだ。
どっちも味わいがあって、何買おうか迷っちゃうなあ」
自然を感じながら、お気に入りの窯元や工房にふらりと寄り道‥
これぞ美山散策の醍醐味です。
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江戸時代の初めに発見されたと言われる「湯之元温泉」。
戦国時代に活躍した島津義久の家臣の日記にも登場することから、
400年以上前から温泉は湧き出ていたようです。
江戸時代、浴場を管理したのは、薩摩藩。
そのため「御前湯」「地頭湯」など、
身分によって入れるお湯が決まっていました。
現在も湯量は豊富で、泉源は44ケ所もあり、無色透明な湯が湧き出ています。
「めぐみの湯 錦龍館」へ。
もともとは大正時代に創業した温泉旅館。
現在は、日帰り温泉施設となっています。
岩風呂風の露天風呂。
広々とした空間は、解放感も抜群です。
広い空を眺めながら、体の芯からリラックス‥極上の時間が流れます。
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日吉地域に伝わる「お田植え祭り」、「せっぺとべ」。
その起源ははっきりとはわかりませんが、日置島津家三代・常久が
1595年、文禄4年に
八幡神社を日置総鎮守と定めたことから、これ以後に始まったとされています。
「せっぺとべ」とは「精一杯跳べ」の意味があるんだとか。
十数メートルもの長い唐竹の先端に団旗を付けた「看板竿」と
薄く削って束ねた松の木をつけた「しべ竿」を、
若者たちが、田圃の中を走って運びます。
倒れるようになるとどよめきが起き、首尾よく行くと拍手喝采です。
看板竿が立つと、いよいよ『せっぺとべ』のはじまりです。
若い衆が田んぼの中で焼酎を回し飲みし、肩を組み合って
唄を歌いながら勢いよく飛び跳ねます。
その動作には、足踏みで土をこね、耕す意味と、害虫を踏み潰す意味があり、
今年一年の豊作を祈願します。
飛び散る泥と、水しぶき。
あっという間に、若者たちの白装束は真っ黒に。
春の喜びに溢れた田んぼには、威勢の良い歌声が響きます。
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<街歩きパートの曲紹介>
日置の町歩きと併せてお届けした曲は
M1‥ビー・ジーズ、「若葉のころ」
M2‥マイケル・ブーブレ、「ホーム」
M3‥マシュウ・ワイルダー、「想い出のステップ」
M4‥シャカタク、「ナイト・バーズ(アコースティック・セッションズ)」
M5‥ヒューマン・リーグ、「愛の残り火」
そして
M6‥メイレイ、「永遠のハーモニー」でした。
<花鳥風月〜旬の言の葉>
四季、時とともに移りゆく春夏秋冬。
そして、自然の流れにそうように存在する、数々の言葉。
彩りのある日本語を、季節の歌とともにお届けする
「花鳥風月〜旬の言の葉〜」
今回、注目するのは…『牡丹』
日本には日々の暮らしに溶け込み、
心和ませるいくつもの風物詩が1年を通じて巡ってきます。
それらが季節の景色を彩り、風にのって薫り、聴こえ…私達のまわりを包むことで、
趣きのある言葉が紡ぎ出されます。
花鳥風月、季節ごとの草花や生き物、旬の味覚、年中行事、詩まで、
日本の気候風土に寄り添うように存在している数々の言葉を知ることで、
日常生活を心豊かなものにしたいですね。
今回、ご紹介する旬の言の葉は、『牡丹』。
「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」といいますね。
この言葉で芍薬は女性の華麗さを、牡丹は清楚なさまを、
百合は美しさを表していて、美人を形容する三大花です。
芍薬と牡丹はよく似ていますが、葉を見れば違いが分かります。
葉が丸くて切れ込みが無いのは芍薬で、
葉がギザギザで切れ込みが有るのが牡丹です。
原産国は中国。
根の皮に鎮痛や消炎効果があることから、治療薬として栽培されていました。
日本には平安時代に弘法大師・空海によってもたらされ、
その後、花の美しさに魅了された聖武天皇が
栽培を奨励したといわれます。
有名な随筆「枕草子」や「蜻蛉日記」などにも登場し、
また江戸時代には家紋の柄としても人気に。
牡丹イコール、富や華麗さの象徴とみなされていました。
花言葉は「王者の風格」や「富貴」「高貴」「壮麗」などで、
華々しく咲いて、最後は豪快に崩れていく…という、潔い姿を物語っています。
M1‥杉並児童合唱団、「風の通り道」
M2‥Cocco、「樹海の糸」
大河ドラマ「篤姫」で一躍脚光を浴びた,小松帯刀。
薩摩藩家老として明治維新に尽力するも、36才の若さで死去。
維新後の活躍が果たせなかったことを惜しみ「幻の宰相」と呼ばれています。
帯刀が眠るのが、小松家の菩提寺でもある「園林寺跡」。
幕末維新の廃仏毀釈で、本尊である阿弥陀如来像など、その多くを喪失。
墓地へと続く道の入り口にある、首のない仁王像が、
その不幸な歴史を物語っています。
歴代の小松家の墓と並ぶ形で、小松帯刀の墓があります。
「へえ、異国情緒あふれるお墓なのねえ。
あっ、隣には、帯刀の妻お近のお墓もある。」
聞けば大河ドラマ「篤姫」の放映以降,
新しい観光スポットにもなっているのだとか。
周辺には田畑が広がり,のどかな山里の風景が今も残る園林寺跡。
それでも帯刀の墓に花を手向けに来る人は後を絶ちません。
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薩摩焼の里、美山。
鹿児島県最大の薩摩焼の産地として、今も10以上の窯元が点在しています。
朝鮮出兵の折、島津義弘とともに
朝鮮から沢山の陶工たちが薩摩に渡りました。
彼らが美山に移り住んだことが、薩摩焼きのはじまりとなったのだとか。
以来400年に渡って、窯の火は絶えることなく、静かに燃え続けています。
竹林や古い生け垣に囲まれた家が並ぶ静かな小道。
庭先には大きな「かめ」が置かれていたり、
塀の中には「登り窯」や「穴窯」を見つけることができるなど、
焼き物の里ならではの静寂な風情が漂います。
私も窯元を巡ります。
「へえ、薩摩焼には『白もん』と『黒もん』の2種類があるんだ。
白もんは、かつては藩主の手にしか渡らなかった白い焼き物のこと。
で、黒もんは、民衆の生活の中で広く使われてきたものなんだ。
どっちも味わいがあって、何買おうか迷っちゃうなあ」
自然を感じながら、お気に入りの窯元や工房にふらりと寄り道‥
これぞ美山散策の醍醐味です。
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江戸時代の初めに発見されたと言われる「湯之元温泉」。
戦国時代に活躍した島津義久の家臣の日記にも登場することから、
400年以上前から温泉は湧き出ていたようです。
江戸時代、浴場を管理したのは、薩摩藩。
そのため「御前湯」「地頭湯」など、
身分によって入れるお湯が決まっていました。
現在も湯量は豊富で、泉源は44ケ所もあり、無色透明な湯が湧き出ています。
「めぐみの湯 錦龍館」へ。
もともとは大正時代に創業した温泉旅館。
現在は、日帰り温泉施設となっています。
岩風呂風の露天風呂。
広々とした空間は、解放感も抜群です。
広い空を眺めながら、体の芯からリラックス‥極上の時間が流れます。
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日吉地域に伝わる「お田植え祭り」、「せっぺとべ」。
その起源ははっきりとはわかりませんが、日置島津家三代・常久が
1595年、文禄4年に
八幡神社を日置総鎮守と定めたことから、これ以後に始まったとされています。
「せっぺとべ」とは「精一杯跳べ」の意味があるんだとか。
十数メートルもの長い唐竹の先端に団旗を付けた「看板竿」と
薄く削って束ねた松の木をつけた「しべ竿」を、
若者たちが、田圃の中を走って運びます。
倒れるようになるとどよめきが起き、首尾よく行くと拍手喝采です。
看板竿が立つと、いよいよ『せっぺとべ』のはじまりです。
若い衆が田んぼの中で焼酎を回し飲みし、肩を組み合って
唄を歌いながら勢いよく飛び跳ねます。
その動作には、足踏みで土をこね、耕す意味と、害虫を踏み潰す意味があり、
今年一年の豊作を祈願します。
飛び散る泥と、水しぶき。
あっという間に、若者たちの白装束は真っ黒に。
春の喜びに溢れた田んぼには、威勢の良い歌声が響きます。
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<街歩きパートの曲紹介>
日置の町歩きと併せてお届けした曲は
M1‥ビー・ジーズ、「若葉のころ」
M2‥マイケル・ブーブレ、「ホーム」
M3‥マシュウ・ワイルダー、「想い出のステップ」
M4‥シャカタク、「ナイト・バーズ(アコースティック・セッションズ)」
M5‥ヒューマン・リーグ、「愛の残り火」
そして
M6‥メイレイ、「永遠のハーモニー」でした。
<花鳥風月〜旬の言の葉>
四季、時とともに移りゆく春夏秋冬。
そして、自然の流れにそうように存在する、数々の言葉。
彩りのある日本語を、季節の歌とともにお届けする
「花鳥風月〜旬の言の葉〜」
今回、注目するのは…『牡丹』
日本には日々の暮らしに溶け込み、
心和ませるいくつもの風物詩が1年を通じて巡ってきます。
それらが季節の景色を彩り、風にのって薫り、聴こえ…私達のまわりを包むことで、
趣きのある言葉が紡ぎ出されます。
花鳥風月、季節ごとの草花や生き物、旬の味覚、年中行事、詩まで、
日本の気候風土に寄り添うように存在している数々の言葉を知ることで、
日常生活を心豊かなものにしたいですね。
今回、ご紹介する旬の言の葉は、『牡丹』。
「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」といいますね。
この言葉で芍薬は女性の華麗さを、牡丹は清楚なさまを、
百合は美しさを表していて、美人を形容する三大花です。
芍薬と牡丹はよく似ていますが、葉を見れば違いが分かります。
葉が丸くて切れ込みが無いのは芍薬で、
葉がギザギザで切れ込みが有るのが牡丹です。
原産国は中国。
根の皮に鎮痛や消炎効果があることから、治療薬として栽培されていました。
日本には平安時代に弘法大師・空海によってもたらされ、
その後、花の美しさに魅了された聖武天皇が
栽培を奨励したといわれます。
有名な随筆「枕草子」や「蜻蛉日記」などにも登場し、
また江戸時代には家紋の柄としても人気に。
牡丹イコール、富や華麗さの象徴とみなされていました。
花言葉は「王者の風格」や「富貴」「高貴」「壮麗」などで、
華々しく咲いて、最後は豪快に崩れていく…という、潔い姿を物語っています。
M1‥杉並児童合唱団、「風の通り道」
M2‥Cocco、「樹海の糸」