【福西崇史・ふくにしたかし】 元・サッカー日本代表 (2009年4月27日〜2009年5月1日オンエア)
お話を伺って
毎週様々なアスリートをゲストにお迎えしてお送りしているスポーツリアルトーク。 この番組ホームページでは放送では触れることができなかった部分も含め、 インタビューの内容をお伝えしていきます。
さて、この週のゲストは今年1月に引退されたばかりサッカー元日本代表の福西崇史さんです。
【福西崇史】
愛媛県出身、1976年生まれ32歳。
1995年Jリーグ・ジュビロ磐田入団
2007年〜FC東京
2008年〜東京ヴェルディ
プロ入り後早くから才能を見出され1年目から数多くの試合に出場、2年目以降は中心選手として活躍。
ジュビロ磐田の中心選手として、チームの黄金期を支える。
1999年、2001〜03年と、Jリーグベストイレブンに4度輝く。
J1通算349試合出場62得点
日本代表として2002年日韓W杯、2006年ドイツW杯に出場。
国際Aマッチ通算64試合7得点
サッカーとの出会いは?
住んでいた愛媛県の新居浜市という所は野球が盛んな土地だったんです。
しかし小学校4年生の時、当時良く遊んでいた友達がサッカーを始める事になったんです。
そうなると遊ぶ友達がいなくなり自分もさびしくなってしまうので、一緒にサッカーを始めたんです。
小学校のころは器械体操もやっていて、どちらかと言うと器械体操の方をメインでやっていたんです。
中学校に入って、朝サッカーを練習して、授業を受けて、夕方サッカーして、夜は体操の練習、というスケジュールでやっていたんですが、さすがに一日中出来ないな、と言う事でどちらか選ぼうとしたらサッカーの方がみんなと和気あいあいと出来るのでサッカーの方を選んだと言う感じです。
でも、体操をやっていた事はサッカーにも役立ってました。バランス感覚であったり、空中での姿勢であったり、転ぶ時もすぐ立ち上がる時も、体操をしていた事が活きていると思いました。
最大の挑戦は?
プロに挑戦すると言う事でしたね。スカウトでジュビロ磐田に入ったんですが、高校時代選抜などに選ばれても僕はそこそこの選手だったので「通用するのか?」という思いや不安が大きかったんです。
プロ選手の場合たくさんのチームから声をかけてもらえる選手もいますが、僕の場合はまず「プロになるか、ならないか」という事が挑戦だったんです。
そしてプロに入り、試合に出る機会多くもらいました。試合に使っていただけることはありがたかったんですが、自分の中では「まだ下手くそだったのでなんでだろう?」という思いもありました。
最大の壁・挫折は?
ジュビロ磐田に入団した時、周りはすごい人たちばかりでした、中山さん、藤田さん、名波さん、ドゥンガ、ファネンブルグ、スキラッチ・・・そんなそうそうたるメンバーの中、自分が練習に入った時です。
なかなかついていけなくて、自分がその練習メンバーの中に入ってないくらいの感じでした。
とにかく基本中の基本なんですが、止める・蹴る、という事を全くミスしないのでボールを取れないですし、パスが来ても僕は止められなかったり、練習が終わったらどこにも行けないくらい部屋でバタンと倒れて出かける事も出来ない日々が続きました。
先輩方から疲れてるし励ましも兼ねて「ご飯食べに行こう」と声をかけていただいてもらったのですが、最初のうちは「すいません疲れてて…」とそれにもついていけませんでした(笑)
良く連れて行っていただいたのは名波さんです、あまりサッカーの話はなく、どっちかと言うとオフの話で良くオンオフの切り替えというのを勉強させてもらいました。
あと、僕はプロに入ったときFWだったんですが、すぐにボランチっていう守備的な所をやらないか?と言われて僕の中ですごい戸惑いがあったんです。
そんな中隣を見れば当時世界一のドゥンガ選手がいて、パニックでしたね。皆さんが思われているように厳しい言葉でアドバイスされました、1つよく言われた言葉は「同じミスを繰り返すな」と言われてそればっかり気を付けていました。
試合でも練習でもミスをしたその瞬間に言われましたね、でも英語、日本語、ポルトガル語を交えてて解りやすいようには言ってくれていたみたいです(笑)
ドゥンガさんだけでなく、名波さん服部さんとすごいボランチがいて、レベルの高い人たちと一緒にいた事は、白紙の状態でボランチになった僕にとってすごくいいお手本になった、と、ありがたく思っています。
マイチャレンジソング
絢香さんの「I believe」です。この曲は2006年のワールドカップドイツ大会でちょうど流れていたんですけど、ドキドキしながら会場に入った時とか、自分が早い段階で高揚した時とか、この曲を聞いて気持ちを落ち着かせました。
アップテンポの曲で気持ちを高ぶらせる人もいるんですが、僕は落ち着かせていて「さぁ試合だ」という時に自分でバンと上げる感じでした。
2002年のワールドカップもメンバーに選ばれたのですが、出場したのはロシア戦の5分間のみ。初勝利の時にピッチに立ててスゴイ嬉しかったのですがちょっと引っかかるものもあって、自分の中で貢献できたか?という思いもありました。
その悔しさが2006年のワールドカップの出場につながったと思います。
未来へのチャレンジ
サッカーに携わっていいサッカー選手を育ててサッカー界を盛り上げたいです。監督にしろスクールのコーチにしろサッカー界に力になれればいいな、と思っています。
自分がプレーしてたときは、楽しい時が「サッカーやってるな!」と実感でき一番気持ち良かったので、子供達には楽しい思いをしながらサッカーをしてもらいたいなというのが第一ですね。
時々、子供達にサッカーを教える事にご一緒させていただいていることもあるんですが、自分が教えるという事が初めてでなかなか伝わらなかったりして、今は楽しくやりながらまずは自分に何ができるのかという事を見つけている最中です。
プライベートでの目標なんですが、サッカーをしていた時はマリンスポーツやウィンタースポーツというのは避けていたんですよ、怪我をしたりする可能性も高かったので。引退した今は何も気にせずやってみたいですね。
周りからは「体操をやっていたからすぐできるよ」と言われる事が多いので是非とも挑戦してみたいな、と思っています。
端正な顔立ちにサッカー選手としては意外なほどスレンダーな身体。
語り口も淡々としていてイメージ通り。女性ファンが多かったのも
うなずけます。2002年ワールドカッップ日韓大会ドイツ戦での5分だけの出場が
その4年後のドイツ大会までの原動力になったという福西さん。
夢の大舞台での5分は…とてつもなく大きなものだったのでしょうね。
1月に引退し解説者としてもデビュー。また新たな挑戦が始まったようです。
(政井マヤ)