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【井口資仁・いぐちただひと】プロ野球・千葉ロッテマリーンズ (2009年6月22日〜2009年6月26日オンエア)


毎週様々なアスリートをゲストにお迎えしてお送りしているスポーツリアルトーク。
この番組ホームページでは放送では触れることができなかった部分も含め、
インタビューの内容をお伝えしていきます。

さて、この週のゲストはプロ野球 千葉ロッテマリーンズの井口資仁選手でした。
今年から日本球界に復帰した井口選手に貴重なお話をじっくり伺いました。



【井口資仁】
東京都出身、1974年生まれ現在34歳
国学院久我山高、青山学院大学を経て
1996年ドラフト1位で福岡ダイエーホークス入団。
入団2年目からレギュラーに定着すると走攻守全てでレベルの高い活躍を見せ
ホークスでは2度の日本一に大きく貢献。
2005年メジャーリーグのシカゴホワイトソックス入団
その年にワールドシリーズ制覇。
今年、千葉ロッテマリーンズに入団し日本球界復帰。
メジャー仕込みのプレーでチームを引っ張り、ファンを楽しませています。





 〜野球との出会いは?
父親が軟式野球のコーチをしていまして、兄もそのチームに入っていましたので、土日は必ず付いて行ったので気づいたら自分もユニフォームを着ていました。
しかしその父親からは野球の事に関しては全くアドバイスしてもらったことはないですね、どちらかと言うと母親の方が厳しかったですね。
バッティングに関してもそうなんですが、それ以上に練習に対する取り組み方や姿勢に対しては特に厳しかったです。
「あなたは人が遊ぶ時間に野球をやっているんだからとにかくしっかりやれ」と。
その母親がバレーボールをやっていたので、水曜日はそっちにもついて行ってました。
自分的にはかなりうまいと思っていたので、身長があと20センチあったらそっちの道もあったかな、と思っています。
その後、小学校6年生でリトルリーグに入るのですから、その頃から毎日休みなく「自分は野球選手になるんだ」と思って練習していました。
  〜当時憧れていた選手は?
立浪選手(中日ドラゴンズ)高校卒業してからすぐプロで活躍して、大好きなドラゴンズで同じショートのポジションだったので気づいたら憧れていました。
しかし実際にプロ野球を見に行った事は2回ぐらいしかありませんでした、本当に練習の方が忙しかったので。



 〜最大の挑戦は?
日本で8年間プロとして過ごして、メジャーに挑戦した事です。
大学1年の時に日米野球に選んでいただき、1996年大学4年の時にアトランタオリンピックにも出場し、もう一度彼らとプレーしたいという気持ちが強かったんです。
アメリカも含め、中南米の選手のパワーとスピードに驚かせられまして日本以外のもっと違った野球ができるのではないか?と言う思いもありましたね。
メジャーに行き野球をするという事自体には変わりがないのですが、チームで求められた役割は2番バッター。
それまで日本では3番バッターだったので、チームが勝つためにはどうするか?とチームの流れを読む仕事になったのでその辺が一番難しかったですね。
さらに日本人のメジャーの内野手は自分で2人目だったので失敗したら他の人の後がない、と言う気持ちもありました。
一年目から結果としてチャンピオンになれましたが個人的にはまだまだ出来るな、という気持ちはありましたね。
その優勝パレードですが、日本では4万人5万にんぐらいの規模だったのですが向こうは何十万人の中でのパレード!本当に驚かされました。
自分の中でメジャーを経験できたのは非常に大きな財産になってますし、良い事も悪い事も経験できました。
良い事は日本に持ってきたいと思っていますし、これからメジャーに行きたいという選手もいっぱいいるのでいい相談役になりたいですね。
プレーでは元・メジャーリーガーと言う事でおかげさまで非常に大きな声援をもらっています、その期待にいつでも応えられるようにしたいですね。



 〜一番の挫折は?
昨年肩のケガをして、球場に行ったら「お前はクビだ」と言われた時ですね。
当初手術をすれば、翌年の春ぐらいまではプレーできないと言われてましたし、僕の中ではそこまでの猶予はなかったのでとにかく手術をせずに何が何でも直してやる、と言う形で結局2か月で復帰できたんですけど、
ただ帰った時に自分の居場所がなかったという事は経験したことなかったですし、その中で思うような結果も出ない。
それでGMに呼ばれて「明日から来なくていい」と言われた瞬間はどうしたらいいかわからなかったですね。
しかし、こればっかりはどうしようもないですし、切り替えて違う球団を探すしかなかったですね。
試合に出てなければこういう風になってしまう世界なので、自分の中ですぐリセットはできましたね。
他にもメジャー2年目で指を骨折しながらシーズンを過ごしたんですが、それより痛くなければ出来るな、と言うのが自分の中であります。
今はケガは全くないですし、ケガしたら選手の寿命も縮むと思ってますので常にそこは気をつけてやっています。



 〜井口選手にとってのマイチャレンジソングは?
この8カ月ぐらいハマっているのがマドンナフォー・ミニッツですね。
マドンナは非常に好きで色んな曲を聴いていたんですけど、たまたまサンディエゴに行った時にコンサートがありましてどうしても嫁さんと娘と3人で行こうなりまして、前から10列目ぐらいでマドンナのコンサートを見れましてホントにハマっていますね。
これだけ最初から最後まで歌いまわっているコンサートはなかなかないなって思いましたね。マドンナのコンサートってマドンナがずーっと踊りっぱなしなんですよ。
でも僕は曲自体全部わかるというわけではないのですが、9歳になる娘が「最初の曲は〜〜〜で」と訳してくれて、娘の方がハマってるかも知れません(笑)
 〜娘さんは英語がお得意なんですね
最初の1年までは僕が娘に英語を教えていたんですが、いつの間にか通訳になってもらっていましたね、子供はホントにモノを覚えるのが早いですね。
日本でも家族でいる時間を大切にしていたんですが、アメリカではそれ以上に家族3人でいる時間が多かったですし色んなところに行けたのも良かったですね、家族にとってもアメリカはいい経験になりました。
  〜逆に1人での時間は?
野球以外では車に乗ることが非常に好きですね。シカゴにいた時は片道1時間あったのですが、それが自分自身の色々考える時間になっていましたし、家には野球のことを持ち込まないので帰りも車の中で消化できるといういい時間でしたね。



 〜今後の夢・目標は?
まずはチームとしてクライマックスシリーズに出ることですね。
まだ巻き返しの聞く時期でもありますし、そういうゲーム差でもあるのでもっともと細かいプレーをしてチームが上に行けたらいいなと思っています。
自分の成績よりもチームの成績の方が大事なので、最後の最後で笑えるように頑張りたいなと思います。
昔からずっとチームのためにと言う気持ちでやって来たんですが、この4年間で特にその気持ちは強くなりましたね。
2005年にワールドチャンピオンになった時に“つなぎ役”と言うのがメジャーでも必要と改めてわかりました、その時にオジー・ギーエン監督から「つなぎ役をやってくれたイグチにMVPをあげたい」と言われたのがスゴイ重い言葉でしたね。
自分自身で気をつけている事は「野球選手だから」と言われる事がすごくイヤなんです、野球選手だからこそ一社会人としてしっかりやりたいな、と、「野球選手だから」と言われない事を常に心がけています。
野球選手としては、今はホントにロッテで現役最後までやろうと思ってますし、現役の中での集大成ですから良い形で追われるように1年1年頑張っていきたいなと言う気持ちと、
僕の中で40歳まで現役でいたいな、と言う気持ちがあるのでそこまでしっかりロッテのために頑張りたいな、と思っています。




インタビューを終えて
日に焼けた顔に、大きな瞳と笑顔が印象的だった井口選手。
お会いしてみると、34歳とは思えぬ、(いや、本来あるべき)34歳らしい落ち着きに、
落ち着きのない33歳(はい、私です…)は感銘をうけてしまいました。

『野球選手である前に人としてきちんとしていたい』とおっしゃっていましたが、
野球にも厳しかったというお母様の教えがあってこそなのでしょうね。

メジャーでを経て、選手としても、また人間としても成長されたのであろう
井口選手のマリーンズでの活躍が楽しみです。

40歳まで現役、という夢に向かってファイト!一発!!がんばってくださいね。
(政井マヤ)


政井マヤ
パーソナリティ:
政井マヤ
メキシコ生まれの元フジテレビアナウンサー。フジテレビ時代には、スーパーニュース、ワッツ!?ニッポンなど情報番組を主に担当。2007年3月に俳優の前川泰之さんと 結婚、女児を出産。2008年からスポーツリアルトークのパーソナリティを務めている。
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