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【本田泰人・ほんたやすと】元サッカー日本代表 (2009年8月3日〜2009年8月7日オンエア)


毎週様々なアスリートをゲストにお迎えしてお送りしているスポーツリアルトーク。
この番組ホームページでは放送では触れることができなかった部分も含め、
インタビューの内容をお伝えしていきます。
先週のゲストは、サッカー元日本代表のの本田泰人(ほんだやすと)選手でした。
鹿島アントラーズのキャプテンを長くつとめられた本田さんにお話を伺いました。


【本田泰人・ほんだやすと】
福岡県出身、1969年生まれ現在40歳
高校サッカーの名門帝京高校から本田技研に入団。
1992年にJリーグ開幕を前に鹿島アントラーズへ移籍。
以来、鹿島一筋でJリーグ通算328試合に出場します。
粘り強いマークと豊富な運動量を武器に鹿島アントラーズ、日本代表で活躍。
2007年惜しまれつつも現役引退。
現在は本田泰人フットボールアカデミーを開校し子供たちにフットボールの魅力を伝えています。




【サッカーとの出会いは?】
小学校のころは野球をやっていたんです、野球選手になりたくて。小学校3年の頃ぐらいからサッカーもかじるぐらいに始めたんです、でも野球メインで。
しかし小学校6年の時、父に「コレからはサッカーだ」と何が根拠なのかわからないのですが言われまして(笑)
両親とも背が高くないという判断だったんでしょうか、勉強もあまり出来なかったので、その頃はまだまだプロなどなかったんですが当時のトップリーグ・日本リーグの企業に就職できれば、という考えがあったみたいです。
自分としてはクエスチョンマークが頭に浮かんだのですが、父はとても怖い存在だったので(笑)「やれ」と言われて素直にサッカーにシフトしました。
それからは父はサッカーがど素人なんですが、スパルタで鍛えてくれましたからね。
なので「今のお前があるのはだれのおかげだ?」と言ってきます。

最大の挑戦は
日本リーグの本田技研と言う所で働きながらサッカーをしていたんですが、Jリーグが始まる前にプロの話を頂きまして、プロの世界に挑戦した事です。
当時22歳、自分はプロになりたいと思ったんですが、両親は「そんなに簡単に就職できるところではないので、そのまま社員として続けていた方がいいのではないか?」と言われました。
しかし、ジーコの存在が大きかったですね。
テレビでしか見たことない人が自分のチームメートになるかもしれない、そのチーム(アントラーズ)から誘いがあったのは一番の理由でしたね。
最初にあった時からオーラがすごかったですね、緊張でガチガチが何カ月も続きました。
試合前に集合写真を撮るじゃないですか、その時に隣がジーコで肩を組まれていると緊張しましたね(笑)
それでもジーコは厳しい人でしたね、難しい事にチャレンジして失敗しても怒らないんですが、簡単なプレーをしっかりやらないとホントに怒られましたね「簡単なことほどしっかりやれ」と

最大の壁・挫折は?
あまり壁にぶつかった記憶がないんです、壁を壁と思わないような性格なので。
それでも強いて言えば高校の時ですかね。自分が通っていた帝京高校は全国からいい選手が集まってた高校だったので入った時は「ここでやっていけるのかな?」と思いましたね。
ホントに周りは上手だったので生き残っていくために必死になっていた3年間でした、ホントに精神的にも鍛えられましたし。
 〜2006年に引退されますが「そろそろ」と言う思いがあったのでしょうか?
まったくなかったですね、引退を考えなければならない時期でしたがあと3年は出来ると思っていましたから。
アントラーズ以外のチームからお誘いもいただいたのですが、ホントに他のチームのユニフォームを着るイメージが全くわかなかったんです。
家族にも相談しましたがうちの奥さんはあまりサッカー詳しくありませんし「やりたいならやれば」と、かなりサバサバした感じに言われましたね。
そこで強く言われたら別のユニフォームを着ることもあったかもしれませんが、僕の事を本当に理解してくれるからこそこう言ってくれたんだと思います。

マイ・チャレンジソング〜思い出の曲は?
結婚式でかけた曲、エルビス・コステロSheです。僕はこの曲を知らなかったのですが、ウチの奥さんがこの曲をすごく大好きで結婚式の入場シーンで流しました。
もうずーっと結婚式ではこの曲を流すと心に決めていたみたいで、聞いてみたらすごくいい曲でしたので、今、奥さんからかかってくる電話の着メロはこの曲になっています。
 奥様の高岡由美子さんとはテレビではおなじみですよね、そんな奥様は鹿島時代に東京に住んでいたとお聞きしましが?
そうです結婚して最初の3か月は鹿島に来ていましたが、当然自分の家族もいないですし友達もいないのでどんどんストレスを溜めて言っているな、という雰囲気になり、仕事もちょっとやっていましたし、僕も彼女も一人の時間が好きなタイプだったので「それだったら東京に住めば?」と行って週末婚のスタイルをとりました。

今後の大きな夢は?
鹿島アントラーズの監督、、、ではなくて強化の仕事をしたいんです、チームを作るGM(ゼネラルマネージャー)ですね。
監督・選手を集めてくる作業から、年棒の交渉まで、そういった事にすごく興味がるんですよ。
現役を退いて3年たちますけど今でもその部分がチームにとってものすごく大切だな、と感じるんです。
もちろん鹿島でやりたいんですが、今すぐにと言うわけにもいかないのでよそで勉強してからですね、なので自分から売り込みに行かなければいけないな、と思っています。
あと、今は本田泰人フットボールアカデミーというのを立ち上げまして少年に教えています。
子供たちを教える楽しさはありますね、成長していくのを見るのは面白いです。
その中で「文武両道プロジェクト」というのがありまして、勉強とスポーツ両方をしっかりやらなければいけないだろうと思いまして立ち上げたんですが、
今お台場のフットサルコートの責任者もやっているのでそこで早稲田アカデミーさんとコラボレーションして、テストの成績とサッカーの成績両方がいいところが優勝という「エデュケーションカップ」と言うのを開催したんです。
それも全国に広めたいですね、勉強だけじゃなくスポーツだけじゃなくいろいろやればいろんな可能性も広げられるんじゃないかな、とすごく感じているので。


インタビューを終えて
「久しぶりにスポーツ選手としてのインタビューです」と
笑いながら話始めてくださった本田さん。
もちろん、たっぷりスポーツを語ってください!とお応えしたものの、
やはり、奥様とのお話も面白く、ついつい質問してしまいました!

”奥さまlove”を照れずにおっしゃる姿が、日本人離れしていて素敵でした。


もうひとつ語ってくださったのは"鹿島love"。

違うユニフォームを着ることがどうしてもイメージ出来なかったと…。
これからも鹿島loveは変わらず、ゆくゆくはチームの運営に関わりたいとのこと。

サッカーにも、チームにも、そして奥様にも一途な本田泰人さん。
選手時代と同様、着実に一歩、一歩あらたな夢に向かわれているのでしょうね!

(政井マヤ)



政井マヤ
パーソナリティ:
政井マヤ
メキシコ生まれの元フジテレビアナウンサー。フジテレビ時代には、スーパーニュース、ワッツ!?ニッポンなど情報番組を主に担当。2007年3月に俳優の前川泰之さんと 結婚、女児を出産。2008年からスポーツリアルトークのパーソナリティを務めている。
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