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【朝原宣治・あさはらのぶはる】陸上・北京オリンピック銅メダリスト 2週目(2009年8月24日〜2009年8月28日オンエア)


毎週様々なアスリートをゲストにお迎えしてお送りしているスポーツリアルトーク。
この番組ホームページでは放送では触れることができなかった部分も含め、
インタビューの内容をお伝えしていきます。
先週のゲストは、陸上短距離界を引っ張りつづけ昨年引退されたの朝原宣治さんでした。




【朝原宣治】(あさはら・のぶはる)
兵庫県出身、1972年生まれ。
兵庫県立夢野台高校時代に陸上を始め、3年時にインターハイで走り幅跳び優勝。
同志社大学進学後、1993年100メートルで当時の日本新記録を樹立。
その後日本記録を2度更新、オリンピックにはアトランタ、シドニー、アテネ、北京4大会連続で出場。
2008年北京オリンピック4×100メートルリレーにて日本陸上史上初となるトラック男子種目での銅メダルを獲得。
北京オリンピック後の2008年9月に現役引退。




人生で一番大きな出会いは?
各要所要所で出会っているというか、中学のハンドボール時代にも怖い指導者方と出会っているというのもありますし、高校時代には自分で考えさせるような陸上競技の走ることの楽しさを教えてくれる先生と出会ったり、ドイツに留学した時はドイツ人のコーチの方との出会いもありますし、一番というのはなかなか言えないです。
 〜大学生の時に奥様と出会われているんですよね?
大学一年生の時です、最初は…あまり言うと怒られるんですが、僕自身は彼女の見た目とかあまり興味がなかったんです(笑)でも競技者としてまずシンクロというのが珍しいじゃないですか、しかも国際的に活躍している選手がいる、という事で興味がありましたね。それですぐにつきあう事になりました。
 〜結婚するまでに結構時間がかかりましたね
11年かかりました、彼女が22で現役をやめたころに、こっちが真剣に陸上にハマり始めたという感じでしたから。でも彼女もスポーツキャスターをはじめ新しい世界に飛び込んで一生懸命やっていたので、お互いに自分の生きていく世界を持てていたのが良かったんだと思います。


陸上生活の中で感じた大きな壁・挫折は?
怪我ですね。ドイツに留学に行って3年目の時にケガをしまして、始めはお尻の筋肉のちっちゃい怪我だったんです。その頃は国際舞台でも活躍しましたし「日本の短距離界を背負っていくんだ」と鼻息を荒くして頑張っていたんです、なのでケガをしても練習を休まずに騙し騙しやってしまったんです、その結果その一年半後に骨折をしてしまったんです。しかもそれが走り幅跳びの踏み切り足だったものですから最大のピンチでしたね。
27歳で骨折するというのは競技者にとって結構致命的な事なんです。しかしそこからまたやり始めたのですが、それまではキャリアや自分の感覚を捨てきれずにいたのですが、そのケガがあった事でスッキリ0から新たにスタート出来たのは良かったですね。ちょうどその次の年にシドニーオリンピックが控えていたのでそれに向かって行けたというのも大きいですね。
あと、その時に周りの友達、家族、会社などの支えがあって自分の競技が成り立っているんだという事を改めて実感しました、本来なら怪我がなくすんなりいくのが競技者的には良いのでしょうけど、自分の人生経験のうえでは良かったかなと思います。



その他、壁になった出来事は?
壁は記録の壁がありました。10秒00という日本記録があるんです、ちょうど10秒00というのは選手にとってこの壁は破らないと!という数字なんですけど、それを最後まで破れなかったというのは少し残念ですね。
僕の記録が10秒02なんです、距離にして20センチほどでちょっとした条件でクリアできていたかもしれないんで、ちょっとだけ縁がなかったんじゃないかなと思いますね。

 〜北京オリンピックのリレーでの活躍が印象的ですが初めてリレーにチャレンジされたのは?
初めて日本代表のリレーのメンバーに入ったのが1996年のアトランタオリンピックの時、その時はアンカーを走らせてもらったんですが何とバトンが渡らなかったんですよ、僕の出るタイミングと3走の井上さんのタイミングが合わなくてバトンが渡りませんでした。昔はそういう時代もあったんです。
 〜どの競技が一番好き、というのはありますか?
それぞれ違っていて面白いですね、ただ一番ドキドキしたり緊張するのは100mですね。リレーは4人でやるものなので逆に気が楽でプレッシャーを感じたのは北京の時だけですね、仲間がいるので心強いという気持ちでやっていました。100mは完全に孤独な戦いで、しかも横並びじゃないですかスタート位置が、なので精神的な争いが繰り広げられているんです。走り幅跳びは1人1人行うので自分に集中出来ますからね。


マイチャレンジソングは?
音楽を聴くのが結構好きで、小学校の頃から洋楽などを聞いていたのですが、沖縄での合宿中にラジオから流れていたアリシア・キーズno oneですね。
練習中であったり、大きな試合に向けて気持ちを作らなくてはいけない時や、練習で体が疲れているとき、音楽を聞いて気持ちを高めたりという事をよくするんです。もともとあまりテンションが高い方ではないので、試合前はヒップホップなどテンションが上がるような曲を聞いていました。
音楽というのはホントに役に立っていました、耳をふさいで外からの音をシャットアウトしてしまうと一つの情報が途切れるわけで、それだけ自分に入り込みやすいんですよね。
あと目から入ってくる情報もすごく多いんですよね、なので他人がやっている練習を見て「あいつ調子よさそうだ」とか考えてしまうとダメですね。なるべく怖いものは見ないように意識していました。
家や車の中は、子供に占領されていて(笑)子供の好きなアニメの曲などがかかっていますね。
あと妻が東方神起にはまっていまして、子供もそれに影響を受けて歌っていますね(笑)



今後の目標は?
陸上競技には関わっていきたいですよね。今は日本のリレーチームを強化するスタッフになっているんですけど、そういう事は自分が走り終わった今でも興味がある事でやっていかなければならないな、と思います。
あと自分が2児の父ということもあるんですけど、やはり子供たちがノビノビと夢を持って成長できる環境を、僕はスポーツ競技者としてやってきたのでスポーツを通じて出来たらいいな、と思っています。
 〜昨年は『いい夫婦』にも表彰されましたね
昨年は妻と一緒に仕事する機会が一気に増えました。最初はものすごくやりにくかったんですけどようやく慣れました。
彼女がパーソナリティをしているラジオにゲストで行ったり変な感じでしたけどね。
それと『いい夫婦』のラジオの番組の前の日にケンカをしたりして(笑)2人でむかうタクシーの中で無言ですよ、ずーっと。彼女は仕事が始まったら普通に話して『プロだな』と思いました(笑)


インタビューを終えて

朝原さんはとてもお会いしてみたかった方。
実は勝手に親近感持っていて。
それは…私の神戸の実家がとても近いのです…隣の小学校出身!!

そして、皆様ご存知、奥様の奥野史子さんは…私の少女時代、憧れのシンクロ選手の一人。京都で同じスイミングクラブに通い、同じプールで練習したこともあるのです。当時からエースだった奥野さんの練習の様子をじっつ…と観ていたのです…。


北京以降、素敵な夫婦としても注目を集めるご夫妻。大学時代から、という恋バナまでは遠慮してしまい、突っ込んでは伺えませんでしたが…。是非、奥野史子さんもゲストとしてお迎え出来ると嬉しいです。


(政井マヤ)




政井マヤ
パーソナリティ:
政井マヤ
メキシコ生まれの元フジテレビアナウンサー。フジテレビ時代には、スーパーニュース、ワッツ!?ニッポンなど情報番組を主に担当。2007年3月に俳優の前川泰之さんと 結婚、女児を出産。2008年からスポーツリアルトークのパーソナリティを務めている。
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