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【岩崎恭子(いわさき・きょうこ)】バルセロナオリンピック競泳金メダリスト (2009年10月19日〜2009年10月23日オンエア)


毎週様々なアスリートをゲストにお迎えしてお送りしているスポーツリアルトーク。
この番組ホームページでは放送では触れることができなかった部分も含め、
インタビューの内容をお伝えしていきます。
先週のゲストは、競泳元日本代表の岩崎恭子さんです。
バルセロナオリンピックで14才にして金メダルを獲得した岩崎さんにたっぷりお話をお伺いしました。


【岩崎恭子】(いわさき・きょうこ)
1978年 静岡県出身。
5歳の頃から水泳を始め、
1992年中学2年生の時に出場したバルセロナオリンピック200メートル平泳ぎで当時のオリンピックレコードで泳ぎ金メダルを獲得。
その後1996年のアトランタオリンピックにも出場。
日本大学在学中の1998年に現役生活を引退。
現在はスポーツコメンテーター・水泳インストラクターとして幅広く活躍中。



【水泳との出会いは?】
5歳の時に近くのスイミングスクールに入りました。私は3人姉妹の真ん中で姉が習っていた習い事をみんな一緒にやっていたので、姉が入っていたスイミングスクールに私も入ったんです。
出身が静岡県の沼津と言う所で海も山もあるのですが、両親は海で溺れない為にとか(笑)あとは水泳は健康にいいので体が強くなるように、と言う思いでやらせたみたいです。
選手としてバリバリやるぞ!とは思ってはいなかったんですが始めてみたら、水泳は練習をしたらした分だけタイムが早くなるのが楽しかったですね。
そして平泳ぎに本格的に専念したのは4年生ぐらいの時です、ちょうどその頃から全国大会に出るようになりました。
大会でいい成績を残したときは自分自身に満足して嬉しいのですが、周りのみんなも「おめでとう」と言ってすごく喜んでくれるのを見てるのも嬉しかったです。
あと姉も平泳ぎで早い選手だったんです、そんな姉がいい成績を出したり全国大会に行くのを見ていたりすると「大変なことじゃない、私にもできるんじゃないか?」と思えるようになっていたんで、すごく恵まれていたかなと思います。



【最大の挑戦は?】
やはりオリンピックへの挑戦です。4年に1度しかないのでそこにピークを持っていくのは本当に大変なんだな、と特に2度目のオリンピックの時に思いましたね。
後から思うとバルセロナオリンピックの時は緊張とかもあまりなくできたのだろう、と凄く思うんです。なのでオリンピックの怖さなどを知らなかった分いつもの自分を出せて金メダルと言う結果につながったんだな、と思います。
金メダルってこんなにすごいことなんだな、と改めてわかったのは2回目のアトランタオリンピックに出てからです。
でも14才でのバルセロナのメンバーに選ばれた時は周りの代表選手を見て「この選手たちの中で練習に耐えられるのだろうか?」と始めは不安の方が大きかったんです。
アトランタの時は何か目標が持てなくなってしまって、それまでは常に「早くなりたい早くなりたい」と思っていたのですが、周りから注目されて「何のために水泳をやっているんだろう?」と思ってしまったんです。それで練習にもあまり力が入らずもちろん成績も下がっていったんです。
しかし、どん底の状況の中で「もう一度オリンピックを目指そう」という気持ちになり自分から必ず出たい!と思いチャレンジしました。
私の中でバルセロナはある意味他の人に連れて行ったオリンピックで、アトランタは自分から絶対手にしたいというオリンピックでしたので内容が全く違いましたね。



【最大の壁・挫折は?】
一番はバルセロナからアトランタの間の年、高校1年生の時日本代表の一番上のカテゴリーに入れなかった時に「私何のために水泳やっているんだろうな?」とそれまでは感じなかったんですが「挫折した」と気づきましたね。
しかし、挫折に気付いたからこそそこからは楽しかったんです、苦しかったんですけど。
それまでは水泳をしていて泳ぐことが楽しかったですし、試合のワクワク感とか、記録が伸びる喜びとか、そういう事が好きだったのに何かそれに魅力を感じなくなってしまったんです。
それで注目される事によって「早く泳がなければこんなに注目される事はないのかな?」と思ってしまった自分がいたんです。そう思ったら成績はどんどん落ちていく一方で、それでもバルセロナの翌年は日本代表になれたのですが成績は平凡でした、でもそれで満足だったんです。そして次の年高校一年で代表になれずそれが凄くさびしくて悔しかったんです。その時までオリンピックとかメダルとか隠したかった部分があったのですが「コレと向き合わなければ私が水泳をやってきた意味がなくなってしまうな」と気づいた時に目標が見つかり生活をするのも楽しくなりました。
そしてアトランタに出場し泳ぎ終わった後は記録としては自分が狙っていたものには届きませんでしたし順位も10位と競技者としては負けだったんですけど、ゴールにタッチした瞬間それまでやってきたモノがフーッととけて、ここまで頑張れたんだな自分と、ちょうど有森さんが「自分で自分を褒めてあげたい」と言っていたのですが、家に帰ってそれを見てて「私も同じ気持ちだったな」と思いました。


【チャレンジソングは?】
選手の時は音楽をよく持って行って、その年に流行った曲で出来事を思い出すという事があるんですが1992年のバルセロナの時は槇原敬之さんのもう恋なんてしないが流行っていたのでそれを持って合宿に行きまして休みの時に聞いたりとか部屋でしていましたね。
合宿はフランスで行った期間が一番長かったんです、泳ぎ込むために距離もやらなくてはいけなかったのでそれが精神的にも肉体的にも辛いのですが、ホテルの部屋でゆっくり音楽を聞いてリラックスできるという時間にしていました。
あと、休みの日はみんなでバスに乗りリフレッシュの為に観光に出たりするんです、その時にバスの中で流してもらいみんなで歌ったりしていました。
でも癒しを求めていたんでしょうかね?ゆっくりしたい時に聞いてました、気持ちが良くなるというか落ち着くと言うかそういう声なのでしょうか?落ち着かせてもらいました。
 〜今年、ラグビー元日本代表の斉藤祐也選手とご結婚されました。アスリート同士通じ合えるものもあるのでしょうか?
スポーツに対しての気持ちはわかってあげられるかな、と言う所はあります。それと31才といつまでやれるかわからない部分もあるので、最近アスリートの年齢がどんどん上がっている部分があるのでそういった選手たちを見て「こういう風にしているみたいだよ」って教えたりはしています。
出来る事は、と考えた時に食事は一番大切なのでとても気をつけています。毎日やるのは本当に大変なんですけどね(笑)


【将来の目標は?】
水泳とずっと付き合っていきたいのでいくつになっても水泳と言うものを伝えていきたいと思います。
ほんとに6か月の赤ちゃんから、最近マスターズの大会でお会いしたのですが90歳の方が優雅に泳がれていたんです。それだけ離れた年齢の方が一緒にスポーツできるって水泳ぐらいしかないかな?と思うので、年齢など関係なく楽しめる水泳の魅力をもっともっと伝えていきたいですね。
 〜オリンピック選手を育ててみたいという気持ちは?
私、選手を辞めてから連盟の仕事にも関わらせてもらってるんですが、コーチって本当に大変なんですね。選手って自分のことだけ考えればいいのですが、コーチは24時間選手の練習の事とか体調の事とかずーっと考えてないといけないんです、そう考えると自分はなんてワガママな選手だったんだろうと思うんですけど(笑)なのでコーチって本当に大変だと思うのでなかなかできないですね。
それにたくさんの人に接して伝える方が私には合っているので、その中から本格的に選手を目指す子が出てくれればうれしいかな、と今は思いますね。



インタビューを終えて
あの<恭子ちゃん>が、もう30歳?!ご結婚されたの?!と小さい頃から良く知る近所のおばさんのような反応をしてしまった私。思えば、私とそんなに(2歳しか)年齢も変わらない!!

14歳の少女がオリンピックで金メダルという、劇的なニュース。その快挙と恭子ちゃんの可愛さにマスコミが大騒ぎした印象があまりに強すぎて…いつまでも十代アスリートとしての印象が強く、また、とってもよく知っているような親しい気持ちもありました。


と、そんな感慨を胸にスタジオに迎えた岩崎恭子さんは…楚々とした綺麗なお姉さんになっているではありませんか!!とても感じが良く、爽やかにお話してくださいました。


当時の過熱した報道に話が及んでも、嫌な顔ひとつせず当時の気持ちを語ってくれました。そして、どん底も味わってから、手にした2度目のオリンピックの方が、より満足している…と。
 
ツラいことも経験した分、またそのツラさから逃げずにもう一度水泳でオリンピックに挑戦したからこそ、内面もさらに強く、美しくなったんでしょうね。


新妻のHappy オーラいっぱいだった岩崎恭子さん。同じくアスリートであるご主人を気遣う姿がとっても綺麗でした。

(政井マヤ)


政井マヤ
パーソナリティ:
政井マヤ
メキシコ生まれの元フジテレビアナウンサー。フジテレビ時代には、スーパーニュース、ワッツ!?ニッポンなど情報番組を主に担当。2007年3月に俳優の前川泰之さんと 結婚、女児を出産。2008年からスポーツリアルトークのパーソナリティを務めている。
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