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【武田修宏(たけだ・のぶひろ)】サッカー元日本代表 (2009年11月9日〜2009年11月13日オンエア)

毎週様々なアスリートをゲストにお迎えしてお送りしているスポーツリアルトーク。
この番組ホームページでは放送では触れることができなかった部分も含め、
インタビューの内容をお伝えしていきます。
先週のゲストは、サッカー元日本代表の武田修宏さんでした。
Jリーグ創世記を支え、今もテレビ番組等で活躍中の武田さんに貴重なお話を伺いました。


【武田修宏】(たけだ・のぶひろ)
静岡県出身、1967年生まれ現在42歳。
中学時代ジュニアユース日本代表に選出。
清水東高校では全国高校サッカー選手権で大活躍。
卒業後は日本リーグ読売クラブに入団。
Jリーグ開幕後もFWとして得点を重ね、通算94ゴールを挙げる。
2001年シーズンを最後に現役引退。
現在はサッカー解説者・タレント活動に加え、
日本サッカー協会のアンバサダーとして全国でサッカーの普及も行う。



【サッカーとの出会いは?】
小学校の一年生の時です。静岡県浜松市の佐藤小学校と言う所でサッカーを始めました。
先に兄がサッカーをやっていたのと、静岡はサッカーが盛んな土地で少年サッカー大会をテレビで見て「ここに出たいな」という思いもあり始めました。
当時から足は50メートルで6秒とか速かったんです、でも技術が無い選手でした。それでも負けず嫌いと言うのがあって小学校6年生の時の県大会で1位にはなれず3位とか2位とかとっていたんです。
その当時「ゴン」こと中山選手も同い年で小学校6年生同士でお互い初めて知りました。彼は岡部小学校のエースで僕は浜松のエースと言う感じでしたね。
僕たちはプロが無い時代にサッカーをしていたので、僕は小学校の卒業アルバムには「日本代表になりたい」と書いていましたね。
そんな当時の憧れの存在はマラドーナ、しかしそれ以上に「自分が有名になってやろう」と思っていましたね。
サインも書いてもらうより自分が書いて有名になろうと思って、小学校3年生からサインの練習をしていました(笑)
 〜その後中学の時にジュニアユースに選ばれたり活躍しているんですよね
当時は1人だけ中学生として選ばれ注目されてましたね。
 〜高校卒業後すぐにヴェルディの前身となる読売クラブに入団しすぐに新人王とMVPをとられたんですね。
1年目と言うのはなぜか活躍するんですよね、高校の1年生の時も全国大会得点王で準優勝だったんですがMVPを戴き、読売クラブの時も1年目でMVPと新人王。
本当に運がいいですね(笑)人と同じ道を行かないというか、人と違う事ばかり考えているというか(笑)
 〜それで相手のウラをかけるんですね?
サッカーのフォワードって相手のディフェンダーに読まれてはいけないので「なんでここにいるの?」「なんでこういうシュートうつの?」といった意外性とか発想力と言うのは大事かな、とは思っていますね。


【最大の挑戦は?】
33歳で南米のパラグアイと言う国に1人で渡り日本代表を目指しながらプレーした事ですね。
33歳でベルディの試合に出れなくて「このままだったら引退だな、このままでいいのかな?」と言う時にパラグアイのチームからスカウトが来たんです、
そのチームは、Jリーグにあった横浜フリューゲルスというチームでプレーしていたアマリージャと言う選手が監督をしていて僕が試合に出てないのを聞いて「武田だったらいいよ」と獲得してくれたんです。
マルかバツなんですけどこのままサッカーの試合に出ないで日本で引退するのか、イチかバチかパラグアイに行ってサッカーやって勝負をするか、ということでやはり「サッカーがやりたいから」という気持ちが勝り行きました。
 〜日本では有名な武田選手ですが、パラグアイではそれほどわかってくれませんよね?
ただ、向こうに着いた時にパラグアイ代表GKで大スターのチラベルトが当時「日本のマラドーナが来た」とテレビで言ってくれて、空港に着いた瞬間に鼓笛隊とか取材陣がすごくて、
逆にそれがプレッシャーになりましたね(笑)
そのおかげで今でも「パラグアイで有名な日本人」ランキングの3位に入りましたけどね(笑)
パラグアイでは最初の3試合だけ出て、その後監督が交代して出れませんでしたけど、あの時にああいう経験をして良かったなと思います。
しかしそのまま3か月パラグアイにいて、その後2か月ブラジルに渡りました。
ブラジルでは現在柏レイソルの監督をしているネルシーニョ監督が「ここで練習していいよ」と僕のことを受け入れてくれて練習する事ができました、当時そこには浦和レッズに在籍したワシントン選手がいて仲良くなったりしましたね。
それでも、サッカー以外での環境は結構大変でしたね、言葉は通じませんし、日本語喋れる人がいない、やはり会話って大事だなって思いましたね、試合前にリラックスとかもできないじゃないですか。
他にもサッカーをする以外にも苦しい事がたくさんあるって言うのが体でわかりましたからね。
 〜それを乗り越えられたのは何が支えになったんでしょうか?
夢でしょうね、やはりもう一度絶対に日本代表に入るんだという夢があったんで、ひたすらサッカーしていましたね。
 〜パラグアイ挑戦でよかった事ってなんでしょうか?
やはり、今、解説者になってみて実際に海外に行ってプレーした事があるというのはすごい財産ですよね。
向こうで実際にプロとしてやってみると24時間のサッカー以外の時間で、コミュニケーションとか食にしても大切な事が沢山あるな、と選手の気持ちもより分かりますしね。
あとは海外から日本のサッカーを見れた事も大きいです、日本て情報がたくさんあるじゃないですか日本にいても現地に行けたような感じにすら思える、でもやはり実際に行ってみて感じて得る事ははるかに多いですよね。
 〜武田さんと言えば色んなチームを渡り歩きましたがヴェルディのイメージが強いですよね?
60点ぐらい取りましたからね、人気もありましたし。
個人の意識も高かったですから、当時はカズさんをはじめラモスさんも北澤くんも、洋服にしても車にしてもかぶらないように気をつけていました。
そういう「魅せる」という、テレビがあるときはおしゃれをして魅せると言う意識も強かったですからね。
プロはやはり夢を与えなきゃいけないので「かっこいい!あの人になりたい!」と思わすのがプロの選手なのかなと考えていたので。


【最大の壁・挫折は?】
実は挫折が多いんですよ!
華やかそうに見えますがベンチから外されてしまったり、試合に出れなかったり、その都度挫折なんですがその都度はいあがって生きています。
例えば千葉のチームに行った時には2年間在籍したのですが、J1の残留が決まった2日後に解雇されちゃってヴェルディに獲っていただいて、
で、ヴェルディに行っても半年試合に出れなくて、それで南米に行ってプレーしました。
でも、そんな中にあってもとにかく挫折を挫折と思わないようにしているんです、ポジティブなんですよ。
とにかく逆境は人を成長させると思っているので「挫折している余裕なんてないよ、次のことやらなきゃ」と思っているんです。
「今仕事が無いな、でもサッカーの事したい」と言う時には休みの日にサッカーの勉強をしに行ったりとか、
たとえばキャスターになった時にはインタビューの為にスペイン語の勉強をしてみたりとか、挫折はするときは多いんですが悩んでる暇もなく仕事の為に動いています。だから独身のままなんですけどね(笑)


【チャレンジソングは?】
マライア・キャリー HEROです。
僕が引退する時にこの曲で引退させてもらいました、あれを浸りながら一人で聞くのが好きなんですよ、誰もいない車の中で一人で聞いて浸ってるんです。
この曲を聞いて、南米に行ったりいろいろ苦労したことを思い出しながら、でもやっぱりいつまでも輝いてないといけないかな、と言うのを聞くと思いだすんです。
 〜武田さんのヒーロー像と言うのはどんな感じですか?
いつまでもカッコよくいたいですね、あと地位とか名誉とか肩書とかそういう事は関係なしに誰に対しても変わらない態度をとれることですかね。
野球の長嶋監督とか誰に対しても変わらないですし、みんなに対しても優しいじゃないですか。それでいてすごく謙虚ですし、上に立って活躍するヒーローはそういう人柄とかそういう所だと思います。
良くすごい有名でも、ヒーローでも態度が悪かったり、誰に対してもではなく人を見たりする人がいてそういう人は好きじゃないんですよね。
 〜最近はどんな曲を聞いてらっしゃるんですか?
最近はノッティングヒルの恋人のテーマソングエルビス・コステロSHEを聞きながらやはり浸っています(笑)
本屋でたまたま出会った有名人と一般人が恋に結ばれるような、ああいうドラマティックな出会いないかなーと思ってひたすら聞いています(笑)
現在42歳独身で、理想と現実が違ってきたり、この年になるとどんどん人を見る目が出来てきますからそうなると厳しいんですよ、ホントにハードルを上がってしまっていて、ホントに勢いがないといけないのですけど慎重になってしまいますね。


【将来の目標は?】
スポーツでは監督ですね、監督をやりたいと思って監督の免許S級ライセンスも取りましたし。でも、自分がやりたくても必要とされなくてはいけませんからね、とにかくまずは監督になること、その次は結婚です、そしてその次は家を買う事です。
引退した時に「ピッチに帰ってきたい」と言ったので、いつかはサッカーに貢献したいなと言う気持ちはありますね。
どちらかと言うと首都圏より地方の方で優勝した事のないチームの監督をやってチームを優勝させたいですね。
自分が行った事によって強くなって、サポーターも増えて人々と触れ合って、それでサッカーが活性化されて、と言うのが一番いいかなと思っています。
今は幸いにもテレビとかの仕事が忙しいですけど、休みの日は現場に行って話しをして試合や練習を見に行って、自分の時間を削ってサッカーを現場で吸収しています。
自分の中で「バラエティに出ているからサッカーはダメだ」と言われたくないんですよ、自分の軸はサッカーなので「サッカーを全力でやっているよ、でもバラエティも出てるよ」という感じですね。
なかなかテレビを見ているだけでは伝わらないでしょうけど、何を言われても自分の中のそういう部分は変えずに頑張っています、そういう風にしていかないと勝ち残っていけないので。
 〜テレビのバラエティとか抵抗はありませんでした?
最初はありましたよ「日本代表だったに何でこんな事やらなきゃいけないんだ」とプライドもありましたから。
それでも今は、お金をいただいて呼んでもらっているので今は本当に感謝の気持ちで一杯で出ています。サッカーの解説の仕事は自分の本業なので真面目にしっかりコメントをしていますが、バラエティは全力で楽しんでリラックスして臨んでいますね。
それに最後のゴール地点が監督であればいいかなと思っているのでバラエティに出ているから監督になれないと言う事はありませんし。
 〜最近はお母さんとも共演されていますね?
お母さんも呼ばれて最初は考えたんですが、ちょっと親父が亡くなってお母さん一人さびしいでしょうから色々考えて出してあげました。
今はちょっと休ませてあげてまたオファーがあったら出してあげたいですね。
それで見た人が笑顔になってくれれば一番いいですからね、喜んでいただけるのであればもう一度お母さんとも出たいですね。



インタビューを終えて
いまや、バラエティ番組で大活躍の武田さん。

スポーツ好きでなくとも皆が知っている武田さんの選手時代の印象は、Jリーグ開幕時の華やかなもの。

しかし、その後のサッカー人生をひもとくと意外に苦労を重ねながら、ワールドカップという舞台を目指して、パラグアイやブラジルで単身修行するなど努力の人でもありました。


『くよくよ悩んでいる時間はない!』と今出来る努力をただ、する。そのシンプルなポジティブさが武田さんの強さだったんですね。何か、突き抜けた明るさとスター性…それは42歳になっても変わらず。

スーツでピッチに立つ武田監督が見られる日が楽しみです。
(政井マヤ)


政井マヤ
パーソナリティ:
政井マヤ
メキシコ生まれの元フジテレビアナウンサー。フジテレビ時代には、スーパーニュース、ワッツ!?ニッポンなど情報番組を主に担当。2007年3月に俳優の前川泰之さんと 結婚、女児を出産。2008年からスポーツリアルトークのパーソナリティを務めている。
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