リポビタンDプレゼンツ スポーツリアルトーク

今週のゲストは?
前回のゲスト バックナンバー

【寺本進(てらもと・すすむ)】セパタクロー日本代表 (2009年11月23日〜2009年11月27日オンエア)


毎週様々なアスリートをゲストにお迎えしてお送りしているスポーツリアルトーク。
この番組ホームページでは放送では触れることができなかった部分も含め、
インタビューの内容をお伝えしていきます。
先週のゲストはセパタクロー日本代表の寺本進選手です。


【寺本進】(てらもと・すすむ)
広島県出身、1976年生まれ現在33歳。
高校3年生の時、地元広島で行われたセパタクロー大会をきっかけに
セパタクローを始めると、すぐに日本代表入り。
亜細亜大学に進学後、国内主要タイトルを総なめ。
2002年には釜山アジア大会で銅メダルと獲得、
2004年には世界最高峰タイのプロリーグに初の外国人選手として参加。
現在はセパタクロー日本代表を監督兼プレイヤーとしてけん引中。



【まず、セパタクローというスポーツの説明をお願いします。?】
セパタクローという名前だけではなかなかイメージできにくいかと思いますが、とても簡単に言いますと足で行うバレーボールのような競技です。
コートをネットで分け相手コートにバレーボールと同じで3回以内で返します
サッカーと同じで手以外の個所でしたらどこを使ってもOKです。
以前は籐で編まれたボールを使っていたのですが最近はプラスチックで編まれたボールが正式に採用されていて、
大きさはハンドボールよりも小さく片手で収まるくらいですね。
基本は3人対3人で行うのですが、最近は2人対2人のダブルスという競技も始まっているんですよ。


【セパタクローとの出会いは?】
僕は広島出身なんですが、1994年に広島でアジア版オリンピックと言えるアジア大会が開催される事あって、セパタクローも競技に採用されているんです。
それで、その前年度に広島でアジア大会のプレ大会的な全国大会が行われることになり、セパタクローにも広島からもチームを出すことになったんです。
その時自分は高校3年生でサッカー部にいたのですが、大会の運営に学校の先生が関わられていたので「足で行うスポーツだから」とサッカー部に声がかかり、そこでチームを作り試合に出たのが初めてのきっかけです。
その当時はセパタクローなんて知らなくて監督から「大会があるから出てきてくれ」と軽い感じで言われ出場したので会場についてびっくりしましたね。
最初はこれは無理だなと思ったんです、サッカーともボールも違いますし、オーバーヘッドのようなアクロバティックな事もできないな、と思ったんです。
しかしボールを蹴っているうちにその難しさが楽しさに変っていきましたね。
同時に、サッカーでは日本代表になるというのは競技人口が多くて難しいのですが、セパタクローの場合はサッカー以上にチャンスがあるという魅力にも引かれてセパタクローを続けることを決めました。
しかし日本に入ってきて現在でも20年ぐらいしかたっていないので、指導者の方もすくなくて大変でした、
なので誰かに教えてもらうというより先輩のプレーを見て見よう見まねで練習するというところからはじめました。
マイナーが故に環境がまだ整っていないのですが、純粋にセパタクローという競技の面白さにひかれて気づいたらここまで来ていました。



【最大の挑戦は?】
一番自分で踏み切ったなと思うのは、タイでのプロリーグに参加したということだと思います。
大学を卒業してからなんですが、セパタクローが世界で一番強い国がタイなんです。
そこで練習することが自分にとって一番レベルアップにつながるという発想で「タイに行かなきゃ」と思って、向こうのリーグに挑戦することを決めました。
知り合いを通じて向こうのチームに入れていただいて無理やり練習をさせていただいたとこから始まったので、かなり押しかけて一方的に行った感じでしたね。
 〜外国人としては初めてタイのプロリーグの選手になられたんですよね。
今年で6年目が終わったんですが今でも自分以外は外国人選手がいない状態で不自由なこともあるんですが何とかしがみついてやっています。
セパタクローはタイでは国民的なスポーツなので体育の授業でもあったり、夕方になると日本で言ったらキャッチボールをするくらいの感覚で公園で普通にセパタクローが行われているんです。
タイの人がみんなやっているといっても過言ではないくらいなので、本当に選手の層が厚いんです。
それに言葉、食事、すべてが日本と違うので、すべての言葉と食事とタイの暑さという競技以外で乗り越えていかないモノも多いんです。
住む場所でもだいぶ苦労させられましたね、たとえばコーチの実家に選手みんなで行って、ザコ寝でギュウギュウ詰め状態だったりしたこともあります。
しかし、環境はすごく厳しかったのですがセパタクローをレベルアップさせるためにタイに行って、実際に高いレベルがそこにあったので、体育館に行ってそこで一生懸命体を動かすことでいろんな事を忘れて練習に打ち込めましたね。


【最大の壁・挫折は?】
タイのプロリーグに行って、一人言葉も通じない中で現地の選手たちとやっている活動が毎日が苦しいものだったのでそのことが大きな壁だったかなと思います。
やはり最初が一番苦しかったのですが、自分がいろんなものを捨ててセパタクローをやるっていう事の意味がたまにわからなくなってきたりするんですね。
他のスポーツと違ってお金を稼げるわけでもなくタイで成功したからと言って日本で生活が変わるわけでもない、と色々なことを考えると、何でここまでしてセパタクローをやっているんだろう?という疑問が降りかかってきたんです。
でも、もうこのスポーツでタイ人に勝ちたい、世界一になりたいという単純な思いが辛いこととか苦しいなと思う事を乗り越えさせてくれたと思うので、その強い気持ちだけが頼りでした。
 〜タイで得たものは?
辛い生活の中で競技を続けていくという忍耐力がついたんじゃないかなと自分で感じています。
しかし、ちょっとやそっとのことでは大丈夫だな、というのはあるんですけど逆にそういうところに飛び込んで行っていろんな経験をしている分、今後そういうことがなくなった時に毎日が薄く感じてしまうのではないか?という不安も少しだけ考えてしまっているんですけど(笑)
水が出なくなることもよくあるし、扉に鍵がかからなかったり、電気がつかなかったりするのも日常では当たり前になっていて、寝ているときに体中をネズミが走り回っていたり、本当にサバイバルのような生活の中で競技をしていたので、日本に帰ってくるとこれでいいのかな?これで大丈夫なのかな?と思ってしまうんです。
 〜そんな生活の中で感じたタイの良さは?
日本と比べてモノとかは豊かではないんですけどだからと言って生活している人が苦しい顔をしているわけではなく、すごく楽しそうに元気に、子どもからおじいちゃんおばあちゃんまでが日本の人以上に元気にしているのを見て、
こういう当たり前の活力がタイらしさなんじゃないかな?と思ってタイを廻って見てきました。


【チャレンジソングは?】
試合前や遠征に行っている間によく聞くんですけど、とにかく気持ちが落ちないようにアップテンポの曲をよく聞いています。
そのなかでもB-DASHというバンドの平和島という曲が自分の中で思い入れの深い曲です。
この曲は自分自身がやっている事が草分け的存在で苦しい事はあるけれどもそこを乗り越えていくことが意味があるんだ、という事がうたわれていて、すごく元気をもらえるんです。
今は、自分が歩んだ道があとから後輩達にとってすごく歩きやすい道になってくれたら嬉しいな、と思いながらセパタクローをやっているのでこの平和島という曲は特に思い入れ深い曲ですね。
 〜今は一年のうちどの位をタイで過ごされているんですか?
リーグの期間というのが年の初めの2月ぐらいから5月ぐらいの期間まで行われます、リーグが終わると世界大会が入ってくるので日本代表として各国に試合に出る、と言う一年を過ごしています。
 〜最近は国内ではセパタクローの開催されているんですよね?
渋谷のO-EASTというミュージシャンがライブをするような会場で蹴〜kelu〜というイベントを開催しています。
セパタクローと言うマイナースポーツのイメージを脱して色んな人に見てもらいたいと言う思いからMCやDJの方にも参加していただいて、
その会場の中で音楽と照明を上手く当てながらカッコよく見せる事で沢山の若い人たちにこのスポーツは面白いんだぞと言う事をわかってもらうために始まったイベントです。
一緒に声を出して、非常に近い狭い空間の中で同じ空気を共有する事でセパタクローをやっていない人もそれを見た事で面白みを感じてもらえて、おかげさまでたくさんの方に知っていただくきっかけになっていると思います。


【将来の目標は?】
来年2010年中国・広州で行われるアジア大会でメダルを取ると言う事が大きな目標になっています。
セパタクローにとって一番大きな大会ですので、ここでメダルを取ることが日本にいる人たちに僕たちの活動が宣伝できる唯一の場じゃないかな、と感じているので。
オリンピックの競技ではないのですが東南アジアが最も盛んな競技なので、もしオリンピック競技であっても結果はアジアのチームが並んでいく状況だと思うので、このアジア大会ででメダルを取る事は本当に意味があると思います。
そもそもセパタクローはタイとマレーシアが発祥と言われていて、セパタクローと言う競技名は「セパ」というのがマレー語で「蹴る」で「タクロー」というのがタイ語で「ボール」と言う意味なんです。
なので今でも世界の二強と言ったらタイとマレーシアという状況。
そして僕はタイのリーグに渡りタイ人にもお世話になっている事がたくさんあるので、恩返しの意味でもタイの国を超えるメダルを取るのが個人的な目標です。
日本チームとしても、みんなで一番上にのぼりつめられるように活動していく事が普及にもつながっていくと思うので、常に一番上と言う高い目標を持って臨みたいですね。
 〜寺本選手は日本代表の監督でもあるんですよね?
監督と言うのは進んでやっていると言うわけではないのですが、セパタクローの中の状況も充分に整っていないので、自分が選手としてガンガン遠征しながら監督・コーチ・キャプテンの座に座りながらさらに通訳もするという(笑)そういうポジションなんでどれも中途半端にならないようにやらなくてはいけないなと思っています。
 〜もっともっと日本でのセパタクロー人口を増やしたいと言うのも目標ですよね?
マイナー競技を脱したいと言う言葉にはこだわていないんですけど、自分たちがこれだけ夢中になれるスポーツと言うのを沢山の人にも知っていただきたいと言うのが嬉しいと言うか「知らないのは損しているよ」と言う気持ちもこめて普及したいと思っているので、なので僕たちがセパタクローと言うものにのめり込んで楽しんでいる事をたくさんの人たちに感じてほしいですね。
 〜最後に、改めてセパタクローの魅力とは何でしょうか?
競技的には、サッカーより多くオーバーヘッドなどが常に展開されるアクロバティックでスピーディと言うのが一番の魅力だと思います。
スパイクを打つたびにそんなプレーが飛び出しますので、ぜひみなさんにも一度見ていただきたいですね。
そして一度でも見ていただくきっかけがそこら中に生まれるように、普及活動に努めていきたいと思います。




インタビューを終えて
セパタクロー。アジア発の球技…という知識しかなく、寺本さんをお迎えするにあたって、インターネットの動画で試合の模様を見てビックリ!!すっかり、そのアクロバティックな技に魅せられてしまいました。

まだ日本では歴史の浅い、セパタクロー。そのセパタクローを極めるべく、単身本場のタイに渡り唯一の外国人プロとして活躍していらっしゃる寺本選手。タイという国での、選手生活はプロとはいえ、決して恵まれたものではなく、”武者修行”という言葉がピッタリ。どれほどの苦難か…と想像すると同時に、それを乗り越えた寺本選手のメンタルの強さと、セパタクローにすべてを懸ける姿に圧倒されてしまいました。

静かな語り口…苦難を乗り越え、達観したような佇まい…脂っ気のまったくない、スレンダーな身体…お話をうかがっているうちに、武者修行というより修行僧にも見えてきてしまいました!!

孤独に耐えて闘う…修行僧…そんなイメージがつきつつあったインタビューの最後、あれ、左の薬指に光るリング!!不躾にも聞いてみると最近、日本のセパタクローの選手だった女性と結婚されたと嬉しそうに教えてくださいました。

なるほど〜過酷なタイでの挑戦を支えた大きな力を知り、妙に納得してしまったのでした。

これからも、日本のセパタクローの為に頑張ってくださいね!!!応援しています!一度、華麗な技が飛び出す試合、観戦してみたいです!
(政井マヤ)


政井マヤ
パーソナリティ:
政井マヤ
メキシコ生まれの元フジテレビアナウンサー。フジテレビ時代には、スーパーニュース、ワッツ!?ニッポンなど情報番組を主に担当。2007年3月に俳優の前川泰之さんと 結婚、女児を出産。2008年からスポーツリアルトークのパーソナリティを務めている。
On Air Time
ニッポン放送
(月)〜(金)17:32〜17:37