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【安藤美佐子(あんどう・みさこ)】湘南ベルマーレソフトボールクラブ:ソフトボール元・日本代表 (2009年11月30日〜2009年12月4日オンエア)


毎週様々なアスリートをゲストにお迎えしてお送りしているスポーツリアルトーク。
この番組ホームページでは放送では触れることができなかった部分も含め、
インタビューの内容をお伝えしていきます。
先週のゲストはソフトボール女子元・日本代表の安藤美佐子さんです。




【安藤美佐子】(あんどう・みさこ)
岐阜県出身、1981年生まれ
小学校時代に少年野球を始め、中学からソフトボールに転向。
高校3年生で全日本シニア代表に選出され、以来、数々の国際大会に出場
1996年アトランタオリンピック4位、2000年シドニーオリンピック銀メダルの原動力となり、
その実力は『世界1のショート』との評価を得る。
2005年から、「湘南ベルマーレ」女子ソフトボール部発足に参加しチームを立ち上げ
日本女子リーグ2部に参戦。
昨シーズンからは、監督としてチームを率いています。





【ソフトボールとの出会いは?】
一番最初は父が私にキャッチボールを教え込んだというのがソフトボールというか野球との出会いなんです。
小学生の時は父もコーチをしていたので野球部で4・5・6年生と男の子に混じっていました。
家は4姉妹なんですが、母が音大出で音楽関係の人で姉もその道に進んで音楽一家だったんです。それで父がへそを曲げて公園で朝早く私をキャッチボールに連れ出したんです。
当時私は食いしん坊だったので「美佐子、キャッチボールが終わったらチョコレートパフェをご馳走してあげるから一緒にやろう」って誘ってきたんです(笑)
それから始めて小学校の低学年はとにかくお父さんとキャッチボールをしていて、4年生の時に当時は活発だったので男の子と混じって遊んでいたら仲の良かった男の子から「安ちゃんもう野球部に入りなよ」みたいな事をちょっと言われたんです、
でも私も女の子なので「わかったわかった、じゃあマネージャーではいるよ」と軽く言って最初は道具整備とか倉庫の掃除とかしていたんですけど、5年生くらいの時に男の子のピッチャーがカコンカコンに打たれてコールド負けしてしまったんです。その時に、お父さんは私と毎日キャッチボールしていましたからこの時とばかりに「ちょっと美佐子投げろ!」と言われて、一応ユニフォームを着ていたので投球練習をしたんです。それを監督が横で見たら「あれ?美佐子使えるな」と言ってもらえて、それでやっと選手でやらせてもらえることになったんです。
そのまま小学校は野球をやって、中学校に入ってから迷ったんですよ、ソフトボール、野球、あとバスケットボールと、でも野球は女の子はダメだという事を言われて、じゃあバスケかソフトとなって、でもやっぱり一番最初にお父さんにユニフォーム一式とグラブとバットをプレゼントされた感動が忘れられなくてグラブを使う競技をしたいということでソフトボールを始めたんです。
ホントにグラブとか使いたくて、遊ぶ友達がいなくても一人でもボールを壁に投げて遊んでいたんです。今は工事をして無くなったんですが、ちょっと前までは実家に帰ると家の前の壁はボールの跡が凄いありました(笑)


【最大の挑戦は?】
選手としての最大の挑戦はシドニーオリンピックが一番大きい挑戦だったと思います。
その後の挑戦というとやっぱり新しいクラブチームを発足させたこと、この2つに別れます。
 〜まずはシドニーのお話をお聞かせください、このときは銀メダルを獲得されたんですよね
私たちがソフトボールを始めたころはオリンピックの競技ではなくて1996年のアトランタオリンピックの時に初めて公開競技になるんです、それが私が脂がのっているという時期でその当時キャプテンとしてオリンピックに行かしてもらって96年に関しては4位で終わったんです。
私個人としては全然力を出し切らないで終ってしまったのでその経験があったので次のシドニーではその上、オリンピックという大会の意味を意識しながらやっぱりメダルを取りたいという意識で臨んだので私にとってはすごい挑戦だったんだと思います。
それでもその時の銀メダルは今となっては結構傷が付いてしまっていて、それにたまに「見せてくれ」と言われても「ごめんちょっとどこにあるのかなー」と探したりすんですけど(笑)ホントに取った時はうれしかったですよね。
 〜そしてもう一つの挑戦はご自身でチームを立ち上げられた事なんですね
前の企業のチームから解雇されたというのもあって、その時の監督も一緒に来てくれて解雇されたこととか、本当にどうだったとか色々考えて落ち込むこともあったと思うんですよ。
でも、やっぱりこんなところで立ち止まっていられないので、その時私自身もちょっと行き詰まりもあったんですが、もちろんソフトボールで行くんですけどいろんな仕事ができながらいろんな社会を知りながらという部分でも市民球団として地域に根差してできるというところで新たな魅力を感じて、ひらめきと新たにやりたいという気持ちが一致して飛び込んでいましたね


【最大の壁・挫折は?】
挫折という意味では、2004年アテネオリンピックでメンバーに外れた時です。「あー選考から漏れたんだな」と思ったんですが、半分ぐらいそれがわかった自分もいたんです。
当時2004年ぐらいは私自身にいろいろと迷いもあったというか、それまではソフトボールをやっていて迷った時って一切なかったんです。しかし2004年に関しては迷い弱気というのが自分自身にも少し見えてきたという事があったんです、それでもいろんな人が応援してくれているし期待してくれているしなんとかそれに応えたい!という狭間にいた時期ではあったんです。
だから正直漏れたときは、本当にちょっとだけホッとした自分もいたんです。
その時はちょうどリーグの試合のための移動中で、監督がバスの中で連絡を受けたんです、ちょうどその節が宇津木監督率いるルネサスとの試合が一番最初にだったんです。
細かい事を言えば「やりづらいなー」という気持ちもあるにはあったんですが、1-0かなんかで試合には負けてしまったのですが試合が終わった後すぐに宇津木さんのところに行って「頑張ってください」という事は言ったんですけど。
そのくらいからですね現実を受け止めることの大切さを学んだというのは、やっぱり人間思うようにいっていると自分が思うようにいかなくなった時に意外と受け止められなかったりするじゃないですか、こう言う挫折をしたことで現実を受け止められる大切さを学んだので、今もその時の経験が物事の受け止め方にすごいプラスになっています。

【チャレンジソングは?】
思い出の曲はシドニーオリンピックで試合会場に向かうバスの中でいつも聞いていたのが、当時すごく流行っていた19すべてという曲です。
歌詞も最初の方なんかは結構人のせいにしてた、とか自分がまだまだ青いぞ・若いぞ、みたいな歌詞なんですよ。だから気持ちを落ち着かせながら「良し行こうみたいな気持ちが凄い作りやすかったんですよ。
 〜そのシドニーではすべて出し切ったという試合でしたか?
私個人としては、本当に出し切ったといえるんですよね。やはりアトランタからシドニーに挑戦して、どうしてもメダルが取りたかったですし。
だけどやっぱり、運動選手ですからどうしても「あれでよかったのか?」と思う事は正直あるのでまともに「出し切りましたか?」と聞かれると「ん〜?」という部分はありますけれど、今となって過去を思って言えばあれはあれで出し切ったという感じですよね。
 〜音楽はすごく好きでいらっしゃるんですよね?
そうですね、母も姉も音楽一本ですから。子供のころも私は“なんちゃって〜”ぐらいですが、歌とピアノをやっていました、なので今でも多少遊びでは弾くんですよ。
それで音楽とスポーツというのもすごく関係があるんだろうな、って思っているんです。正直私は音楽を聴いて踊ったりとかは全然できないんですよ、でも守備とかしている時のボールを捕る時のフットワークとかは踊っている感覚なんですよ。
こういう事を思った時に、子供のころ朝の目覚まし代わりが母の発声練習で『はっはっはー』という声だったんですけど(笑)普段から音楽をよく耳にしていたので、無意識の音感とでも言うんでしょうか?結果的にそういうフットワークにつながったのかな、と思っています。


【将来の目標は?】
湘南ベルマーレのチームを発足してもらって今年で5年目のシーズンが終わったんです、それで私が監督になって2年が終わったんです。来年は監督3年目です、今は2部リーグと言うところで試合をしていますのでまずは上位、それに優勝目指していきたいです。
私としては1年目より2年目の今年の戦い方のほうが結果は全然進歩がなかったのですが、色んな部分や選手の可能性を自分が引き出す立場になりそういう面白さとかをものすごく実感しているので、なんとかその辺の部分を来年の結果につなげていきたいというのがあります。
 〜今後この湘南ベルマーレをどんな風なチームにしていきたいと思いますか?
やはり地域密着、発足するときに言っていたように地域に愛されるチームにしたいです。子供たちの講習会だったり、イベントがあると参加したり。
こないだもファン感謝祭を開いて玉入れとかやったのですが私も高校卒業して〜〜年たってるじゃないですか?(笑)ホントに運動会をやっているような気持ちですごい新鮮な気持ちになったんですけど、そういう事を通じて地域の人たちと一緒に楽しんでもらって愛されたいですよね。
そしてもちろん本業の試合の方で「チームを見ていると元気がもらえる」といった負けても勝っても気持ちのいいゲームをいつでもやっていけるような、そういうチームを目指してやっていきたいと思います。




インタビューを終えて
「風邪で声が枯れていて…」とおっしゃりながらも、元気いっぱいだった安藤さん。

声もお腹からまっっすぐ大きく出ていて、羨ましいほどのパワー!しかも、とっても愉快な方&気配りの方で話の終わりに必ず笑わせてくれました。

実は、歌が大好きだという安藤さん。選手達と行くカラオケでは”負けずに”新しい歌を歌うのだとか。きっと、すごい美声&歌唱力、なんでしょうね!!


もちろん練習の時はかなり厳しいのでしょうが、その朗らかさとエネルギーで明るくチームを導いているのでしょうね!選手達もきっと安藤監督のことが大好きなんだろうな〜と思いました。
(政井マヤ)


政井マヤ
パーソナリティ:
政井マヤ
メキシコ生まれの元フジテレビアナウンサー。フジテレビ時代には、スーパーニュース、ワッツ!?ニッポンなど情報番組を主に担当。2007年3月に俳優の前川泰之さんと 結婚、女児を出産。2008年からスポーツリアルトークのパーソナリティを務めている。
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