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【上原浩治(うえはら・こうじ)】メジャーリーグ ボルチモアオリオールズ(1週目) (2009年12月14日〜2009年12月18日オンエア)


毎週様々なアスリートをゲストにお迎えしてお送りしているスポーツリアルトーク。
この番組ホームページでは放送では触れることができなかった部分も含め、
インタビューの内容をお伝えしていきます。
先週・今週の2週間にわたりゲストにはメジャーリーグボルチモアオリオールズの上原浩治投手をお迎えしています。






【メジャーリーグ一年目お疲れさまでした】
いやー、疲れるほどやっていないですね(笑)
最初の3か月はホントに楽しい3ヶ月だったんですけどね、残りの3ヶ月がチームと離れて別行動だったのでちょっとさびしい3ヶ月でしたね。
 〜中でも一番楽しかったことは?
やっぱり自分がやりたかったという場所で野球ができること、あといろんな球場本当に一個一個球場が違うのでそれが一番楽しかったですね。
 〜日本に帰られてホッとしているところでしょうか?
そうですね、やはり言葉が通じるので(笑)言葉の壁は大きいですね。
 〜日本では帰国後すぐにボランティア活動もされていましたね
白血病の子供たちを励ましてあげようと、ジャイアンツ時代からやらせていただいているので。
でもそういった活動はやはりメジャーの方が積極的ですよね、チャリティもすごく多いですし、
自分もプロ野球選手である以上そういう事で子供たちが喜ぶならば積極的にやっていきたいと思います。



【野球との出会いは?】
幼稚園の時です、2つ上の兄が少年野球チームに入っていて、そこに「自分もやりたいなー」と言う事でついていったというのが出会いです。
 〜その後はどういった野球人生を歩まれてきたのでしょうか?
僕が通っていた中学校には野球部と言うものがなくてシニアリーグとかボーイズリーグに入る人はいましたが、僕は入らずに近所の人たちと一緒に日曜日だけなんですが草野球をやっていましたね
あと、学校が終わったら友達と集まって野球をしていたりしました。
中学校から真剣に野球をやるのも自分は嫌だったので、そのころ楽しく野球ができたのは自分の原点になっていると思います。
今でも野球をすることは楽しいですからね。
学生時代は「やらされる野球」も少しは経験しましたけど、それは楽しくなかったですからね。
自分から「やりたい」と、そういう気持ちになれば上手くもなると思います、子供たちにも野球教室でそういう風に言っています。
 〜子供のころからピッチャーだったのでしょうか?
一番最初に記憶があるのはセカンドです、ピッチャーになったのは小学校5〜6年の頃ですね。
打てるのであれば打者になりたいですね、毎日試合に出れるというのがありますし次の日に取り返すことができるじゃないですか。
今日のミスを明日取り返すことができるので、先発ピッチャーと言うのは4日5日待たないと次の登板がないのでイライラしながら待っていないといけない時もありますので、その辺は厳しいものがありますよね。
でも、ピッチャーと言うポジションがなければ自分はこの場にいないでしょうし、野球も続けていなかったと思います。


【上原投手にとっての挑戦は?】
浪人時代に大学受験という事です、厳密には挑戦と言われると違うかもしれませんが。
高校時代に有名であればスポーツ推薦がいただけたのでしょうが、残念ながら試合に出ていなかったので(笑)
それでも野球がやりたいという思いは強かったですね、4年間野球をやって普通に就職して終わろうかなという考えだったので。
とにかく楽しく4年間野球をやりたいな、と思っていましたね。
なので浪人時代の一年間はホントに辛かったですね、1年間野球をやっていませんでしたし本当に19年間分の勉強をしました。
 〜背番号の19というのはその19才からとられたというのは本当でしょうか?
大げさに言うとそうなんですけど、細かく言うと番号が余っていたんですよ(笑)
ジャイアンツに入る時にちょうど19番が余っていまして、大学時代にもつけていた番号ですし、ちょうどいいなと思いまして選んだんです。


【他にはどんなことが挑戦として思い浮かびますか?】
あとは野球界、日本のプロ野球とアメリカのプロ野球とその2つが挑戦ですね。
 〜大学の時点でメジャーからの誘いもあったんですよね、当時は迷いましたか?
そうですね、ここまでに決めなきゃけないという期限があったのですがその最終日まで悩みましたね。
その当時のスカウトの方から「100%の自信がなければアメリカには来るな」と言われたんです。
それで「100%か」と考えた時に90%は自身が有ったんですけど100%では無いなと思いまして、すごく厳しい言葉かと思われるんですが僕にとってはありがたい言葉でしたね。
 〜それではジャイアンツ時代はいかがでしたか?
日本の中でのメジャー、そういう意味で選んだので、色々注目されますがそこで活躍しないと次のステップには行けないわけですから。
そこで10年間やったという自信を持ってメジャーリーグに臨んだわけですけど、見事に打ち砕かれました。ホントに来年が勝負の年です。
 〜メジャーへの挑戦は気持ちとしては「満を持して」といった感じだったのでしょうか?
気持ちとしては10年間上手いこと持続できたと思います、けどやっぱり体が23才と34才では違うな、とつくづく感じました。
 〜10年前は100%の自信がなければ来るな、と言われたわけですけれども去年は100%の自信を持って挑戦したのでしょうか?
自身よりもワクワク感で行ったという感じが大きいです、やっと自分のやりたいことが出来る!というワクワク感です。
そのメジャー一年目での一番の思い出はやっぱり松井さんとの対戦です、日本では同じジャイアンツにいたので真剣勝負もしていないですし。
無効に行って違うユニフォームで、しかもデビュー戦の相手と言う事で、ドキドキワクワクといった感じですごい楽しかったですね。
スタートとしてはこれ以上のないスタートでした、すぐに躓いたんですけど(笑)でもまだまだこれからです!




【趣味・プライベートは?】
一番の趣味はゴルフです、でも今年は肘の故障があってやめている状況ですけど、やっぱりゴルフが一番楽しいですね。
野球選手だとヤクルトの宮本さんとは毎年行っていて、今年はちょっと肘の具合もあって「すいません」と言うメールは打ちましたけど、治ったら一番に行きたいですね。
宮本さんとはゴルフではいい勝負をしているんですよ。
でもプロ野球選手だから上手いと思われがちなんですが、スコアの目標は80代前半いけたらいいな〜と思っています。
 〜ブログを拝見するとアメリカのいろんなスポーツを見て感想を書かれていますよね?
やっぱり生で見るスポーツっていいですよね。特にアメフトはスゴイデスネ日本ではそんなに言うほど見る機会はないじゃないですか、向こうに行ったら町がアメフト一色になっていますから。
家からすぐ近くに競技場があるんですけど、外を見たらみんなチームカラーの紫のユニフォームを着て歩いてますから。
 〜奥さまも一緒に?
行ってないですね、あまり興味がないみたいなので(笑)
 〜息子さんが現在3才という事ですが家では良きパパになられているのでしょうか?
いや〜、幼稚園に放り込んでいるので良きパパと言うほどでもないですよね。
でも、息子もすっかり向こうの生活に溶け込んで、僕より英語がしゃべれるようになってますから尊敬しますよね。
ぼくが何を話しているか聞き取れないですから(笑)





 〜上原投手には引き続き今週もお話を伺います

政井マヤ
パーソナリティ:
政井マヤ
メキシコ生まれの元フジテレビアナウンサー。フジテレビ時代には、スーパーニュース、ワッツ!?ニッポンなど情報番組を主に担当。2007年3月に俳優の前川泰之さんと 結婚、女児を出産。2008年からスポーツリアルトークのパーソナリティを務めている。
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