【齊藤清・さいとう きよし】卓球 (2010年3月1日〜5日オンエア)
インタビューを終えて
毎週様々なアスリートをゲストにお迎えしてお送りしているスポーツリアルトーク。
この番組ホームページでは放送では触れることができなかった部分も含め、
インタビューの内容をお伝えしていきます。
先週のゲストは卓球の齊藤清さんです。
全日本卓球選手権に8度優勝、史上最多の通産101勝を挙げた齊藤さんに貴重なお話をたっぷり伺いました。
【齊藤清・さいとう きよし】卓球
山形県出身、1962年生まれで現在47歳。
全日本卓球選手権の男子シングルスでは歴代最多の8度 栄冠に輝き、
日本代表としてソウルオリンピックに出場。
1992年に第一線を退きますが、その後も長く日本卓球界のトップで活躍。
今年1月には全日本卓球選手権で、前人未到の男子シングルス通算101勝をマーク。
卓球界に新たな金字塔を打ち立て、大きな話題となりました。
【齊藤さんと卓球との出会いは?】
小学校時代にスキーをしていまして、その先輩方が中学校に行くと皆さん卓球部に入るんですよ。
それで僕も中学に入ると「卓球部に入れ」と勧誘されたんです。
しかし中学一年から卓球を始めたと言っても夏までは球広いとかでそんなに打てないんですよ。
〜それでは最初はなかなか苦労されたんでしょうか?
それが中学二年の時に県大会で優勝をしまして、それもシングル、ダブルス、団体と。
そして東部大会でシングル2位、それで全国中学生大会に進みました。
〜どうしてそんなに強かったのでしょうか?
ただただ、一生懸命言われた事をやっていただけなんですよ。
自分でもなぜ強くなったのかはよく分からないんです。
〜全日本卓球選手権で101勝という大記録を打ち立てられましたが、この1勝目を挙げたのはいつごろでしょうか?
初めて出た高校3年生の時です。
〜それから30年かけ101勝を挙げられるわけですが、そこまで卓球の虜になった魅力とはなんでしょうか?
まずボールを打ちますよね、それが続くとすごく楽しいんですよ。
その楽しいもので、今度は打ってくる相手の心が読める、「この人はおっちょこちょいだな」とか「この人はせっかちだな」とか「この人は我慢できないんだな」と言った感じで性格がわかるので、そういった事の楽しさですね。それがツボにはまるともっともっと楽しくなります。
〜そんな齊藤さんのプレースタイルは?
僕は本当に「おしん」卓球ですね、とにかく我慢、それで伝統的な日本の卓球ですね、フォアハンドとフットワークをいかんなく発揮して粘る、と、そしてチャンスボールが来たら止めをさす、という感じですね。
【最大の挑戦は?】
やはり全日本卓球選手権で初優勝しようと思い、それに向けての心構えや、やってきた事ですね。
成れるだろうとは思っていたのですが、本気で取ろうと覚悟した時ですね。
〜そう思ったのはいつでしょうか?
それは大学1年の時に負けた時ですね、その日いつも練習や用具関係でお世話になっている卓球メーカーの辻さん方が「ご飯を食べに行こう」と言ってくださいまして、その時3時間くらいですかね説教されましたね。
「来年はお前チャンピオンを取るんだろう?」と聞かれたときに簡単に「まぁなりますよ」と言ったんです、そしたら「なるとか出来るじゃなくて、取るのか取らないのか、俺に決意を言え!」と言われ「取ります!」と言ってその次の日からそれまでよりもっともっと練習量を増やして毎日練習しましたね。・
学校行くにもジャージ姿で行っていましたし、卓球用具は肌身離さず持っていて、休憩時間など時間があれば卓球の練習をやっていました。
そして1年後、シングルに優勝し、しかもダブルスにも優勝し、混合ダブルスは私の亡くなったカミさんと組んだのですがこのペアも辻さんがお世話してくれて「組むんだったらこの嶋内よし子さんが良いのではないか?」とお電話してくれて、初めて組んで優勝したんです。全日本男子ではその3冠というのはそれまでになく初めてでした。
〜それが大学2年の時ですが、その後47歳まで全日本選手権で101勝を挙げるまで目指し続けた原動力は何でしょうか?
101勝に限れば、やはり周りの方の応援です。
齊藤清を知っている方は「101勝できるのはお前しかいない、だから応援をするから是非ともやってほしい」と現役を28才で引退してますから、それまでは自分のために卓球をやってきましたがそれからは周りの方々のために記録を作るというか残すという使命ですね、そして101勝という日本卓球界が成していない出来なかったものを皆さんと味わいたいというのが大きな原動力でしたね。
〜この101勝は全日本卓球選手権に限っての数字なんですよね?
そうです。優勝しても6勝、それが10年続いても60勝ぐらいですから。
〜一番苦しかった1勝は?
やっぱり最後ですね、今年の101勝目です。
自分では調子も良く練習も出来ていたので「いける!」と言う気持ちだったんですが実際に大会になって会場に入りましたら体が重かったんですね、初出場した時のように目に見えないプレッシャーのようなものを感じました。
試合していても「こんなはずじゃないんだ、もっとできるはずなのになんで出来ないんだろう?」と言った感じで体が重かったですね。
【最大の壁・挫折は?】
左肩を一度壊しているんですよ。中学の時に痛めて高校、大学と来たのですけど、24〜5才の時に肩を壊したんですね。
3位にはなっていましたけど、それで2年間全日本チャンピオンになれないくらいで。
とにかく痛くて、寝ている時もズキンズキン痛くて本当に夜中泣いていましたんで、腕も上がらずピンポン球を打つと砲丸を打っているような感じなんですよ。
それでも世界選手権とか全日本選手権でまぁまぁの成績を収めていたのですが、肩が痛くて思うような試合が出来なくて、世界選手権の最中に「もう卓球を辞めたい」とはっきり言った事はありますね。その時は挫折でしたね。
高校の恩師の吉田先生が当時日本のベンチコーチもしていましたので「やめたい」と相談したんです、しかし先生は「まだ早い、それに若い、まだまだお前は世界に出て活躍していかなくてはだめなんだ、もう一回治して頑張れ」と言ってくださいました、
それでも「やめたい」と私が言って先生が「まだ早い」とその言い争いでしたね。
〜肩はやはり手術をされたのでしょうか?
最終的には手術をしなくてはいけないようだったのですが、私は手術をしたくなかったので、痛みはあるのですがなんとか治療だけで克服しながらしています。
〜それでは今も痛みを抱えていらっしゃるんですね?
痛いですね。だから全日本の時も腕が上がらなくて回らないなんてしょっちゅうありますよ。
あと壁ですが世界との壁を知りました、やはり日本チャンピオンになって世界選手権に出てベスト8に入り世界ランキング5位になりましたが、そこからなかなか上には行けなくて世界に対しての自分の事は知りましたね。
求めるものが世界だったので、日本で勝っても世界で勝てなくては許していただけないですし納得してもらえないんですよ、そこでやはり悩みましたよね。
【齊藤さんにとってのマイチャレンジソングは?】
Every Little Thingのfragileです、6年前にカミさんに先立たれまして、この曲の歌詞がカミさんと長く過ごした事と同じでそこでジーンときまして、それで好きですね。
この曲を聴くと卓球も頑張らないとな、と思いますね。
カミさんも強かったですからね、シングルでも2回優勝していますしダブルスでも活躍していましたから、卓球は特にサーブレシーブが良くないといけないのですがレシーブの部分で良く助けてくれましたしね。
〜結婚されてからも混合ダブルスには出られたのですか?
お互いに現役を引退した後ですが2回出ました、私が一回は同じ名字で出たかったので。
今までは現役で名字が違うじゃないですか、でも結婚して名字も同じじゃないですか、それで出たいなーと思っていまして、カミさんは嫌がっていましたけど。
それを何とか説得して、それが全日本で3位に入っちゃったんですよ、お互い現役を退いてだいぶ体系も違ってしまったんですけど、それで推薦を頂いて翌年も出させていただき満足しましたね。
〜奥様が心の支えになり101勝を達成したという感じでしょうか?
そうですね、自分が周りからもそう言われていたように、カミさんも「101勝のために頑張らせてよ」と言われていたんだと思います。
そういう意味で優勝して家に帰ったときとか料理が違うんです、それで聞くと「今日優勝したんでしょ」って。
なかなか口には出さないんですがキチっとやってくれていたんです、今思うとカミさんが全部レールを作ってくれていて私がそのレール乗ってきたなと思います。
ですから、あとはもう僕自身ですよね、101勝の次の事は自分自身で成し遂げなければいけないものだと思いますよね。
【最後に今後の目標をお願いします】
2つあるんです。1つは101勝を達成でき区切りがついたので、今度は自分が楽しむ為にもう一度全日本選手権に出られたらですけど102勝103勝を狙いたいなと思っています。
こないだも101勝して大学に帰った後に先生方から「101勝は終わりじゃないんだ、スタートなんだ、1があれば2がある2があれば3がある、だからどんどんどんどん勝って110勝120勝と頑張ってもらいたい」と励ましの言葉ももらいました。
ですからチャンスがあれば全日本で戦いたいというのは一つですね。
体はもうしんどいというより痛いです、筋肉痛ではないんですよ、もうほんとに痛いです。
しかし同世代の方から「齊藤が頑張ってるからオレも頑張れる」「齊藤はオレたちの希望の星だから」とホントに良く言われますよ、それを聞くと簡単にはやめられません。
もう1つは卓球の底辺を増やしたいです、いろんな人に卓球の楽しさを教えたいですよね。
卓球は根暗だ、クライだ言われましたけど今はすごく明るいですよね、しかしまだまだ卓球の本来の楽しさを知らずに「卓球はつまらないな」と言う人も多いと思うんです。
その為にはやはり卓球の楽しさを伝えて卓球を広めたいというのがあります。
卓球を強くする!と教えるのではなく、楽しく好きになってもらえれば自然と強くなっていきますから、卓球を好きになってくれる方をどんどん増やしたいですし、伝えたいです。
〜齊藤さんの人生はこれからも卓球とともに挑戦し続けていくんでしょうね?
一時は卓球界から離れようとしたんですよね、卓球をしたくなくなってね。でも結局は卓球をしたくなって戻ってきたので。
一回は離しましたけど、二回目はそんな事がないように卓球界と最後まで関わっていきたいと思います。
〜最後に、齊藤さんにとって卓球とはなんでしょうか?
人生です、最初は好きで生き甲斐だったんですけど、ここまでくれば人生です。卓球イコール齊藤なんです。
インタビューの中では「斉藤選手」と呼ばせていただいたのですが、斉藤さんご自身、ちょっと照れくさかったご様子。
101回の記録達成・・・『(亡くなった)妻なら派手なお祝いでなく、さりげなく好きな料理を作ってくれるとか、食事の後にお酒を出しれくれたでしょう・・・』との言葉に夫婦の絆の強さ、そして斉藤さんの傍らにいる奥様の存在を強く感じました。
お子様は卓球はあえてやらせなかったとのこと。でも、将来お孫さんが出来たら?と伺うと『そりゃあ、卓球です!』と即答。
きっとお孫さんと対戦するその日まで「斉藤選手」は腕を磨いているのでしょうね!
(政井マヤ)