リポビタンDプレゼンツ スポーツリアルトーク

今週のゲストは?
前回のゲスト バックナンバー

【名良橋晃・ならはしあきら】サッカー元日本代表(2010年5月31日〜6月4日オンエア)

夢に向かってチャレンジするアスリートをクローズアップ!
先週のゲストはサッカー元日本代表ので活躍された名良橋晃さんでした。
サッカーワールドカップフランス大会に出場された名良橋さんに、貴重なお話をたっぷり伺いました。

【名良橋晃・ならはしあきら】
千葉県出身、1972年生まれ現在38歳
小学校からサッカーを始め千葉英和高校を経て
1990年日本リーグのフジタ(後のベルマーレ平塚 現・湘南ベルマーレ)に入団。
1994年チームのJリーグ昇格に伴いJリーグデビュー、
1997年鹿島アントラーズへ移籍。
日本代表としても活躍し1998年のフランスワールドカップでは全3試合に出場。
2008年に現役を引退後、サッカー解説者として活躍。
さらに指導者としてS.C.相模原ジュニアユースの総監督を務める。




【名良橋晃さんとサッカーとの出会いは?】
小学校2年生のころにマンガのキャプテン翼を読んでいまして、当時友達の間でキックベースがはやっていましてボールを蹴る事は日常だったんです。
そんな時マンガのキャプテン翼と出会い「サッカー良いじゃん!大空翼くんみたいになりたい!」と思ったんです。
それでキックベースは小学校の校庭でやっていたのですが、キック力があったみたいで小学校の先生がそれをたまたま見ていて「お前ちょっと遊びに来い」と言われましてそれが小学校のサッカー部に入ったのがきっかけです。
そのサッカー部には「リフティングが5回出来る事」という入部条件があったのですが先生には「お前はリフティング5回しなくていいから」と言われたので本当にキック力だけでしたね。その後はまさにサッカー小僧でした。
 〜名良橋さんといえば日本代表で活躍したサイドバックという印象ですが子供の頃のポジションはどこだったのでしょうか
子供のころは大空翼くんが大好きだったのでフォワードでした、点取るのが大好きだったので。そのまま高校まではフォワードでしたね。
 〜ひたすらゴールを狙うと
守るのは大嫌いだったので(笑)守るのは味方の守備の選手にやらせておいて僕はひたすらゴールを狙っていましたね。
だから大空翼くんより日向小次郎タイプといった方が近かったかもしれません、そんなプレースタイルでずーっとやっていましたね。
サイドバックになったのは、今で言うU-18とかU-19に選ばれて、最初はフォワードで選ばれたんですが合宿をやっていくにつれて徐々に徐々にポジションが下がって行って、その時3バックの3−5−2のフォーメーションが流行っていて左のウィングバックのポジションをやらされて監督に「お前は元々フォワードで入れるつもりはなかったから、このポジションで入れるつもりだったから」とハッキリ言われて、僕はもうそこで切り替えてやっていました。
 〜そこで面白さとかは発見しましたか?
面白さというか、、、、僕守るのが大嫌いだったので「何だよこのポジション守んなきゃいけないじゃん!」と思いましてディフェンスを一から叩きこまれましたね、そういう苦い思い出があります。
でも、自分で言うのもあれですけど僕スピードがあったので、サイドって目の前にスペースがあるので自分がスピードに乗ったプレーが出来るので「自分のスピードをうまく活かせるポジションかな」とは思いましたね、なので攻撃に関してはちょっと楽しいかなと思いました。
 〜守りに関しては?
苦痛でしたね(笑)「何でここまで引かなきゃいけないんだよ!」と(笑)もう貪欲に前に言って攻撃に参加していましたからね。


【名良橋晃さんにとって一番の努力は?】
その日その日を一生懸命やって行くというか、目的を持つことによってそこをクリアして日々自分のプレーというのも上乗せされると思いますのでそういう意識を持ってやっていましたね。
 〜そんな日々の中で初めてのワールドカップ出場をかけた最終予選というのも厳しい戦いでしたね
山あり谷ありでしたね。ホントに最初は良い形で勝って行ったんですけど韓国戦で負けたり次に引き分けたり色々ありました。
なので本大会より最終予選の方が僕にとっては思い入れがありますね。
 〜それぐらい苦しかったのですね?
肉体的にも、精神的にも。マスコミの方が色々書くじゃないですか、あまり僕はそういう事を期にはしなかったんですけど耳には入ってくるのでそういうところは意識をしないで自分のプレーをしっかりやって行くことが大事かなとは思っていましたけど。
 〜そんな苦しい思いを乗り越えて掴んだフランスワールドカップにはどんな思い出がありますか?
当時は「自分がワールドカップに出ていいのかな?」という思いもありました。ですが、フランスで開催されたんですが日本人のお客さんがとにかく多くて「日本でやっている」感じを作ってもらいましてなんだかワールドカップという実感が無くて「ここは国立競技場か!?」と思うくらいにたくさんの方が来てくれました、残念ながら結果の方は出なかったんですけどもありがたかったですね。
 〜名良橋さんはフランスワールドカップ3試合すべてに出場されましたが一番思い出がある試合はどの試合でしょうか?
僕はジャマイカ戦ですね、2連敗してジャマイカ戦に勝たないといけない!という事で前の2戦よりも攻撃的に行って、後半なんですが名波浩君からの縦パスが、上がって行った僕に入って僕はダイレクトボレーを打つんです「入ったーーーー!」と思ったらポストにコンと当たりまして、、、だから僕日本代表の初ポストです!ワールドカップ史上日本の初ポスト(笑)まったく誰も覚えてないと思うんですけど、初ゴールはゴンさん(中山雅史選手)で記憶に残るじゃないですか、初ポストというのは多分記憶に残らないんじゃないかと思いますが僕なんです。
それに初ゴール中山の方が絵になるじゃないですか、どう考えても(笑)僕が決めると「アレ?フランスの初ゴール名良橋だったっけ」と絵にならないので、今となってはオチは僕かな、ポストで良かったのかなと思いますね(笑)
 〜でも当時は悔しかったのではないでしょうか?
アレは悔しかったですねー、あと5センチです!でも良いんです、あの5センチが僕です(笑)


【名良橋晃さんにとって一番の壁・挫折は?】
年齢を重ねて自分がベテランになって行ったときにちょっとケガがちになってレギュラーポジションを、今、鹿島で頑張っている内田篤人君が入ってきて、それより上に行かないとレギュラーを取れないと言うところになってきてそういうところで葛藤というか悩みはありましたね。
 〜当時はおいくつでしたか
34〜5ぐらいですね、焦りもありましたし試合に出られないから「来シーズンは鹿島の選手としてやっていけない」という事もありましたし、そういう事を考えちゃいけないんですけどね。
それでも一日一日トレーニングをしっかりやって、そういうところはしっかりやっていったつもりです。
 〜当時引退という事は考えませんでしたか?
それは無かったですね、コンディションは凄く良かったですから「まだやれる!」と思ってましたので。
それで一年経って鹿島から戦力外通告を受けた時も僕自身は選手としてまだまだやりたかったので、そこで移籍先を探して、古巣の湘南ベルマーレに移籍することが決まって、そこで試合に出る事は出来なかったんですけどそこでも一日一日トレーングをしっかりやっててコンディションは維持していました。
 〜当時名良橋さんの支えになっていたものはなんでしょうか?
やっぱり家族の存在というのが一番大事だったと思います、後は憧れていた選手にジョルジーニョという選手がいて今はドゥンガといっしょにブラジル代表のスタッフしているんですけど、そのジョルジーニョが苦しい時にアドバイスをもらったりしました。
ジョルジーニョとは同じチームとしては鹿島で2年間だけしかできなかったんですけど通訳の人に頼んでブラジルに電話してもらって「苦しい時期だけどコンディションは維持して、絶対に試合に出る日が来るからそこまで準備する事が大事だ」と言われたので、それはハッキリ覚えていますね。
声を聞いただけで嬉しかったですね、その時も久しぶりに声を聞いたので、いろいろ聞きたい事もありましたけどまずは声を聞けた事が嬉しかったです。そこでいろいろアドバイスをもらえたのでとてもいい電話でした。



【名良橋晃さんにとっての思い出の一曲・マイメモリーソングは?】
1997年ベルマーレ平塚から鹿島アントラーズに移籍する当時に曲なんですが安室奈美恵さんのCAN YOU CELEBRATE?です。
この曲は「バージンロード」というドラマを見ていたのですがその主題歌だったんです、それでこの曲を知っていいなと思ってCDを買ったんですが当時移籍がすぐに決まらなかったんですよ、
「まだかなまだかな」と鹿島に行きたい気持ちがあったのでその苦しい時に車で良く聞いてましたね。
いまでもCAN YOU CELEBRATE?がたまにテレビとかでフッとかかると移籍の苦しい時というのを凄く思い出します。
そしていざ移籍が決まった時も当時東京に住んでいましたので東京から鹿島って車で結構あるじゃないですか、その時も車の中で聞いていました。
 〜今はどんな曲を聞かれるんですか
今は、小学校4年生なんですが娘がいるので車で何を聞くとか家で何を聞くとか娘に占領されているんですけどほとんど嵐のベストですね。
一人で車に乗っていてもそれがかかってしまうので、実は一人の時は車の中では結構大きい声で歌っていますよ(笑)
家族と乗っている時も歌っているんですが良く「松潤の声が聞こえないじゃん!」みたいにうるさいとか言われるのでブツブツブツブツ小声で歌っています(笑)
 〜サッカーをされてる時のようなストイックなイメージとは全然違うんですね
全然違いますね、家族といる時はいじられキャラなんで。
他の人からも僕、結構真面目そうなイメージがあるみたいなんですが話していると「全然違いますね」とよく言われますね。
 〜現役引退後始められた趣味と勝手ありますか?
やはり体を動かすのが好きなのでランニングは良くやっています。一度10キロマラソンというのには挑戦しましたがまだフルマラソンというのは無いので今年はぜひ挑戦したいですね。


【名良橋晃さんの今後の大きな目標は?】
やはり良い指導者を目指しているので、そうなれれば良いなと思っています。
今は、S.C.相模原というチームのジュニアユースの総監督をやらせてもらっていますけどやはり難しいですね。短めに伝えないといけないので、やはり長くだらだらだらだら話してると相手は中学生の年代なので「話まだ?体動かそうよ〜」見たいな感じで顔に出るのでそこは伝え方は難しいなというところはありますね。
 〜子供を指導する上で気をつけている事はありますか?
まずは教えすぎないというところを気をつけています。
見ていると「あ、こういうプレーもできないの?こういう風にできるじゃん!」と言いたくなるところもあって葛藤するんですけど、それを言ってしまうとそれだけになってしまうのでヒントを与えて子供たちに考えさせるというのが大事になってくるので。
 〜ご自身が子供の頃にやっていた環境と今の子供たちは違いますか?
今は素晴らしくいいですよね、人工芝のグラウンドはありますし天然芝のグラウンドもありますから、僕らの頃は土ばかりでしたからね土のグラウンドが当たり前で指示は「水飲むな!」の世代でしたから、今考えたら凄い事をやっていたなと思いますね。
でも、水飲み場がグラウンドの陰にあったので僕は先輩の水くみ係を率先して「行ってきます!」と行って隠れて水を飲んでいましたけどね、今だから言えますよねホントに。
 〜解説者としても活躍されていますが解説をするうえで心掛けている事はなんでしょうか?
指導とも一緒だと思うのですが、アドバイスと同じでタラタラタラタラ長く言ってしまうとプレーの局面が変わってしまうので、サッカーは展開が速いので何か長く説明していたらすぐに違う形からゴールに!なんて事もおこってしまうのでそこも短く的確に伝えようと心掛けています。
なので解説が指導に、指導が解説に互いに役立っているので今はとても充実していますね。

政井マヤ
パーソナリティ:
政井マヤ
メキシコ生まれの元フジテレビアナウンサー。フジテレビ時代には、スーパーニュース、ワッツ!?ニッポンなど情報番組を主に担当。2007年3月に俳優の前川泰之さんと 結婚、女児を出産。2008年からスポーツリアルトークのパーソナリティを務めている。
On Air Time
ニッポン放送
(月)〜(金)17:32〜17:37