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【中西永輔・なかにしえいすけ】サッカー元日本代表(2010年6月7日〜6月11日オンエア)

夢に向かってチャレンジするアスリートをクローズアップ!
先週のゲストはサッカー元日本代表ので活躍された中西永輔さんでした。
サッカーワールドカップフランス大会に出場された中西さんに、貴重なお話をたっぷり伺いました。

【中西永輔・なかにしえいすけ】
三重県出身、1973年生まれ現在36歳
四日市中央工業高校時代に脚光を浴び同級生の小倉隆史さんらとともに大活躍し3年時に高校サッカー選手権に優勝。
高校卒業後に入団したジェフ市原でも1年目からレギュラーを獲得。
1998年日本代表としてフランスワールドカップ出場し歴史にその名を刻む。
2004年に横浜Fマリノスに移籍、2007年に引退するまでJリーグ通算309試合に出場したJリーグ屈指のユーティリティプレイヤー。

中西永輔さんオフィシャルブログ
http://ameblo.jp/sukesan-blog/




【中西永輔さんとサッカーとの出会いは?】
小学校1年生の頃です、それまでボールを蹴ると言うぐらいのことはやっていたのですが小学校の入学式の帰り道にグラウンドのそばを通りましたらお兄さんたちがサッカーを練習していまして「おもしろそうだなー」と思ってそのまま勢いで遊ばせてもらったんですよね。
その頃は人見知りとかあまりしなかったので参加させてもらって、いつ入団したのかは分からないのですがいつのまにか親が入団させてくれてて、そのままどっぷりサッカーをやり始めたという感じです。
 〜そのままサッカーを続け進学した四日市中央工業高校では同じくJリーグ入りした小倉隆史さんや中田一三さんらと一緒にプレーされていたんですよね?
同じチームから3人プロに行くというのは今でもそうある事ではないと思うのですが、3人とも声をかけてもらってプロに行ったので凄くよかったかなと思います。
 〜今でも小倉さんとかと会うと懐かしいですか?
懐かしいですね、今でもたまに古い写真とか試合の様子を仲間と集まってみるんですけど笑いながら「この時良いサッカーしてたな」とか話しながら見てます。
その四中工で良い仲間たちと出会ってみんなが志が高くて3年生の時に優勝できた、これが自分にとってサッカーの原点なのかなと思いますけどね。
 〜中西さんは複数のポジションをこなされましたが最初のポジションと言うのは?
最初はミッドフィルダーと呼ばれるポジションでテクニック派ではなかったのですが、今で言うなら中村俊輔選手がいるような中盤のサイドよりのポジションでやっていたのですが、3年生のときにはサイドバックのポジションになっていましたけど。
 〜当時からポジションが色々変っていたのですね?
一応いろんなポジションをやって出来る事は出来たので、プロになってからやっていないのはゴールキーパーだけでしたし。
でも今でこそユーティリティプレイヤーという言葉が出来ていますけど、その当時は「器用貧乏」と言われて、非難ではないのですが「器用貧乏だからポジションが固定されないんだ」みたいな事も言われましたけどね。
その頃から僕は「どこでもできるんだからええやん!」と思っていましたけどね、そのあと何年か後に1人2コ3コポジションができるユーティリティプレイヤーと言うのが評価されるようになりまして、ちょっと先取りしてましたよね(笑)
 〜中西さん自信一番好きなポジションは?
やっぱりフォワードですよね、点を取るポジションが花形ですから、ディフェンスは守ってて一点取られたら非難されますから、フォワードはそれまで外してても一点取れば評価されますからね。


【中西永輔さんにとって一番の努力は?】
ワールドカップに出るために短い期間ですがディフェンスの確認とか凄い高い意識の中で色々やった事ですね。
ジョホールバールで行われた第3代表決定戦で勝った瞬間は僕もすごく号泣して歓喜したのですが、ふと我に返ると日本代表はワールドカップ出場を決めたのですが僕が行けると決まったわけでは無いので、そこから発表までの期間はすごくピリピリしてJリーグでも結果を残さなければなら勝ったですし、代表の合宿でもアピールをしなければいけないという事で自分の強みを見せ「こいつはワールドカップでも通用する」と思わせないと選んでもらえないなと思ったので、その時はやっぱり努力をしましたよね。
 〜そして98年のフランスワードどカップでは2試合に出場されましたけど、印象的な試合やシーンと言うのは?
やっぱり初戦のアルゼンチン戦ですよね、最初入場する前にアルゼンチンの選手がいっぱいいて、僕はそんなにエリートみたいな街道で進んできたわけではないので国際試合の経験が乏しかったんですよね、しかし隣を見るとテレビでしか見たこと無い選手が11人ずらーっと並んでいて、その選手たちを見ながら入場して国歌を聞いた時には試合前なのに鳥肌が立って泣きそうになりましたよね。
でも「緊張するのかな?」と思っていたのですけど面と向かって「自分の力がどのくらい通用するのかな?」と考えたら武者震いというか力が湧いてきたというか「やってやろう!」と、でも「やられて当たり前」と言う気持ちも頭の中にはあったのでそれだったら抑えたら俺の価値だなと言うのがあったので緊張の中でも楽しめましたね。
僕のマークがクラウディオ・ロペスという凄く足の速い選手でそれを抑えるために先発起用されたと言う感じがあったので、後半マークについていたそのクラウディオ・ロペスが交代した時は「自分の仕事ができたな」と思えましたね。
結果は負けなんですけど、今振り返ると見てる方たちとやっている僕たちとでは感じ方は違うと思うのですけど僕的には「もしかしたら勝ててかな」みたいな試合だったので余計に悔しさが残りましたけどね、世界の選手たちにもある程度自分たちの能力は通用するんだなと言う事はわかりましたし負けはしましたけど自分の中では充実感は凄くありましたけどね。


【中西永輔さんにとって一番の壁・挫折は?】
アトランタオリンピックの時ですね、当時21歳ぐらいからアトランタ五輪のメンバーに入っていたのですが最終予選を前に外されたんです。
そのあとアトランタオリンピックで日本代表はブラジルを破ってマイアミの奇跡と呼ばれる試合をして、それをテレビで見まして今までやってきた仲間が歴史に残る試合をしてすごく悔しい思いをしたんですよね。
 〜その悔しさはどのように次のステップへつなげていったのですか?
言い方は悪いんですけどハッキリ言って“ムカついた”んです「このヤロー!なんで外しやがったんや!」と、じゃあ俺の事を評価しなかった人たちを見返すためにはA代表に入ってワールドカップに出るしかない!とそこから反骨精神と言うかそういう気持ちを胸にため込みながらやりましたよね。
なので98年にワールドカップのピッチ立った時には夢の舞台に立てた感動と「お前ら見てるか?俺を評価しなかった奴!俺はこのピッチに立っているぞ!」と言う気持ちもありましたね。
自分の夢でもありましたし、見返す事も出来たので本当に最高の舞台でしたね。
 〜中西さんはそういった大きな大会の時はどういう風に気持ちの切り替えをなさっていたのですか??
結構僕ネガティブ派なんですよね、なので「この選手にやられて当たり前やな」というのが逆に僕は良い切り替えになると言うか、自分の方が上だと思ってしまうと全然ダメになってしまうのでどの選手と当たる時でも「こいつ速いし、ヘディングも強いし、やられてもしゃあ無いな」と思った方が緊張しないで自分のプレーができるので、そういう大きい舞台や試合の時ではそう考えるようにしていました。


【中西永輔さんにとっての思い出の一曲・マイメモリーソングは?】
どれだと言われたら、やはり高校サッカーのテーマソングふり向くな君は美しいです。
36になった今でも、この音楽を聞くと闘志が湧くと言うかアドレナリンが出ると言うか、多分高校サッカーをやっていた人たちはみんなそうだと思うんですけどね。
予選とかでも試合会場で流れますし、僕たちの四日市中央工業では全国大会の前になるとグラウンドにスピーカーでその音楽を流しながら練習すると言う感じで本当にテーマソングで、この曲を聞いてテンションを上げて練習するというのが恒例でしたね。
 〜今週はワールドカップが開幕したと言う事でワールドカップのお話をたくさん聞いてきましたが、やはり中西さんにとっては高校サッカー選手権と言うのは一つの大きな思い出なんですね?
もう間違いなく青春の1ページというか一部と言うかそのままという感じなので、この時にこういう形で高校サッカーをやっていなかったらその後ワールドカップまで出れていなかったんだろうな、と言うのは絶対にありますね。

 〜サッカー以外のプライベートも伺っていきたいのですが、気分転換の趣味と言うのは何でしょうか?
釣りですね、これは昔から子供のころから父親に連れられて海釣りとかに入っていたのですが、今は基本的にバス釣りルアー釣り全般でやっています、これも中学生の時には始めたんですけどね。
 〜釣りのキャリアも長いんですね?
長いですねぇ、竿もいっぱい持っていますから(笑)
 〜現役時代もやられていたんですか?
やってましたね!暇さえあれば行ってましたから。
 〜釣りだとけがの心配がないから、現役選手にもいいですよね?
でも釣りはどんどん新しい道具が出ますので、お金がかかって仕方がないですけどね(笑)

【中西永輔さんの今後の大きな目標は?】
そうですね、まずはJリーグの監督になる事なのかな、と。
そしていつかは日本代表の監督になれたらいいかなと思います。
 〜やはり現役時代から指導者と言うものにあこがれるものなんですか?
現役の頃は自分が辞めた後に何をするのかは考えられないですね、サッカーしかやっていないので自分がどういう道に進むのかというヴィジョンは思い浮かばなかったのですけども年を取るにつて引退が近付くにつれ「自分何してったらええんやろな?」と考えた時にやはりサッカーばかりやってきたのでサッカーに携わる仕事と考えると指導者なのかなと思いましたね。
出来れば体が動く間は練習とかは一緒にやりたいなと思いますけどね。
 〜サッカーの監督はライセンスなどがしっかりとあるんですよね?
そうなんです、筆記もあるのでこの年になってしっかり勉強するのは辛いですけど(笑)
後はもちろん実技・実戦と言うのもあるんですけど、勉強は解る部分もあるのですけど全く解らないところも勉強させられたりするので。
 〜例えばどういった事を?
心理学であったり、今までそんなに思っていなかった事をやるとなかなかすんなり頭に入っていかないんですよね。
でもそういった幅広い知識が必要だと思うと、やっぱり監督って大変な仕事なんだなと改めて思いますよね。
 〜子供たち相手のサッカー教室でも教えられていますが子供たち相手に教えるときに意識している事って何かありますか?
やっぱり小学生ぐらいの年代の子たちにはサッカーは楽しい事なんだよと言う事は伝えていきたいなと思います。
技術がある分には問題ないのですけど楽しければサッカーの練習はたくさんすると思いますし、そうすれば上手くなっていくと思いますし、楽しくないと思いながらサッカーをやればどこかで壁にぶつかった時にやめてしまうと思うんですよね。
サッカーが楽しくて面白いんだよと言う事を上手く伝えられれば壁にぶつかった時も「よーしじゃあ上手くなるためにもっと練習しなきゃ!」という考えになると思うので、その辺は意識して教えるようにしていますけどね。

 〜監督と言えば、中西さんは岡田監督と馴染みが深いですよね。(ジェフ時代のコーチ、フランスワールドカップ時の監督、Fマリノス時での監督)
そうですね、岡田監督がいじられキャラぐらいの時から僕は知っているので。今は凄く叩かれていますけど何とか頑張ってもらいたいですね。
 〜岡田監督の凄さというか中西さんが思う岡田監督像と言うのはどういった感じなのでしょうか?
凄く頭の良い方なんですよね相手の研究もすごくしますし。
あとこれは現場に入らないとわからないんですけど、凄く選手を守ってくれるんですよね。それを外に向けてはあまり言わないのですけど、とにかく選手を守ってくれるので選手は「自分たちは信頼されているからこの監督についていこう!」と思えますよね。
今の代表は周りからはいろいろ言われていますけど、内部では選手は岡田さんの事を信頼していると思うんですよね、それがワールドカップでは強みになると思うので代表選手そして岡田監督には期待しています。

政井マヤ
パーソナリティ:
政井マヤ
メキシコ生まれの元フジテレビアナウンサー。フジテレビ時代には、スーパーニュース、ワッツ!?ニッポンなど情報番組を主に担当。2007年3月に俳優の前川泰之さんと 結婚、女児を出産。2008年からスポーツリアルトークのパーソナリティを務めている。
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