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【越和宏・こしかずひろ】スケルトン元日本代表(2010年6月21日〜6月25日オンエア)

夢に向かってチャレンジするアスリートをクローズアップ!
先週のゲストは冬季オリンピックに3大会連続で出場されたスケルトンの越和宏さんでした。
日本のスケルトンの第一人者の越さんに貴重なお話をたっぷり伺いました。


【越和宏・こしかずひろ】
長野県出身、1964年生まれ現在45歳
大学時代にボブスレーと出会い、社会人2年目でボブスレーナショナルチーム入り。
しかし、アルベールビルオリンピックの代表選考で外れた事をきっかけにスケルトンに転向。
その後は日本のスケルトン第一人者として、
2002年ソルトレィクシティ、2006年トリノ、今年開催されたバンクーバーとオリンピックに3大会連続で出場。
バンクーバーオリンピック後はスケルトンの第一線からは“卒業”
現在は、新たな人生のスタート地点に立っています。

越和宏さん所属チームオフィシャルホームページ
http://www.systex-skeletonclub.com/




【越和宏さんにとって人生で一番大きな出会いは何でしょうか?】
40を過ぎて、この先まだ自分の伸びしろを出さなければいけないと思っていた時に、たまたまなんですけどケイリンの世界で45歳まで活躍され最後G1レースに優勝され引退された松本整さんという方がおられましてこの方との出会いがなければ僕のトレーニングも新たなものにならなくて、自分に残された伸びしろの部分も開拓できなかったのではないだろうかという風に思っています。全てで本当に影響されましたね。
 〜松本さんの一言で印象的だった言葉はありますか?
やはり一番は「命を懸けなければダメだ」という言葉ですね「命の代償として自分の求めてるものをください、という覚悟が無いと越さんが求めている伸びしろには到達できない」という風にしょっちゅう言われます。
あともう一つあるのは「同じ人間にできない事はない」という事も必ず言われます。冗談で「もう僕これ以上は無理ですよ」みたいな事も言うのですがその度に「絶対大丈夫だ、努力の量は違うかもしれないけど例えば野球のイチロー選手にできる事は越しさんにもできるよ!同じ人間だからやればできる!」という風にそれも常に言われましたね。
 〜松本さんも長く現役で活躍されました、年齢的なものでどんなアドバイスなどあったのでしょうか?
体力というのはどうしても落ちていきます、向上すると言う事はまずあり得ないと思います。ただ「それをカバーしていく技術を身につけていけばいい」と。
重い物もただ必死で上げるのではなくいかに省エネで上げるか、その為にはどうしたらいいかそれはやはり技術なんです「その技術を身につけていけばまだまだ伸びる」そのような事を言われ、それを習得するためのトレーニングにずーっと時間を割いて行きましたね。
本当に松本さんとの出会いがなければ、45歳でオリンピックというのは無理だったと思いますね。
 

【越和宏さんにとって大きな壁・挫折と言うと何を思い浮かべますか?】
挫折と言う点ですと、先週もお話させていただきましたが大学生になってボブスレー部に挑戦してトレーニングや先輩後輩の上下関係が厳しくて嘘の理由を言ってボブスレー部を辞めたというのが人生最大の挫折と言うか『負け』ですよね。
 〜それが越さんの競技人生をある意味支えているくらいのものですよね
本当にその通りで競技人生と言うか人生全てですね、あの事があるから今があるみたいな大きな挫折・負けを味わった所でしたね。
 〜それだけご自身を許せないというのはどういうところでしょうか?
やっぱり嘘をついてはいけないですよね、正直に負けた事に対して「負けました」と言ってればよかったかもしれないですけど、嘘をついてしまったという事自分に嘘をつく事人に嘘をつくことはやっぱり駄目ですね。
正直で無いと人間は成長しないと思いますし、新しい人や新しいモノに出会う事もないと思います、正直であるというのが最低条件かもしれませんね。
今でもそれは一生許せない出来事として今後も胸のどこかにしまって生活を歩んでいくんだという事だと思います。
 〜その嘘も全て告白し頭を下げて復帰したボブスレー部で楽しかった事はありましたか?
(しばらく考え)・・・無いでしょうね、無いと言ったら語弊があるかもしれませんが、でもやはりこうして挫折感を味わって何かに立ち向かう事は楽しかった事だったんだと思います。
そういうものが今となっては何かに挑戦できている楽しみになっていると思いますね。

【越和宏さんにとって他に大きな壁・挫折と言うと何を思い浮かべますか?】
壁と言うテーマについてお話しさせていただきたいと思いますけど、本当に40歳を目前にしてそして40歳を過ぎてから日本の若い選手たちが僕を上回るような成績を出すようになってきます。
自分を超えていく人間が出てきた時に、じゃあ自分がどういう風にしなければいけないのかと言う風になるわけですけど、一つは伸びてきた選手を潰しにかかるか、もう一つは伸びてきた選手をより伸ばしながら自分も伸びていくか、という2つに1つなんですよね、そして「どっちを選ぶか?」と言う時にここに一つの壁があるんですよね。
そこで自分がこの先どういう風にしたいか、と考えた時に若い選手を伸ばしながら自分の尻を叩かして自分もより伸びようとなったわけです。
だけどそれは恐怖なんです、もしかすると自分はもう完全に若い選手に置いていかれるかもしれないと言う可能性もありますからここが大きな壁でもありましたね、これは想像以上のでしたね。
 〜その葛藤の中でご自身の支えとなったものは何だったのでしょうか?
そうですね、やっぱり自分を支えてくれたというのは、もちろん自分の志と言うのもあるんですけども志と言うのは途中でくじけて折れてしまものでありますから、そのくじけそうな自分を支えてくれたというのは、皆さんはここで家族という風に言われるかなと思われるんですが家族ではない人たち血の繋がりの無い人たちが僕を応援してくれている事ですね。
もちろんスポンサーである企業の方々はそうですけども、ホントにこんなにマイナーな競技、こんなにマイナーな人間を家族では無い人たちが凄く応援してくれている、その人たちの言葉に対して恩返しをしたいと常に思ってきて、そういった皆さんとの関係が僕を奮い立たせてくれたというか支えにもなったという感じですね。


【越和宏さんにとっての思い出の一曲・マイメモリーソングは?】
葉加瀬太郎エトピリカと言う曲はそれを聞くと、スケルトンと言う競技をやり始めてそれまで順調だったものが順調ではなくなった時期があってその時期に良くラジオとかから流れていたなぁという事を思い出しますね。
この曲がテーマの情熱大陸でも取り上げていただいて、初めてお会いする方でも「僕あの番組見たんですよ」と言ってくださる方もいますのでありがたいですよね。
 〜ご自身の活躍する姿を客観的にテレビで見て何か発見などありましたか?
このオヤジ熱い生き方してるなぁ、と(笑)自分でそういう風に客観的に見ました。
人生って区切りがあるじゃないですか、その度に「何かやるにしてもどんどん攻めていこうよ」と「熱く生きようよ!」思っていて、でも自分の事を傍から見れるわけではないのでわからないじゃないですか、でもテレビの中のその“オヤジ”はそう映って見えたので良かったですね。
 〜プライベートのお話もいくつか伺いたいのですが、休日の趣味と言うとなんでしょうか?
僕のオフィシャルサイトには趣味がパチンコと書いてあるのですけども、実はパチンコはある時を境にもう全く行けなくなってしまって、と言うのもソルトレイクのオリンピックが終わってから、いつものごとく、とは言ってもちょっと帽子はかぶってパチンコ屋さんに行ったんです、それで僕の事なんて誰もわからないだろうと思って普通にやっていたら僕の後ろを通る人が僕の耳元で「有名人がこんな所でパチンコしていていいんですか?」と言ってきて、それを聞いて以来小心者の私はパチンコを出来てない状況になってしまったんです。
 〜越さんは3人のお子さんの父親であるわけですけども、ご自身で自分をどんな父親だと思いますか??
父親としては多分失格かなと思いますけど、父親らしい事で言えば例えば参観日に行ったりお休みの日には何か家族サービスをしたりするということは一切なくただただ自分の夢を追っかけて「お前らも俺の夢に付き合え」と言った感じで生きてきましたからそれは家族ですから当たり前のようになってしまっている所もあるかもしれません。
ですが、人間としてこういう生き方をしてもらいたいというか、僕は大学時代に嘘をついてしまったという事があったので人間て嘘をついたら行かんのだよ正直じゃないといけないと思っています。その生き方を一人の人間として伝えられていればいいかなと思っています。


【越和宏さんにとって今後の大きな目標は?】
やはり金メダルを取りたいですね、競技者としては限界地がきまして残念ながら実現できなかった、でもまだ金メダルを取りたいという思いは消えていないんですね。
今度はどういう形、姿でメダルを取るかというところになるんですけど、やはり若い選手を育てる、そしてスケルトンという競技をもっともっとメジャーな競技にしてフィギュアスケートのようにオリンピックがあればスケルトンという競技でメダルの期待が高まり、いつかはメダルを取ってその陰でなんとなく僕が目立ちながら、このメダルは越和弘が実は取ったんだと言わんがばかりに目立ちたいな、と、本当はいけないんですけどそういう願望というか夢というか目標がありますね。
 〜やはり目標はオリンピックの金メダルなんですね
そうですね金メダルというのは僕の夢でもあるんですけども、やっぱりこれも僕は恩返しだと思っているんですね。
これまで僕を支えてくれた人たちに対する恩返しをしたいと思っているので、それが僕でなくても金メダルを取る事で恩返しをしたいと思っています。
 〜今は後輩の指導にもあたられているですよね?
はい。3年前にスケルトンクラブというのを立ち上げて今までは僕を入れて3人の選手でやってきましたけれども今は僕が指導者というかマネジメント役にもなりながら2人の選手がいますので、この2人の選手を育てて有言実行の通りに金メダルを取らせないといけないと思っています。
 〜楽しみですね、もう次のオリンピックで狙うと言う感じでしょうか?
僕の構想の中には8年間ぐらいというのもあるのですが、4年後に金メダルを獲っても良い訳ですからそれは嬉しい誤算として有りな話です、なのでそういうモノも含めて皆さんには楽しんでいただけたら喜びを共有できるかな、と思っています。

 〜その他にスケルトンを広めるために「こんな活動をしていきたい」と言ったものはありますか?
競技もマイナーですし、我々の競技施設は日本では長野にある“スパイラル”1つしかないんです、さらに言えばアジアを見てもこの1つしかないんです。
この施設はどうしてもソリ競技だけの施設という風に思われているんですが、それだけではこの施設を維持存続するのは難しいものがありますから、これは個人的な意見ですが僕はその施設はもっと幅広い視野の元に皆さんに開放していきながらその施設に人が集まる、例えばデートスポットでもいいんじゃないかと思いますし、あそこに行けばこういう事が楽しめるよ、というモノにしたいですね。

 〜最後に改めてスケルトンの魅力をお教えください
どんな人でも努力しただけの結果が必ず付いてくる競技だと思います。
ですので、ぜひたくさんの人にこのスケルトンに挑戦していただいてその先にオリンピックに出てメダルを獲る!という目標があっても良いと思いますし、趣味の一環でやろうと思っても良いと思いますし、とにかくたくさんの人に挑戦していただきたいですね。
 〜大人になってからはじめても遅くはない?
もう全然OKです、本当にこのスピード感は人生が変わると思いますし今までに見たことない世界が待っていると思いますので、長野市にこの施設がありますので最初は騙されたと思って長野まで遊びに来てくれれば、と思います。

政井マヤ
パーソナリティ:
政井マヤ
メキシコ生まれの元フジテレビアナウンサー。フジテレビ時代には、スーパーニュース、ワッツ!?ニッポンなど情報番組を主に担当。2007年3月に俳優の前川泰之さんと 結婚、女児を出産。2008年からスポーツリアルトークのパーソナリティを務めている。
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