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【片山梨絵・かたやまりえ】マウンテンバイク日本代表(2010年6月28日〜7月2日オンエア)

夢に向かってチャレンジするアスリートをクローズアップ!
先週のゲストは北京オリンピックにも出場された自転車競技マウンテンバイクの片山梨絵選手でした。
日本マウンテンバイク界のトップに立つ片山選手に貴重なお話をたっぷり伺いました。

【片山梨絵・かたやまりえ】
大阪府出身、1979年生まれ
岡山大学でサイクリング部に入り、飛び入り参加したオフロードレースで3位入賞。
翌年からマウンテンバイクのジャパンシリーズに参戦し2003年に初優勝。
2004年は国内タイトルを総なめにし2008年には北京オリンピックに出場、
現在は全日本選手権6連覇中という文字通り日本トップのマウンテンバイク選手です。

片山梨絵選手オフィシャルブログ
http://rie-katayama.aspota.jp/




【片山梨絵選手と自転車との出会いは?】
大学に入学した時に何かスポーツがしたいなと思い、最初は競技とかそういうものではなくサイクリング部に入部したんです。
サイクリングってあまりしんどくなさそうだし、爽やかそうだし「いいかなー♪」と思って入部したのがきっかけですね。
本当に最初は、籠にサンドウィッチを入れて軽やかに走る事をイメージしていたんです(笑)
実際にはツーリングをする部活だったので競技では無かったんですけど、でも体力的には厳しい部活ですっごい重たいテントとかお米とかを自転車に縛り付けて2000メートルとかある峠を登ったりして最初は「騙された―!」と思いましたね。
 〜それまでも自転車には載られていたんですか?
それまでもママチャリ、一般的な自転車には載っていたんですが実はそれもあまり得意な方では無くて小学校4年生まで乗れなくて苦労したんですよ。
 〜最初はツーリングと言う事でしたがマウンテンバイクへはどういうきっかけで?
最初ツーリングをするために買ったのがたまたまマウンテンバイクだったんです。
それでずっと峠とか舗装路とかをずっと走っていたんですが、私飽き性なものでただ自転車に走る事に飽きてしまって、そんな時に私の部活先輩が山道を走るクロスカントリーレースをしていて気軽な感じで応援に行ったのがオフロードとの出会いです。
飽き性の私が今までで一番長く続いてるのが子のマウンテンバイクで11年近く続きました、それで何事も10年ぐらい続かないと何かを掴むことはできないと言われますが本当にその通りで去年ぐらいからようやくマウンテンバイクに乗れる感じがわかって、何事も続けないとだめなんだなと実感しました。
 〜お会いすると“マウンテンバイク”や“オフロードレース”をやっているように思えず、意外に小柄でビックリしました
良く言われるんです、私服だとちっちゃく見えて自転車に乗ってると大きく見えるとよく言われるのがちょっと嬉しいんです。
 〜自転車は体の大きさで有利不利はあるんでしょうか?
以前は体が大きく筋肉の長い選手が有利と言われていたんですが、今はそんな事が無く一長一短と言った感じですね。
小柄な選手でもテクニックを活かして世界のトップに立つ選手が凄く増えてきたんですよ。


【片山梨絵選手にとって一番の努力は?】
オリンピックに向けての努力が一番です。
北京オリンピックの選考会が四国の八幡浜市と言う所であったのですけど、そのたった一回の選考会で優勝した人しかオリンピックに行けないという選考基準だったんです。
私はそれまでの大会で優勝を重ねていましたので見ている周りの人は「まぁ行けるんじゃないか」と思っていたと思うんですけど、4年に1度大会に出れるか出られないかがそのレースで決まるんです、なので「もしパンクしてしまったら」とか「当日に風邪をひいてしまったら」とか「コンディションが悪かったら」とかそういう事が起こったら終わってしまうという事なので、その選考会の前は何回も四国に行ってこっそり練習したり私としては「2回パンクしても勝てる準備をしよう!」と思って頑張っていました。
精神的にもとっても厳しいものだったとは思いますが、そのおかげでだいぶ成長できたと思いますし、今となっては勝てたから良かったかなと思っています。
 〜オリンピックに出たいと思われたきっかけはなんだったのですか??
北京の前のアテネオリンピックの選考会があった時の事なんですが、選考会の時点では日本の女子はオリンピックの出場枠自体を持っていなかったんです。なので気軽にレースに行って、走って、最初はずーっとトップだったんですけど最後の最後ラスト1キロで逆転されてしまって2位だったんです。その時は「負けちゃったけど良いレースしたな、前半ずっと1位だったわけだし」と楽しいレースだったなと思っていたのですが、そのレースの1カ月後に日本に補欠の枠が回って来て最後に私を交わして優勝した選手に出場資格が回ってきたんです。
その知らせを聞いた時に私は凄く号泣してしまって「あの最後1キロで私がぬかされなければオリンピックに行けていたのか・・・」って遅いんですけどその時始めて気がついたんです。
悔しくて悔いが残りましたし、それと同時に私はオリンピックに行くレベルがあるんだという事に気付いたきっかけになるレースでした。
 〜そして北京オリンピックの選考会では2位に3分以上差をつけてトップでゴールされました、その事の事を今でも覚えていますか?
はい「オリンピックに出る」と言う事が一つの大きな目標になってしまっていたので、実際北京でベスト10に入る為に練習をつみ重ねていたのですけどもその目標を果たせなかったんです、
なので北京のオリンピックが始まり選手村に入れた時は、今まで自分がやってきた事が認められたと言う感じがして嬉しくてとても興奮したのですが、レースが終わってみると目標を達成できなくて「あーお祭りが終わっちゃた」と言うか「寂しい気持ち」になったのを覚えて居ます。
 〜となると次のオリンピックを目指す気持ちも芽生えてきましたか?
北京の時は一つのベクトルが決まったきちっとそこを目指していくという経験が自分としてはすごく楽しく、でも結果としてはこのままでは終われないな!と思ったので、
まずはオリンピックの2年後に開催されるコチラも4年に1度のアジア大会があるので、4年後のオリンピックとなるとその時点では決心がつかなかったので、まずはアジア大会で「絶対私はこんなものじゃないんだ」と言う気持ちで走る事をすぐに決めました。
 〜大会は11月ですが現在のコンディションはいかがでしょうか?
北京のころと比べたら全然練習もこなせて、確実にレベルアップしているので北京の後に簡単「辞めなくてよかったなと」おもってます。 



【片山梨絵選手にとって一番の壁・挫折は?】
これも北京オリンピックにまつわるエピソードなんですけど、オリンピック選考会の半年前に練習中の転倒で足首を骨折してしまったんです。
やっとオリンピックイヤーが始まると言う目前の秋に折れてしまい、病院に行ったら「半年間は歩けない」と言われてしまったんです、その瞬間「あ、終わった」と思いましたね、その時が一番の挫折でした。
 〜その後はどんな経過を?
その診断を真に受けて「選考会のころはまだ歩けないんだ」と思って応援してくれている人とかいつもメンテナンスをしてくれる自転車屋さんとかに電話して「レースに出られないんだ」と話したら、みんなが必死になって調べてくれて「まずレントゲンの写真を見せろ」とか「とりあえず他の医者に行った方が良いから」と色々紹介してくれて「絶対にあきらめるな」と励ましてもらいました。
それで手術をしたら1カ月後ぐらいにはエアロバイクをこげるようになって1ヵ月半後ぐらいには普通に歩いていたと思います。
もうその入院していた3週間とそれからのリハビリの一ヶ月間は今までのどんな練習よりも集中して、朝起きて寝るまで分刻みのスケジュールで雑音が無い状況と言うか足を治すことに120%集中していたので凄く充実したいい時間でした。
 〜ケガ、手術をきっかけにリカバーしようと凄く懸命な努力をされたんですね
ずっと競技を続けてきていて自分の体に疲労が溜まっていたというのもあるんですね、やっぱり何もない時にはケガってしないと思うんです。
疲れすぎてたから骨も折れて、入院したからこそ体の芯にたまっていた疲労も取れて、オリンピックに出るのが危うくなった事で、より「出たい!」と思うようになって、自分にとってはプラスに働く事がたくさんありました。
骨折をしたときにあるコーチの人が「ケガをした選手と言うのは絶対強くなるから」と言ってくれたんですね、こうしてケガを乗り越えてみると本当にその通りで良い経験をさせてもらえたと思います。
自転車に乗れる事、レースに出れる事が「ありがたい」と思えるのでより「頑張らなきゃ」と思えるようにもなりましたね。
それにやはり周りにいる人が協力してくれて、応援してくれている人がたくさんいたので「私には応援してくれる人がいるし一人じゃないから頑張ろう」と再確認できたことがパワーになりました。


【片山梨絵選手にとっての思い出の一曲・マイメモリーソングは?】
Mr.ChildrenGIFTです。
北京オリンピックのテーマソングになっていた曲で、自分はオリンピックに行っていたので「聞いていないかな?」と思われるんですが、マウンテンバイクの開催期間は後半の方にあったので開会式や最初の方は家でテレビで「同じチームJAPANのみんなが頑張ってる!」とか「開会式で舞台が始まった!」とか思いながら凄い不思議な気分で見ていました。
 〜その北京オリンピックでは20位と言う成績を収められます、ご自身としては北京でのレースを振り返っていかがですか?
目標としてトップ10に入る事を掲げていたので20位でゴールした時は全然納得がいかなくて「なんでなんで?あ〜終わっちゃった」と言う寂しさが残りました。
なのでどちらかと言うと苦い思い出の方が多いのですけど、出場出来た、オリンピアになれた、という自信と、悔しかったのでもう一度頑張ろうと言うモチベーションが今自分が走っている土台になっています。
まさか自分がオリンピックに行けるとは自転車を始めた頃も、北京の5〜6年前ぐらいでも想像もしてなかった事なので。
 〜一番悔しかった思い出は何でしょうか?
オリンピックの一年前に同じコースで行われたプレレースでは凄い良いスタートを切れて頑張れたので、オリンピックの本番レース当日も良い流れに乗っていこうと思ったらスタートで目の前の選手が落車したりして流れに乗れなくて、そこから立て直そう立て直そうと思ったのですが、これが現実と言うかベストはつくしたのですがみんなの方がより強かった、という悔しさですね。

 〜自転車以外のプライベートも伺いたいのですが、プライベートの趣味は何でしょうか?
自転車以外ではボケーっとしている事が多いのですが、私はヨガが好きで良く行っています。
始めたきっかけは当時のコーチが「ヨガは良いよ」と勧めてくれたのと、母が昔からヨガをやっていて存在はなんとなく知っていて競技の為に始めたのですけど、今は趣味の一つと言うかリラックスの為に行っています。
普段は朝のちょっとした時間に今日も良い一日を送れるように、と行ったりとか、あと大切の試合の前などはどうしても緊張してきてしまって呼吸が浅くなったりする事もあるので、しっかり自分を取り戻すためにも使っています。


【片山梨絵選手の今後の大きな目標は?】
今年の11月に4年に1度のアジア大会があって、今回は中国の広州で行われるのですがそこで金メダルを取る事です。
アジア大会には今まで出場した事が無いのですが、毎年行われているアジア選手権という大会では2004年に一度優勝しているのですけどその時には中国選手は出場していなくて、中国選手が出場したレースだと2位が最高なんです。
 〜中国選手はかなりの強豪揃いなのでしょうか?
凄く強いですね、北京オリンピックに向けてかなり強化をしていてその結果が出てワールドカップでも優勝したり表彰台に何度も乗っている選手達ばかりなので強敵です!
でも私も本当にこの大会で金メダルを取るために北京オリンピックが終わって2年間頑張ってきたので、期待してください!その期待をパワーにします!!
 〜北京オリンピックの時よりも調子は上向いているそうですね?
北京に向けての時は国内レースで一戦一戦勝つことに必死になっていてあまり長いスパンでトレーニングをする余裕が無かったんですね、それで体力的にも精神的にも1レース1レースでいっぱいいっぱいといった感じで。
でもオリンピックに出られた事で自分に自信をつけて、ここで腰を落ち着けてトレーニングをしようと2年間を計画的にしてベースを作る年が去年、そして今年はスピードをつける年として順調にトレーニングが進んいる状況です。
 〜そしてその先にはロンドンオリンピックがありますけど、こちらは狙っていかれるのでしょうか?
ありがたい事に皆さん期待をかけてくれていて、私ももちろん視野には入れているのですがやはりそんなに簡単なことではないですし覚悟もいる事なので、まずはアジア大会を走りきってその後に決めたいと思います。

政井マヤ
パーソナリティ:
政井マヤ
メキシコ生まれの元フジテレビアナウンサー。フジテレビ時代には、スーパーニュース、ワッツ!?ニッポンなど情報番組を主に担当。2007年3月に俳優の前川泰之さんと 結婚、女児を出産。2008年からスポーツリアルトークのパーソナリティを務めている。
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