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【水沼貴史・みずぬまたかし】サッカー元日本代表(2010年7月12日〜7月16日オンエア)

夢に向かってチャレンジするアスリートをクローズアップ!
先週のゲストはサッカー元日本代表の水沼貴史さんです。
サッカー解説者としてお茶の間でもおなじみの水沼さんに、現役時代の事を中心に貴重なお話をたっぷり伺いました。



【水沼貴史・みずぬまたかし】
埼玉県出身、1960年生まれで現在50歳
中学高校大学と全てのカテゴリーで日本一に輝き、
1983年に横浜Fマリノスの前身となる日産自動車サッカー部に入部。
華麗なテクニックを武器に次々とゴールを演出、
1980年代から90年代にかけ日本のサッカー人気を支えた名選手です。
現役引退後の現在は解説者として活躍中。
さらに母校である法政大学サッカー部の監督として後進の指導に当たり
東京23フットボールクラブのテクニカルアドバイザーも務められています。




【水沼貴史さんとサッカーとの出会いは?】
僕は浦和出身なんです、今の「さいたま市」ですけど、レッズがあるようにサッカーが盛んな街で、僕らが子供の頃はTVゲームとか何もないですから遊ぶ場所と言ったら校庭だったり、そこら辺の田んぼだったりしました。
それで校庭に行って遊んでいると先輩の人たちがサッカーをしていてそこに仲間になって入れてもらうんです。
どうするかというと先輩が練習しているのをゴールの横で待っているとボールがゴールに入らずこちらに飛んでくるんです、下手だから(笑)それを手で返したり足で蹴って返したりしてると練習が終わった後に「一緒に遊ぼう」と誘ってもらえるので、それで自然とサッカーをやってました。
 〜水沼さんが小さい頃にはプロもありませんでしたよね
その頃はワールドカップも知りませんでしたから、サッカーで大きな大会はオリンピックだと思っていたんです、なので「オリンピックに出たいな」という漠然とした夢を持っていました。
で、ワールドカップを初めて知ったのが1974年の西ドイツ大会で初めて中継があってびっくりしました「何だこれは!」って。
 〜子供の頃あこがれていた選手は誰だったのでしょうか?
釜本さんです。日本リーグの頃よく見ていて、天皇杯は1月1日元旦にテレビでよくやっていてだいたい釜本さんのチームが出てきていて「凄いなぁ」と思って「サッカーでこれだけの人になるにはどうしたらいいのか?」と言う事もちょっとは考えていたかなぁという感じです。
 〜その後Jリーグができワールドカップに出場するようにもなりました。
夢のような話です。この進化は凄いですね、スピードについて行くのに大変です。
本当に辛い時期から、華やかな時代、今はちょっと苦しい時代、だけど代表がどんどんどんどん伸びていっている。
ワールドカップを始めて決めた試合の現場に行きましたし、フランスにも行きましたし、選手たちがうらやましいと思った事もあるし、でも自分がその選手たちに関われる事は何だろう?と思った時に「指導者だな」と考えたりだとか。
本当に短いスパンの中で色んな事が起こっていて、それによって自分の考え方も変わってきて面白いですよね。
 〜やはりワールドカップにも出場されたかったですか?
出たかったですよねぇ!チャンスが2回ありましたから。
1986年のメキシコ大会の予選は最後韓国と一騎打ちになって、第一戦は調子が悪くてさらに相手が今の日本代表の長友選手みたいな人を僕のマークにつけてきたんです、分析ではその選手がついてくると思わなかったので「ウワー」って思って仕事も全然できなくて、それでアウェーに行った時「今度は絶対やってやろう!」自分なりにいろんな事を考えていたらメンバーから外されたんです、凄いショックで悔しかったですね。


【水沼貴史さんにとって一番の努力は?】
18〜19の頃ですね、ワールドユースというFIFAの大会が初めて日本で開催されることになったんです、当時日本は世界に出ていくようなチームではなかったのですが成績としてある程度の事を出さなければならないという事で合宿を1年半から2年間行ったんです。
もちろんずーっとじゃないですけど、1か月単位の合宿をやったり2週間単位の合宿をやったり海外に遠征に出たりして物凄い忙しくて…というかキツクて(笑)その時には自分で努力したというより努力しなければならなかったみたいな状況でしたね。
 〜普通の合宿とどう違ったのでしょうか?
まず練習が早朝、午前、午後、夜、と4部練習で、早朝と午前がランニングやフィジカルトレーニング、それで午後になってようやくボールが触れる、で、夜になって筋トレをする、と全然休める時が無いんです。
そんな合宿を繰り返していたのでなかなか学校へも行けませんでしたし、学校へ行ったら「お前らサッカーばっかりやってていいよな」と言われて「じゃあ練習できるの?」って言い返したくもなりました。
その時は本当にサッカーが苦しいなと思いましたけど、でも世界の大会でやってみたいという思いがあるじゃないですか、なので「とにかくやるしかない」という感じで大変でしたね。
 〜そのキツイ合宿を乗り越えどれ程レベルアップはしましたか?
完全にレベルアップしましたね、今50歳なんですけども今まで生きてきてその時が一番体重があったんです、筋トレで筋肉が大きくなったので、でもそこからサボりちょっと少なくなって(笑)
ホントに「やったな」という実感もありますし、その当時やっていた人は今もサッカー界で残っていますからね、柱谷とか鈴木淳とか監督やられている方も多いですし、風間八宏もそうですよ、完全に同志ですね。
で、面白いのがその時の監督さんに何年か前ですが話をした時に「あの時苦しかったです」みたいな話をしたら、その監督さんが「もうちょっと勉強しておけばよかった、悪かったな」って言われて(笑)「もっと戦術的な事をたくさんやっていればみんなを勝たせることができたんじゃないかな?」って言われまして、当時はフィジカルトレーニングがきつかったのでこっちも「ホントですよ!」って(笑)
でも、あの時本気で努力したし頑張ったというのがあるので今も頑張れてるし、ちょっと苦しい事があっても「あの時ほど酷くないだろ」と思えるんですよね。


【水沼貴史さんにとって一番の壁・挫折は?】
大きいかどうかはわからないのですが、昨日ワールドユースの話をしましたがその時に大会直前にメンバーから外されたという事があったんですよね。
なぜ外されたかというと物凄いきつい練習に僕はブツブツブツブツ文句ばっかり言っていたんです、それって不思議と監督の耳に入るもので「お前帰れ」と言われて、ちょっとだけホッとした部分もあるんです辛い合宿だったので、だけどあと何カ月もすれば世界の強豪と戦えるのになんでここで帰らされるのという事が相当ショックでした。
それで戻る為にはどうしたらいいかと考え帰らされた場所で頑張るしかないので、大学で必死に頑張ってもう一度呼び戻してもらったのですが、それは挫折じゃないかもしれませんが、やらなくてはいけない事を気づかされましたという出来事ですね。
後は、そのワールドユースを経てみんな日本代表にどんどんどんどん呼ばれて行ったんですよね、でも僕は全然呼ばれなくて大学の時に結構バーンアウト・燃え尽き症候群的になったんですよ、その時に「仲間が代表に入っているのに俺一体何してるんだろう?」となって、大学3年の時に関東の大学リーグの1分から2部に降格したんですよね、その時も本当にショックで4年生の最高学年の時に2部かよ!って。
だけど、それまでバーンアウト寸前になってサッカーに集中できずにサボっていたからそういう風になるんだろうと考えて、そこを乗り越えるにはどうするか?「チームを一部にしなくてはならないし何かの大会で優勝しなければならない」と決め4年になってキャプテンになりチームをまとめて目標に向かって努力をして、チームを2部から1部に上げて夏の総理大臣杯に優勝して結果を出したんです。
その時は物凄く嬉しくて、ダメなときがあってそれに気づいてもう一回やろうという風になると人間てエネルギーが出るんだなって思いましたね。
それでユースの仲間が代表にどんどん入っていたので自分も入りたいと思っていましたが、日産に入って2年目ぐらいに代表に呼ばれるようになったんですが、そのまま90年ぐらいまで代表にずーっといたんですが2回ぐらい落ちているんですよねそれは自分のプレーを否定されたんですよね、チーム戦術が守備的で「ディフェンスをしない奴はダメだ」という感じで外されたんです、その時が一番ショックでしたね「なんで!だ」と自分のプレーは攻撃的で点を取る事とかアシストをする事なので守備は良いじゃないか、と思っていたんです。
それで外されて頭にきて戻る為にどうすればいいか?と考えた時に「守備をやるか・・・いや違う、俺が守備をしてもあまり意味がないと思う」と思って攻撃の練習をもう一度やり直して、それでその次のシーズンにかけてアシスト王の記録を作ったんです、それで「どうだ!」という状態で選ばれたんです。
なので、そのまま選ばれるだろうというのぼせた気持ちでいると絶対それはよくない、鼻を折られると、何か努力をしなくてはいけないと気付かされましたね。
 〜必ず結果を残されて戻るというのがすごいですね?
巻き返さないと気が済まない性分なんですね、でも乗り越えたというか結果が出たから今こうして話せるだけで、もしだめだった話せませんし(笑)
 〜アシスト王を獲れる自信はあったのでしょうか?
自信があるというか「やらなければいけないな」という感じでしたね、なので本当にアシストに執着しました点を取るよりアシストをするんだ!と、なので味方の選手にパスを出すじゃないですかそれで点を取ってくれないとなんでだ!と怒りも出してましたしそれこそ生意気な選手でした。多分ベテランの選手から見たらなんだこいつはって思われていたと思いますよ(笑)


【水沼貴史さんにとっての思い出の一曲・マイメモリーソングは?】
サザンオールスターズいとしのエリーです。
その時がちょうどワールドユースの時で、この曲を聞くとあの時は頑張ったなぁとか辛かったなぁという事を凄く思い出すんですよね、この時があったから今があるんだなという事を考え直す事が出来ますし忘れられないですよね。それに曲自体も勝手にシンドバットみたいなイメージからいきなり変わったのでそのインパクトもすごかったんで。
 〜ちなみにロマンチックな思い出は?
ロマンチックな思い出は…無いです(笑)エリーいたかな?みたいな感じですね(笑)

 〜木曜日はプライベートやご家族の事も伺っていきたいのですが、水沼さんの息子さんもプロサッカー選手で活躍されていますね!
まさかプロになるとは思わなかったので、もちろん目標とか夢を持って彼もやっていたと思いますけど中学校ぐらいまでは何でもない選手だったので、でも彼は凄い努力をしたと思っています。
 〜父親としてサッカーのアドバイスはされたのでしょうか?
小さい時に一緒にボールを蹴ったりはしましたけど、ただチームに入ればチームのコーチがいるのでそのコーチをちゃんと尊重して試合の時は何も言わないですし、ただ家に帰ってきたら色んなプレーについて話はします。
でも見てないと話はできないので、なるべく小さい時は見られる限りはプレーを見に行っていました。
 〜2世という事で周りからの期待も高かったでしょうね?
それが一番のプレッシャーだったとおもいます、ある意味誹謗中傷も結構されたりとかそれを彼自身が読んだりして辛い目に会ったり、そういう事を全部知っているので良く頑張ったな、と思いますけどプロになることが目標では無かったと思うのでここから活躍しないとだめだと思うのでね。
U-17の代表になってアジアのチャンピオンになったりして頑張ったなと思いますけど、まだまだ過程なのでもっともっと頑張ってもらって、この間のワールドカップを見ていて思うんですけど選手たちの親がホントに嬉しそうですし悔しそうだったのでその気持ちを味わってみたいなって思いますね。
 〜一つの夢としてはワールドカップのスタンドで観戦する事ですね
そうですね、逆にインタビューされてみたいですね、父親として(笑)


【水沼貴史さんの今後の大きな目標は?】
今は東京23フットボールクラブという東京都の一部リーグに所属するチームのテクニカルアドバイザーをつとめているのですがこのチームを大きなチームにしたいというのが目標です。
このクラブはJリーグを目指していると言えば目指しているのですが社会人クラブなのでまず仕事をちゃんとやる、その中でサッカーもちゃんとやる、2つを一生懸命やりましょうと「一流のアスリートになるには一流の社会人であれ」と言ったところでしょうか、そういった目標を掲げてやっています。
今はまだ小さいクラブなので練習場も転々としていますが、たくさんの企業にサポートしてやっているので、このチームには夢をもってやっていますね。

(東京23フットボールクラブ公式HP)
http://www.tokyo23fc.jp/

後もう一つ目標があって、娘がテニスをやっているので、ゆくゆくは自分がフットサルとテニスコートのオーナーになって片方では子供たちがフットサルやっていて、連れてきたお母さんたちがテニスをするような、親子で来て子供はサッカー親はテニスとお互いがお互いを見れるような環境でやれるような施設をどこかに出来ないかなと思っています。
見たいだけの人はみればいいんですよ、ただそこへ行ったら自分も運動できるし楽しいと思うんですよね、夫婦で来ても楽しいですし、家族みんなで来ても楽しめますし、そういうコミュニティが良いなと思って絶対楽しいと思うのでそういう夢は描いています。実現できるかはわかりませんけど(笑)願っていれば叶うかもしれませんから。
でも僕、夢って叶った事がないんですよね、オリンピックに出てませんし、ワールドカップにも出てませんから、プロの選手になるというのは夢ではなかったので、その分この夢は叶えたいですね。
ただ、そういう風に思ってて何かに進んでいく時が一番楽しいし、一番充実しているときなのかなって思いますけどね。
 〜いまだに夢をたくさん持ち続けていて素敵ですよね
まぁ勝手に自分で思えば良いんですよ、夢は(笑) 無いと思ったらダメだと思うので。

政井マヤ
パーソナリティ:
政井マヤ
メキシコ生まれの元フジテレビアナウンサー。フジテレビ時代には、スーパーニュース、ワッツ!?ニッポンなど情報番組を主に担当。2007年3月に俳優の前川泰之さんと 結婚、女児を出産。2008年からスポーツリアルトークのパーソナリティを務めている。
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