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【鈴木絵美子・すずきえみこ】シンクロナイズドスイミング 元日本代表(2010年7月26日〜7月30日オンエア)

夢に向かってチャレンジするアスリートをクローズアップ!
先週のゲストはシンクロナイズドスイミングの元日本代表の鈴木絵美子さんでした。
アテネ、北京の2大会に出場しそれぞれメダルを獲得された鈴木さんにたっぷりお話を伺いました。



埼玉県出身、1981年生まれで現在28歳
中学時代から多くの国際舞台を経験し、日本大学在学中の2001年に日本代表チームに選出
2004年のアテネオリンピックではチームで銀メダルを獲得、
2008年の北京オリンピックではデュエットで銅メダルを獲得。
北京オリンピック後に現役を引退、現在は新たな形でシンクロに携わる。

鈴木絵美子さんオフィシャルブログ
http://ameblo.jp/emiko-suzuki/





【鈴木絵美子さんとシンクロとの出会いは?】
小学校3年生の時です。私は4才の時から水泳をやっていてスイミングクラブに通っていたのですが、一旦そのクラブを辞めてしまったんです。でもまだ泳ぎたいなという気持ちがあって地元のクラブを探していたらクラブがあって、ちょうど見学をしに行った時に競泳とシンクロをプールを別けて半分で練習していて、やはり見た事のないスポーツなので見入ってしまっていたらそれに気づいた先生に声をかけていただいたのが始めたきっかけです。
 〜その時、水泳の方をもう一度やりたいとは思いませんでしたか?
シンクロも練習の中に競泳が入っていたりするので、そこで泳ぎながらも水と遊ぶというか回転する時の水のまとわり方が違うというか、そういう事を感じる事がどんどん楽しくなってきて遊びみたいな感じでシンクロを続けていました。
 〜私も小学生の頃に競泳をやめてシンクロをやっていたので、ぜんぜん違う事が楽しかった気持ちはわかります
潜る事とかも楽しいですよね、ホントに一つ一つの技を覚えていくのがすごく楽しくて小学校3年生とか4年生の頃はのめりこんでいました。
 〜そこから選手としてオリンピックを目指し始めたのはいつ頃からでしょうか?
中学校3年生の時に東京シンクロクラブという小谷実可子さんなども通われていたクラブからお声をかけていただきまして、そこに移籍してジュニアのナショナルチームに選ばれたりナショナルBチームに選ばれるようになって「自分もオリンピックを目指せる選手になれたらな」という思いが芽生えました。
 〜当時はどんな選手に憧れていましたか?
やはり小谷実可子さんがスゴイ憧れで「あんな素敵なソロを泳ぎたいな」とか「ああいう演技がしたいな」という感じで目標というか憧れという感じで見ていて、今でもお会いしたら「ああ、小谷実可子さんだ」と思うぐらい緊張します。


【鈴木絵美子さんにとって一番の努力は?】
アテネオリンピックを経験させてもらって、次のオリンピックを目指すと思って続けた4年間がやはり自分の集大成の4年間だと思います。
 〜アテネオリンピックではチームとして出場されて見事に銀メダルを獲得されました
アテネでは一番下っ端で「自分の力が無くてもメダルが取れたのではないか?」と思うぐらいに足を引っ張ってしまってホントに先輩やコーチのおかげだと思ったので次の4年後は「自分の力で取ったんだ」と思えるメダルが欲しかったのでとても頑張りました。
 〜そして次の北京ではチームだけではなくデュエットでも参加されました
まさか自分が個人種目でオリンピックに出られると思っていなかったのでやはりすごく嬉しかったですね。
 〜デュエットでオリンピックを目指すのはチームで目指すのとプレッシャーなど違いましたか?
先輩たちがメダルを取り続けていたのでメダルだけは取らなければいけないというのがプレッシャーでしたね。
でも、どの試合でも緊張はするんですが、オリンピックではどの試合も良い緊張で試合にはのぞめました、アテネも北京も。
「緊張でつぶされそうになるのではないか?」とずっと想像していたのですけど逆に本番を迎えると「あれだけの練習をしていたのだから大丈夫だ」と思って自信をもって臨む事が出来たので。
私は小さいころから、小学中学高校と周りから「ノミの心臓」と言われるくらい緊張していたりしたのですけど、北京オリンピックまではキャプテンをやらせてもらっていたので私が緊張してそわそわしていたらチームメイトに伝染してしまうのではないか?と思って自分の緊張は練習の時に終わらせて試合の時はみんなの様子を見て盛り上げていこうと思ってやっていたのでそんなに緊張することなくのぞめました。
私より下の子は、絶対私の事を見ていると思ってやっていたのでその下の子たちの緊張を和らげるのも私の仕事かと思っていましたので。
 〜キャプテンとしての責任感が緊張を解きほぐしたんですね
もちろん緊張しましたけど練習がすべてだと思っていたので、練習で不安をなくせば本番で自信を持って臨めるので。
 〜デュエットでは銅メダルを獲得しメダルを持ち帰る事が出来ました
本当にホッとしたというか、歴史をつなぐ事が出来てよかったと思いました。


【鈴木絵美子さん手にとって一番の壁・挫折は?】
オリンピックに臨む前に世界予選というものがあるんですけど、そこで中国に負けてしまってこのままの順位だとオリンピックに出場できないという順位を突き付けられてしまった時に残り後四カ月でどう乗り越えていかなければならないんだろうと思った時が一番の壁だったと思いますね。
 〜かなり中国を意識されていたんですね?
中国を意識していたというより、まずメダルを取るという事が私たちに課せられていた使命だったと思っていたので私たちが一回メダルを逃してしまった時に周りというかメディアの方が「オリンピックではメダルが取れないのではないか?」と報道されてしまって悔しい思いをしてしまったんですけど逆に「じゃあ見てろよ!」と逆境じゃないんですけどそういう気持ちになってそれは後になって思えば「負けないでやろう」とその時思えた事が強さにつながったと思います。
そして世界予選を終えて、そのあと日本選手権という国内最大の大会があったのですけどそこでも審判からの評価はあまり良くなく、いよいよ残すはオリンピックの試合のみとなった時にどういう気持ちでどういう感じで臨んだらいいかが全く解らない状態に陥ってしまったんです。
ですがコーチを含め選手間でも凄い話し合いをして、1人1人自分の思っている事、不安に思っている事とかをぶつけあった時にみんなの中に見えるものがあって迷わず突き進んでいこうという気持ちになってオリンピックに向けて頑張るぞという気持ちにまとまりました。
 〜練習だけではなく話し合いで乗り越えられたのですね?
本当にあのときはどうしていいかわからない状況で、何をしても何をしても答えが見つからない状況だったので1人で考えていてもしょうがないですしやはりチーム競技ですのでみんなと話し合ってみんなで答えを見つけていこうという事でたくさん話し合いをしました。
 〜例えばどんな議論が交わされたのでしょうか?
メダルを取れる、取れないと言われて、それに惑わされて「メダルが取れないのでは・・・」という気持ちになってはその時点で終わりだから「メダルを取る」という大前提を元に話し合いをしましたね。
その為に「今は何が足りなかったのか?」とか本番までに残り2カ月とか4カ月という中で「何を一番頑張らなければいけないのか?」という事も話し合いましたし、後は周りワーとした雑音に対してそのまま飲まれてしまうのか、反発して頑張るのか?という気持ちを確認し合うというわけではないのですが、改めてそういった話し合いの場を持てた事で戦える体制に整ったと思います



【鈴木絵美子さんにとっての思い出の一曲・マイメモリーソングは?】
平井堅さんの曲全般なんですけど、特にMiraclesという曲はたくさん聞きました。
 〜どんな時に一番聞かれていましたか?
プールに向かうバスの中など移動時間とかに聞いてそれでちょっとテンションを上げてそれでプールに入っていました、北京オリンピックの時もずっと聞いていましたね。
 〜実際に平井堅さんにお会いする機会もあったそうですね?
一度お会いさせていただいたのですが緊張しまして、試合前に眠れないとかご飯が食べられないという事は一回もなかったのですが、なんかテレビの中の人・あこがれ続けていた人が目の前に現れて「本当にいるんだ」みたいなお化けを見ているような感じがして(笑)夢見ているような感じで、2日間ぐらいご飯がノドを通らなかったです。
でも本当に元気の源と言った形で力をいただきました。
 〜北京オリンピック後に現役を引退されました、時間に余裕もできたと思うのですが何か新しく始められたことはありますか?
パソコンに向かって一杯キーボードを打ってみたりとかですね、機械に本当に疎くてなかなか習いたくても習えなかったので、まだ習ってはいないのですが自分でいろいろいじくってみています。
あとは買い物を思う存分やってみたりとか、そういったちょっと陸上の生活というか、重力のある生活というのを楽しんでいます(笑)
 〜逆に水が恋しくなったりはしませんか?
現役をやめた時は水はもうお腹いっぱいだと思ったんですが、歩き疲れた時とか「あそこまで歩くんだったら泳いだ方が楽なんじゃないか?」と思ってみたりもします(笑)そういった意味で水が恋しくなるときはあります、楽な泳ぎ方っていうのはわかっているのですが楽な歩き方って良くわかっていないので(笑)



【鈴木絵美子さんの今後の大きな目標は?】
今までずっとシンクロをやってきたのでシンクロの普及活動はもちろんなんですけど、シンクロエクササイズというものを今開発しています、アクアビクスというものがあるのですがそれにシンクロの要素を取り入れたモノをアレンジして作っています。
 〜どういう方たちにシンクロエクササイズをやってほしいと思いますか?
やっぱりシンクロってなかなかチャレンジできない競技ですし、敷居が高いと思われがちなんですけど、ちょっと興味を持っていただいたからなら子供からお年を召した方でも誰でもできるスポーツ、誰でもできるエクササイズにしたいと思っていますので色んな方にチャレンジしていただきたいなと思っています。
 〜有酸素運動としては本当に効果的ですよね?
そうですね、あと鼻栓がこんなにつらいんだよ、という事をわかっていただければ良いかなとも思います(笑)
 〜これはどういった形で活動していかれるのでしょうか?
今は、出張みたいな形でプールがある所ならばどこにでも向かうという気持ちでやらせてもらっていますし、ちょっとでも声がかかったらすぐに飛んでいきたいなと思っています。
 〜シンクロエクササイズ以外ではどんな活動を夢見ていますか?
私は本当に小さい子供たちが大好きなので、ナショナルチームを教えるとかそういう事ではなく、私が楽しいと思えたシンクロをまず小さい子たちに伝える事が出来たらいいなと思いますし、シンクロ向きの足を持っている事か体型をしている子がいたら声をかけると言った普及活動もありかなと思っています。
 〜鈴木さん自身が声を掛けられてシンクロの道が入って行ったように、ですね?
そうですね、本当にちょっとしたことでも良いので出来たらいいなと思いますね。
 〜まだまだ色々できる事も沢山あると言った感じですね?
青春時代が今からあるような感じで、色々できる事を見つけるのが今楽しいので、遅い青春時代を今迎えているという感じです(笑)

政井マヤ
パーソナリティ:
政井マヤ
メキシコ生まれの元フジテレビアナウンサー。フジテレビ時代には、スーパーニュース、ワッツ!?ニッポンなど情報番組を主に担当。2007年3月に俳優の前川泰之さんと 結婚、女児を出産。2008年からスポーツリアルトークのパーソナリティを務めている。
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