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【本田武史・ほんだたけし】プロフィギュアスケーター(2010年9月13日〜9月17日オンエア)

夢に向かってチャレンジするアスリートをクローズアップ!
先週のゲストはプロフィギュアスケーターの本田武史さんでした。
日本男子フュギュアスケート躍進のきっかけを作った本田さんにお話を伺います。



【本田武史・ほんだたけし】プロフィギュアスケーター
福島県出身1981年生まれ29才。
1996年14歳史上最年少で全日本選手権を制覇すると、
長野、ソルトレイクシティと2大会連続ででオリンピックに出場するなど日本のエースとして活躍。
2006年に選手生活を引退しプロに転向。
現在はアイスショー出演、フィギュアスケート解説、指導者と、今なおフィギュアスケート界で活躍中。




【本田武史さんにとって人生で一番の出会いは?】
一番最初に「フィギュアをやらないか?」と言ってくれた先生なんですけど、その先生の名前を覚えていないんですよね、その3日後ぐらいに先生が引越してしまって。
スケート教室の中で教えていた先生が軽く「やってみない?」と言ってくれた感じですが、その一言が無ければフィギュアを始めず、そのままずっとスピードスケートをやっていたかもしれません。
でも本当に一人一人出会ってきた人たちが全て運命的な出会いだったと思います。
 〜その後のスケート人生で一番長く指導されてくれたコーチと言うと?
カナダのダグラス・リー コーチが一番長かったですね、9年間教えていただいたので。
 〜教わった事では何が一番大きかったですか?
スケート以外に人生を一番教えてもらいましたね。スケートではあまり教えてもらう事が無かったと思います。
僕が指導者として気をつけているオンとオフをはっきりさせると言うのは彼のスタイルなんですよ。
氷の上でいくらケンカしようが、練習が終わったら彼の家に行って遊んだりして、週末はコーチの家が湖の近くにあったのでその湖のほとりで一緒に座ってお酒を飲んだりして、プライベートはプライベートできっちり分ける事を教わりましたね。
今では考えられないですが本当に時間がゆっくり進んでいる感じがしました。
 〜またカナダに行きたいという思いはあるのでしょうか?
それはずーっとありますね、でも冬は行きたくないですね、ちょっと寒いので(笑)


【本田武史さんが経験した大きな壁・挫折は?】
やはり僕はけがが多かった事ですね、両足首とも疲労骨折もしてますし、「手術もしなくてはいけない」と言われるぐらいのケガもあったのですが試合の事を考えると手術が出来ないで、「痛いまま試合に出てしまえ」と言うのを繰り返していたので、引退して5年目ですがまだ痛む時もあります。
 〜その中でも一番つらかったのはいつごろのケガでしょうか?
2003年の世界選手権で2度目の銅メダルを獲った後にケガした事が辛かったですね、銅メダルを2個目を取って次は銀メダル金メダルしかいらないと思っていた時に足首をケガしてしまって、焦りもあるしリハビリをしながらリンクに立てない靴を履けない、あの時が一番スケートが嫌いになりましたね。
 〜スケートは見ているだけでも足首を酷使しそうですよね
そうですね、4回転を15歳の時から跳び続けてきたケガでもあるのかなと思いますね、跳びすぎと言うのもありますね。
その頃は4回転が無いと勝てない時期だったので4回転をひたすら練習していたんですよ。
 〜スケート靴を履けない時期はどれくらい続いたのでしょうか?
全く履けない時期は1カ月ぐらいでその後テーピングで固めていたんですけどそれだと跳べないんですよね、それに怖いという思いもありますし。
毎日リハビリに通ってハリの先生、マッサージの先生、整体の先生、超音波の先生とか、ほんとにいろんな方に治療していただいてリハビリとあわせて1日6時間ぐらいやっていましたね。
 〜その時は辞めようと思われたりは?
その前に「もうリンクに立てないのではないか?」とそう思いましたね。
 〜そこから頑張らせてくれたものは?
やはり世界選手権の表彰台に立って日の丸が上がった時のあの気持ち、これをもう一度味わいたいと言うのがありましたね。
それに表彰台も3段目しか立っていないのでもうちょっと高い位置に登りたいと言うのもありましたね。
それでも完治はしませんでしたね、そのままシーズンを滑ってしまいましたので。最初から「一年やりません」と言ってしまえばよかったかなと思います、でも自分の中でそこまで勇気も無かったですね。
2003年のシーズンは時期的にも一番良い時期なんじゃないか?と思って多少無理してしまったかもしれません、でも後悔はしていません、一回きりの人生だからこれが自分で決めた人生なんだ、と思っています。


【ほかに大きな壁・挫折と言うと?】
その後もやはりケガが大きかったですね、右足首をかばって滑っているうちに左足首も悪くしてしまい世界選手権の最中なんですが試合の最初のジャンプの時に足首に激痛が走って立てないくらいの事があって、それが凄い悔しい思いでしたね最後まで滑りたいと言う気持ちがありましたので。
 〜演技が出来ないくらいのケガだったのですね
4回転を跳ぼうとした時にトゥをついたのですが、自分の体は跳んでいるんですけど足だけまだ残っている感覚があって「足首が飛んだな」と言う思いもあったんですけど痛すぎてすぐに何も考えられなくなりましたね。その後5〜10分は記憶に無いです。
本当にショックでしたね、この時も凄い調子は良かったので。調子が良い時ほど落とし穴があるんだなと言うのはありますね。
 〜立ち直るのにどれくらいかかりましたか?
起きてしまった事は仕方無いな、とは思っていたんですが何週間かはコーチとも会話をせず本当に中の良い友達と少し会うくらいでしたね。
スケートに関してはしゃべりたくなかったのでスケートでは無い友達と一緒にいたりしていましたね。
 〜それでは現役引退も頭によぎったのでは?
それがちょうどトリノオリンピックの前のシーズンだったので、トリノオリンピックまではやりたいなと言うのがあったのでそこまでは続けたいなと思いました。
その時に自分の中で目標を立てなければいけない、最後のシーズンにする時どうしたらいいかと考えシーズンの前に今シーズン限りで引退しますと言うのを発表してシーズンに臨みました。
自分の気持ちの中に区切りをつけなければならないと思って、ここで頑張らなかったら自分はこれ以上できないというところまで追い込みたかったんです。
トリノは5位でしたが「結果では無いな」と思いましたね、引退を決意したあとからは結果ではなく達成感が強かったですね、とても充実したシーズンになりました。


【本田武史さんにとってのマイ・メモリーソングは?】
コブクロさんのが大好きなんですよ。
この曲はカラオケでもよく歌うのですけど、カナダにいた時は車の中でよく聴いたり日本に帰って来てからもコブクロさんのCDをいつも車でかけてますね。
ちょっと悲しい気持ちになる所もあるのですがとても落ち着けるのでそんなところが気に行っています。
 〜この曲の発売は2005年、今週お話していただいたように怪我で苦しんでいる時期ですね。
やっぱり、コブクロさんが歌っている声の感じが語りかけてくれるようでこの苦しい時期もホントによく聴いていましたね。
 〜コブクロさんの曲で滑ってみた事はあるのでしょうか?
それはまだないですね(笑)
 〜今はどんな曲で主に滑られているのでしょうか?
今年はロックで滑っていて2年前はゴッドファーザーで滑ったりフラメンコで滑ったりプロになってからは幅広くやらせていただいています。
やっぱりプロの前はどうしてもスローの感じが多かったのですけど、色々聞いてみてコレいけるかも!と言う曲もあるので色々挑戦したいですね。
元々音楽も凄い好きでCDショップに行くと一度に何十枚も買ってしまうんです気付いたら家に3000枚ぐらいCDもあります、決してスケートの為と言う訳ではないのですが家で聞いていると自分がその曲で滑っている所をイメージしたりしてしまうんです。
 〜そういった選曲などはすべて自分で行うのですか?
そうですね、あとは振付師の方が「イメージに合わないから」と言ってくれます。
何回もショーをやっていて昔からのファンの方で毎日のように見に来てくださる方とかもいるんですよ、そうすると毎回同じプログラムだと飽きてしまう訳じゃないですか、だから出来るだけこのショーはこの曲、このショーは違う曲と分けて言ったら楽しんでいただけるかな、と思って選んでいます。
 〜今特に滑っている曲などは?
今はジョシュ・グローバンのアウェイクと言う曲で、今海外のアーティストで一番好きでスケートにも使いやすい曲が多くて、このアウェイクはその中でも絶対に滑りたいと思っていた曲なんです。


【本田武史にとって今後の大きな目標は?】
本当にファンの方の応援があったからこそ今の自分があるので、滑れる限りプロスケーターとして滑っていきたいと思います。
 〜今でも4回転ジャンプは跳べるのでしょうか?
練習では跳べるんですが、今は現役のころと比べ練習量が100分の1ぐらいになってしまっているので。
今はコーチをしながらプロもやらなければならないという両立が大変なので、とても充実はしているんですけどね。
あと目標としては今まで見た事のないアイスショーを作っていきたいなと思っています、「え?こんな事も出来るの?」と思わせるようなショーを作っていきたいですね。
現役の頃からアメリカ・カナダ・ヨーロッパと色んなショーを見てきて、これいいなと思ったアイデアもいっぱいあったのでそういった事もできたらと思います。ホントに実現したい事はたくさんあります。
 〜そんな本田さんの姿が見られるアイスショーが10月2日にさいたまスーパーアリーナで行われます
ぜひ見に来てください!この時にはまた新しいプログラムになっているかもしれませんので見に来ていただきたいですね。

 〜プロスケーターとしての目標を伺いましたが指導者としての目標は?
良い選手を育てたいというのもあるのですけど、良い選手と言うよりも良い人間になってほしいなと思います。
これはカナダでダグラスコーチに教わった事なんですけど、スケート選手と言うのは本当に短い期間でそこから世間に出て行った時に「どういう人だ?」と問われると思うんですよ。
やっぱりオンオフをしっかりするというのもあります、なので生徒には必ず挨拶に始まり挨拶に終わるというのは徹底して教えています。

 〜本田さんが感じている最後にフィギュアスケートの魅力を教えて下さい?
フィギュアスケートと言うのは男子も女子も個性が出ます、その選手の個性、ダンスもスピンもジャンプも全て一つのプログラムが作品なんですよね、その人の全てがつまっているんです。
フィギュアスケートって見ている方が感じないと思いますがやっている方は本当に大変で辛いんですけどね。
 〜今人気のフィギュアスケートですがもっともっと広めていきたいという感じでしょうか?
フィギュアスケートは言葉では言い表せない良さがたくさんあると思います、プログラムではスピンを入れなければいけないジャンプを跳ばなければいけないなどルールが色々ありますが、プロになればそのルールは無いのでスケート自体の楽しさをたくさんの人に伝えていけたら、と思います。

政井マヤ
パーソナリティ:
政井マヤ
メキシコ生まれの元フジテレビアナウンサー。フジテレビ時代には、スーパーニュース、ワッツ!?ニッポンなど情報番組を主に担当。2007年3月に俳優の前川泰之さんと 結婚、女児を出産。2008年からスポーツリアルトークのパーソナリティを務めている。
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