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【三浦泰年・みうらやすとし】サッカー元日本代表(2010年9月27日〜10月1日オンエア)

夢に向かってチャレンジするアスリートをクローズアップ!
先週のゲストはサッカー元日本代表の三浦泰年さんです。
今も現役を続けるカズこと三浦知良選手の兄・ヤスとしておなじみの三浦泰年さんにたっぷりお話を伺っていました。




【三浦泰年・みうらやすとし】サッカー元日本代表
静岡県出身、1965年生まれで現在45歳
高校卒業後ブラジル留学を経て、日本リーグ読売クラブに入団、
Jリーグ開幕とともにエスパルスに移籍し、その後もヴェルディ、アビスパ、ヴィッセル、で主力プレーヤーとして38歳まで活躍。
弟のカズこと三浦知良選手と共に兄弟で日本サッカー界の人気を支えました。
現役引退後は指導者、サッカー解説者など、幅広く活躍、
先日初めての著書「三浦兄弟 〜僕とカズ サッカー少年漂流記〜」を集英社インターナショナルから出版されたばかりです。



【三浦さんは先日自伝「三浦兄弟 〜僕とカズ サッカー少年漂流記〜」を出版されたばかりなんですよね。】
自分の44年間の人生・サッカーを通して学んだ事をまとめていった中で、やっぱり弟のカズと一緒にやってきた事が中心にあったのでこういう題名で出版する事にしました。
お互い子供の頃は少し違う考え方でサッカーに取り組んでいたのですけど、やはりずーっと一緒にいましたから。
 〜子供時代はどんな事が一番思い出せれますか
どちらかと言うと今はカズは凄いストイックで“キングカズ”と言われるようなそういう選手なんですけど、子供の頃はカズはボールを枕にして寝ていて僕はその横をドリブルして真剣にやっていたという感じでどちらかと言うと僕が真剣に一生懸命やっていて、カズは飽きないように大人になってもサッカーを好きでいられるようにあまり力を入れ過ぎずにやっていたという印象でしたね。
 〜この本を読むと物心ついたころからサッカーボールに触れていたと書かれていました。
僕らが子供の頃はまだプロもなくそれほどサッカーも盛んではなかった時代なんですけど、僕らの近くには常にサッカーボールがありましたね。
 〜この本で一番伝えたかった事は何でしょうか?
誰もが最初はボールが少し蹴れるだけで、リフティングというのは最初は一回しかできなかったというのがわかってもらえると思うんですよね、最初から僕もカズも一流選手ではなかったしサッカーがうまかったわけじゃない無いという事であったり、後はどんなに悔しい事があっても負ける事がいっぱいあっても最終的には僕らはサッカーボールがあれば良かった、と言う部分があるのでそこから学んだ事を少し書きたかったと言う思いがこの本で形となりました。
 〜本当にカズ選手の話サッカーの話だけでなく、家族や周りの人の話を含め三浦泰年さんの全てが書かれていますよね
題名は三浦兄弟なんですけど三浦兄弟の話だけではなく、本当に子供の頃に感じた事や思っていた事であったり、恩師が伝えてくれた言葉であったり、今の日本のサッカー世界のサッカーに対して思う事であったり、色んな事を書いてあるので楽しんでもらえると思います。
 〜弟のカズ選手には相談したりはされたのでしょうか?
実は何もいわないでこの本が出来上がって、その時に「実は本を出すんだ」という形で伝えたんですけど、読んでくれて怒ってなければいいと思います(笑)
ただ僕の中では本当のカズというか凄く正直なカズの良い所を書いているつもりなんですけどね。
 〜写真も沢山載っていますよね
あまりテレビには出ないような写真も沢山載っているのでそこも楽しんでいただけたらと思います。


【三浦泰年さんとサッカーとの出会いはいつでしょうか?】
物心がついたころにはサッカーに出会っていました、親父がサッカー専門店を日本で初めて作りまして、それまでスポーツ用品店はたくさんあったのですけどサッカー専門店は無くてその店が僕が産まれた年にオープンしたのでそういう所でも「サッカーをやらなければいけないんじゃないか?」という環境だったんです。
 〜三浦兄弟の前にそれだけサッカー好きのお父様がいらしたんですね
そうでうすね、父の親父、つまり僕らのおじいちゃんにあたる方はなんか野球のOB会長をやったり野球の方が好きだったらしいんですけど、親父はグローブとバットを持って「言ってきます」と家を出て隠れてサッカーをやっていたらしいので、ホントに僕がサッカーを始めたのは親父の影響ですよね。
 〜その頃の憧れの選手は?
ブラジルのサッカー選手のキングといわれるペレが大好きだったんですけど、当時「ペレが死んじゃったら、悲しいな」と思った事があってそれが「死」と言うものを考えた一番最初の出来事だったぐらいで普通だったら両親とか家族の事で思うのでしょうけど、それぐらいペレが好きでしたね。
 〜当時はどうやって情報を手に入れたのでしょうか?
それも父が映像を持ってきて70年にブラジルがワールドカップに優勝したのですけど、その映像を持ってきて凄いなと思いました。
 〜そのビデオをと言うのはお父様が手に入れてきてくれたんですね
多分メキシコに行っていたので8ミリで撮ってきたものだと思うんですけど、それを見せられましたね。
今でこそワールドカップに日本人のお客さんも沢山現地に行かれますが、今考えたら凄い事ですよね。
 〜それだけにお父様は自分の子供を自分の手でサッカー選手に育てたいという思いがあったのでしょうか?
それがまた家の父の面白い所で、僕ら2人は父の弟、つまり僕らのおじさんのチームに預けて、指導は全ておじさんがやってくれたんです。
なので「サッカーをやれ」と言われた事は一回もなかったですね、今でも「サッカーをやらせたかった」とか「プロ選手にしたかった」と言われた事は一回もなかったですね。
 〜そんな当時の夢は何でしたか?
大きな夢を持っていなかったんです、小さな目標を決めてそれをこつこつクリアすると言った感じだったので。
なので「サッカー選手になれたらいいな」とか「サッカーもプロにならないかな」なんて言う事は考えていませんでした。
とにかくコツコツ毎日サッカーばかりやっていて、そしたら監督であるおじさんに「お前らプロにでもなるつもりか!!」と怒られた時代ですからね。
ただただサッカーが好きで毎日サッカーボールばかり追いかけていましたね。
 〜それだけサッカーに対して情熱があふれていたんですね
7年前に引退しましたが辞めたくはなかったですからね、サッカーを始めてから今日まで一日もサッカーを辞めたいと思った事はありません。


【三浦泰年さんにとって最大の努力と言うとなんでしょうか?】
最大の努力と言うと一番頑張った事ですからなかなか難しいのですが、小学校4年生から高校3年生までの期間と言うのは凄く努力を意識したなという時期でした。
昨日も言いましたが、おじさんが本当に「人の3倍努力しろ」とか「人の見ていないところで努力しろ」と言う事をいつも言い続けていた人だったんです、サッカーの中ではそれが一番大事だと言われ続けていたので今考えてみるとそれが後々大人になって活きてきたかなと思います。
それで一番大事に思って今でも座右の銘にしているのが「努力すれば必ず報われる」という言葉があって、なかなか報われない事の方が多いのですけど努力する事が好きになりましたよね。
 〜おじさまはとても厳しいコーチであったんですね
とても厳しかったですね「好きな事を一つやめなさい」とか「小さな事をコツコツやらないと大きなことをできない」とか言われましたね。
 〜好きな事は何をやめられたのでしょうか
友達と放課後に一緒に遊ぶ事ですとかそういう事をする時間を削ってサッカーの時間に費やしました、でも大好きなドリフターズの8時だよ全員集合だけは見るのをやめられなかったんですけど(笑)
もっとつらい事はブラジルであったり、Jリーグで味わった事であったり、日本代表で目標達成できなかった事であったり、そういう辛い事を克服する努力もあったのですけど、いちばん最大の努力をしたというのはまだプロでない何もなかった時かなと思いますけどね。
 〜小学校4年生の時がある意味原点なんですね
実はなぜここまで覚えているかと言うと、小学校4年生の時にマラソンが急に早くなったんですよ、それまでボールはあって毎日遊んでいましたけどサッカーに真剣に打ち込んだのは小学校4年生の時だったのでそこからがスタートだったのかなと思います。
 〜そこから高校3年生までの間で一番ハードだった練習はなんでしょうか?
たくさんありますよね、おじさんが「グラウンドを10周走れ」と言って10周走って最後のゴール付近で力を抜いた選手が1人いると「やり直しだ」と言ってもう10周走らされたり、きっと最初から20周と言うよりメンタル的に強化されるじゃないですか、そういう狙いだったのかと思いますね。
 〜今指導者としておじさまの指導は役に立っていますか?
おじさんのやった事のコピーではだめだと思ってますし昔と今では時代も違いますし生活環境も変わって来ているので全く同じように流行らないですけど、そういう古き良き時代の良いモノと言うのは絶対にあると思うので特にメンタル的なものは取り入れています、それが子供たちをもっと成長させるのではないかと思っているので。
まぁおじさんは厳しかったですけど、僕はその100分の1ぐらいの厳しさだと思っています(笑)


【三浦泰年さんにとって最大の壁・挫折と言うと?】
何度かあったと思うんですけど、一番最初は高校時代に高校サッカー選手権を目指していて静岡県代表を決める決勝戦で負けた試合です。
それも惜しいという試合ではなくて1−6という大差で負けてしまって、それも僕たちが優勝候補でありながら負けてしまったんです。
 〜相手は強豪校だったのでしょうか?
清水東高校で、長谷川健太、堀池巧、大榎克己、武田修弘と言ったメンバーが相手にいたのですけど彼らに敗れた時が子供心に大きな挫折を味わいまして、この敗戦によってブラジル留学をしようと思ったきっかけです。
 〜それでブラジルに渡られたんですね
そこで次の挫折と言うのがもっと大きくて、僕は日本でもそこそこ上手かったので自信を持ってブラジルに渡ったんですよ、でもブラジルの選手はホントに上手くてそこではカルチャーショックと言うか今までの自分の自信が全部失われるような挫折と言うのをブラジル留学で味わいました。
 〜それは行ってすぐの出来事でしょうか?
行ってすぐでしたね、さらに環境面で言ったら置いてあるモノがすぐに盗まれてしまったり、言葉が出来なかったのでコミュニケーションがとれなかったり、そういう中でサッカーも上手くいかず壁と挫折を味わいましたね。
 〜途中であきらめて帰ろうとは思いませんでしたか?
正直そう思いました、サッカー自体は辞めたいとは思いませんでしたけどブラジルから日本に帰りたいと言う気持ちは持ちましたね。
 〜ブラジルには都合何年間にいられたのでしょうか?
2年間です。
 〜2年間持ちこたえられたのは何が大きかったのでしょうか?
自分の中で2年は絶対に行こうと心の中で決めて出発してきましたし、帰りたくなった時も「まだ何も得ていない」と言う気持ちも強かったですし、途中で逃げ出すのはダメだ、と思っていて、いつも帰りたい気持ちとの間で葛藤していましたね。
 〜そんなブラジルで上達していく自分と言うのは感じられましたか?
感じられなかったですね(笑)
最後まで公式戦に1試合も出れませんでしたし、言葉もそんなに上手くなりませんでしたし、親友みたいな友達もできなかったですし、ただその時に試合に出るために永住権と言うものを獲得したんですね、それで2年に一度ブラジルに帰るんですけどそこからブラジルの友人であったり日系人の知り合いであったり仲間であったり大人になってからそういった人たちから吸収したり何かを得て帰れるようになりましたね。
 〜三浦さんにとってブラジルとはどんな場所ですか?
一番辛く、大きな壁と大きな挫折を感じた場所なので、そこへ行くと「何もなかった時に頑張っていた場所なんだ、もう一度しっかりしよう」と言う気持ちなれるので、凄く大事な場所です。



【三浦泰年さんにとって今後の大きな目標は?】
今、指導者としていろんな事を経験させてもらい、また解説の仕事を通して世界のサッカー日本のサッカーに触れる機会も多いので、そうやって勉強した事経験した事からやはり日本の最高のカテゴリーであるJリーグを目指したいなと思っています。そして監督になれたら日本を代表するような名監督になりたいと言う事が僕が一番ストレートに言える目標です。
 〜すでにS級ライセンスは持たれているそうですが、どういうチームを作りたいという夢はありますか?
レギュラーだけではなく全ての選手が「やりきったな」と言う感じを持てるような、モチベーションを保てるようなそういうチームを作りたいなと思いますし、サッカー自体も周りから見て「良いサッカーだな」「こういうサッカーをしたいな」と思われるようなそういうスタイルと言うものを凄く大事にして、なおかつ勝利と言うものをしっかり目指せるようなそういうサッカーができるようなチームを作りたいと思います。
 〜今はご自身で設立されたチーム・FCトッカーノで子供たちへの指導もされていますが、小さい子供を指導するうえで気を付けている事などありますか?
ジュニアチームは小学生で、ジュニアユースと言うチームを中学生、サッカースクールと言う形で幼稚園年長から小学校6年生までをお預かりしているんですけど、僕は主に中学生を見る事が多いのですが小学生も含め子供たちによく言う事は「サッカーでやっていけない事はファウルじゃない、何もやらない事が一番悪い事だ」と言っているんです、昔からミスをすると怒られるからミスをしないようにするという子が僕の時代の頃からも多かったので、下手でも良いからやる恥ずかしい事はミスをする事ではなくやらない事の方なんだと言う事で、どちらかと言うとやる気や自信みたいなモノを持たせるようなサッカーを通じてそういうモノが持てるように指導しています。
 〜失敗しても恐れないでチャレンジする大切さですね
そうすると技術は付くんですよ、技術が何故つかないかと言うとやらないからであって、技術がない事を恥ずかしくなって練習しなくなってしまってどんどんどんどん悪循環になってしまうんです。
なので「やれ、やれ、やれ」と積極的に言うようにしています。
 〜子供たちを教えていて一番楽しいと思う瞬間は?
厳しい事を言ってハードルを高くして行ってできなかった時に彼らは落ち込みます、でもそれが練習を重ねてできた時には泣きたくなるほど嬉しくなりますね。
 〜ご自身の子供時代と比べて今の子供たちはどう映りますか?
僕らの時代よりも純粋な目でキラキラした目で夢を目指しているなと言う気がします、やはりプロが出来ているので彼らには目標がしっかり見えているなという目をしていますね。凄く良い顔をしているなと思いますよ。

政井マヤ
パーソナリティ:
政井マヤ
メキシコ生まれの元フジテレビアナウンサー。フジテレビ時代には、スーパーニュース、ワッツ!?ニッポンなど情報番組を主に担当。2007年3月に俳優の前川泰之さんと 結婚、女児を出産。2008年からスポーツリアルトークのパーソナリティを務めている。
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