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大道 典嘉(おおみち のりよし)元読売巨人軍 2010年12月6日〜12月10日

夢に向かってチャレンジするアスリートをクローズアップ!
今週のゲストは今シーズン限りで引退された元読売巨人軍代打の切り札・大道 典嘉さんです。ピンチの場面での一打席にかけた男の意地とプライドとは?知られざる大道 典嘉さんの野球人生に迫ります。


三重県出身、現在41歳。
1988年、三重県立明野(あけの)高校からドラフト4位で南海ホークスに入団。
左投手にめっぽう強く、左キラーとして活躍されました。
2007年、巨人へ移籍。2009年には巨人の日本一に貢献。
そして今年、23年の現役生活にピリオドを打ちました。




23年間のプロ野球人生を振り返って?
→自分ではあっという間。でも周りの人から「23年間お疲れ様」と言われると自分でも「あ〜23年間やってきたんだなあ」と感じます。

引退を決意した瞬間は?
→長野君や坂本君など巨人には右バッターの優秀な選手が多い。今シーズン、彼らと自分を比較して「ちょっと厳しいかな」と思うようになりました。そして今年に入って腰を痛めたり背中を痛めたりしてしまった。そういうことが重なって引退を決意しました。

引退された、今は?
→打って当たり前という代打の緊張感から解放されて、正直、ホッとしています。四打席でもヒットを打つことは難しいのに、代打は一打席、それも勝負を決める場面で出て行かなければならない。代打というのは本当に難しいです。

野球との出会いは?
→兄貴の影響で小学校2、3年の頃に始めました。5年生からリトルリーグに入部。ただ体がデカイという理由で、ピッチャーをやってました(笑)

中学生の時、野球以外のスポーツも?
→中学3年生で180cmの体格だったので、相撲大会に借り出されました。練習もせずに三重県大会では準優勝。相撲の親方が2人ほどスカウトに来ました。

野球選手ではなく、力士という選択肢もあったんですね
→相撲好きの親父は「お前、相撲取りになれ!」とノリノリでしたが、中学3年生で思春期、お尻を出すのが恥ずかしくて・・・断りました。

高校時代は?
→ピッチャーをやっていました。でも22点取られた時に監督から「お前はピッチャー、クビ。野手になれ!」と怒鳴られました。当時は落ち込みましたが、今考えると、そのおかげでプロ野球選手になれたんだと思います。あの22点を取られた試合は、僕にとってターニングポイントの一つです。

大道さんと言うと、あの独特の構え。あれはどのように誕生したんですか?
→王監督や田淵監督の元、僕も長距離砲としてブンブン振り回してきました。でも変化球に当たらないです。そして入団8年目、当時ダイエーのコーチだった山本さんから「打てなくて、お前がクビになるのは構わない。でもお前の一打に裏方すべての生活がかかってるんだぞ。いつまでバットを長く持って振り回してるんだ!!」と言われ目が覚めました。そして山本コーチと二人三脚で、変化球対策のバットを短く持つバッティングフォームを編み出しました。

大道さんのバット、秘密があったとか?
→引退したので白状しますが、日本一長いバットを使っていたんです。それをわざと短めに持つ。ピッチャーはバットが届かないと思ってアウトコースの球を投げる。でもバットが長いから届いてヒットになるんです。こういうことをしないとプロで23年間、出来ませんよ(笑)

日本一長いバットは、チームメイトにも秘密だったんですか?
→ソフトバンクでの19年間はバレませんでした。でも巨人に移籍した時に、ロッカーの位置がわからなくて普段は隠してあるバットを出していたんです。すると阿部慎之助君が「あれ?大道さんのバット・・・・まさか長いの使ってたんですか?」。バレちゃいました。阿部慎之助君には「お前、絶対に言うなよ!」と釘を刺しておきました(笑)

今後の夢・目標は?
→兄弟のような仲だった故・木村拓也コーチの背番号「84」を背負ってコーチをやりたいです。それがアイツへの一番の供養だと思います。そのために海外など一度、外から野球を見て勉強したいです。





政井マヤ
パーソナリティ:
政井マヤ
メキシコ生まれの元フジテレビアナウンサー。フジテレビ時代には、スーパーニュース、ワッツ!?ニッポンなど情報番組を主に担当。2007年3月に俳優の前川泰之さんと 結婚、女児を出産。2008年からスポーツリアルトークのパーソナリティを務めている。
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