【女子プロ野球選手・吉田えり選手】 2011年17日(月)〜21日(金)
夢に向かってチャレンジするアスリートをクローズアップ!
今週のゲストは女子プロ野球のナックル姫・吉田えり選手です。野球を始めたきっっかけから、魔球ナックルボール誕生秘話、そして海外への挑戦など、野球にかける情熱についてお伺いします。
神奈川県横浜出身の現在19歳。身長は155センチ。
高校時代、関西独立リーグ「神戸9クルーズ(こうべナインクルーズ)」に所属。
去年は、アメリカ独立リーグ、チコ・アウトローズでプレイしました。
野球との出会いは?
→小学校2年生の時に、2つ上のお兄ちゃんが少年野球のチームに入るというので、私も一緒に入りました。
中学校では軟式野球部に所属。女子は吉田選手だけ?
→はい。でも他の学校でも女の子で野球部という人はいました。
中学時代のポジションは?
最初はキャッチャーをやっていました。チームメイト全員の顔をみながらプレイ出来るポジションなので、とても好きでした。
ピッチャーになったのはいつから?
→中学3年生の時、ローテーションによってピッチャーをすることもありました。やっていくうちにピッチャーの楽しさを知りました。
最大の努力は?
→中学3年生の秋、ナックルボールを練習した時です。高校に入ると今まで以上に男子との体力差が出てきてしまう。どーすれば男子と互角に戦えるのかな?と考えていた時に、たまたまテレビで、メジャーリーグのナックルボールの使い手ウェイクフィールド投手を見て、「これだ!」と思いました。
すぐに投げられたんですか?
→最初は握り方も解らなかったので、ウェイクフィールド投手の本を使って、見よう見まねで練習しました。握り方だけではなく、上から投げてみたり、横から投げてみたり色々チャレンジしました。ちゃんと投げられるようになるまでに1年以上かかりました。実は今も握り方など、研究中なんです。
ナックルボールの難しいところは?
→コントロールです。ナックルボールは、投げたピッチャーですら、どこに変化するのか解らないボールなので。
挫折は?
→高校の硬式野球部に入部してすぐに、手首を怪我してしまったんです。治るまでに3ヵ月くらいかかりました。かなり落ち込みました。その時に、社会人野球チームがあることを知って、自分にとって高校の硬式野球部と、どっちがいいのかな?と悩んで、結局、社会人野球チームに入りました。
その後、関西の独立プロリーグに入団。きっかけは?
→お兄ちゃんが入団テストを受けるというので、私も一緒に受けました。結果、お兄ちゃんは落ちてしまったんですけど、私は受かりました。
当時16歳。しかも実家の横浜を離れての一人暮らし。大変でしたか?
→最初は、ホームシックにかかりました。
頑張れたのは何故?
→女の子が硬式野球やると危ないと、よく言われます。でも女の子だって出来るんだぞ!っていうところをみせたくって頑張りました。
去年、アメリカの独立リーグでプレイ。きっかけは?
→アメリカは、ナックルボールを投げる選手が多いので、生で見てみたい!そして一緒にプレイしたいという気持ちからです。
初登板の日のこと、覚えていますか?
→すごく緊張して頭が真っ白になりました(笑)でもバッティングで活躍。初打席でタイムリーヒットを打つことが出来ました。
アメリカの独立リーグ、何が大変でしたか?
→バス移動が大変でした。近くて9時間。一番遠かったのが21時間。いつ朝か夜か解らなくなりました。でもそんな大変な環境でも、結果を出す選手達は凄いなあ〜と勉強になりました。
憧れのウェイクフィールド投手にも会えたそうですね
→はい。実際に投げているところも見せて頂きました。今まで見たことがないくらい、変化するナックルでした。「これが本当のナックルボールなんだ!」と感激しました。そして私の投球も見てもらいアドバイスまでして頂けました。うれしかったです。
夢は?
→ウェイクフィールド投手のような、ナックルボーラーになることです。そしてウェイクフィールド投手と同じマウンド、つまりメジャーリーグの舞台でプレイしたいです。
現在19歳。おしゃれに興味は?例えばマニュキアとか?
→そんなことしたらナックルボールが投げられなくなるので・・・・おしゃれはまだいいです(笑)
野球をやっている女の子にエールを!
→女子の野球は環境が整っていないので、息苦しくなってしまう時もあると思うけど、好きな野球を後悔せず、楽しんで頑張ってほしいです。