9月2(日)放送の番組では、参議院議員の、朝日健太郎さんをお迎えして「室内のバレーボールから、ビーチバレーに転向した理由」についてお伺いしました。
淵澤:先週は朝日さんの子供の頃のお話をお伺いしました。
けさはその先をお伺いします。
朝日:高校進学がバレーボールの原点になります。
当時は、勉強での進学を考えていました。
言っても15歳。人生の大きな選択でした。
結局スポーツでの進学を選びました。
熊本県のバレーボールの強豪校に進学したわけです。
最初は苦しかったです。
スポーツに対する態勢がなかったので。
淵澤:わりとラフな感じで(笑)
朝日:週に2,3回しか練習していなかった中学生が、
1年間で休みが1日しかないわけですから。
自見:高校生の時も、背も伸びたんですか?
朝日:中学3年生の時に190センチありました。
190センチを超えてくると、
190センチになった自分を認めたくないんです(笑)
189・9とずーと言っていました。
自見:朝日クンが日本代表になったのは、いつごろですか?
朝日:高校の最後の方で入れてもらって。
自見:そんなに早くから。
朝日:その時、“イップス”という病気になりました。
スポーツではよくあるんですが、
プレッシャーでボールが投げられなくなったんです。
あまりにも短い期間で日本代表になったものですから。
自見:自分の活躍と気持ちが、かみ合っていなかった。
そのギャップがどんどん広がって行って・・・
朝日:25、6歳かな。
日本代表の中心でやらせてもらっていた時が、
一番苦しかったです。
自見:大活躍していた朝日クンに、
そんな心の悩みがあったとは。
そしてビーチバレーに行った?
朝日:その現状から逃げ出したかったというのが本音ですね。
でも一応、マイクパフォーマンスでは
「ビーチバレーでオリンピック目指します」と、
建前ではそうしましたけど。
一刻も早く(室内のバレーボール)から飛び出したかった
という気持ちの中で、ビーチバレーという選択肢が一つ
あったので、そこに飛びつきました。
自見:当時、その胸の内は誰かに話したんですか?
朝日:言ってないです。今でこそ気持ちを整理できますが、
当時は判らず、悶々としていました。