自見:きょうは3月11日です。
東日本大震災から7年が経過しました。
改めまして、日本医師会が東日本大震災の際、
どのような対応をとられたのか、お聞かせください。
横倉:ちょうど私も、
あの日は日本医師会の開館(文京区本駒込)におりまして、
次の会議の準備をしておりました。突然大きな揺れが来た。
なかなか揺れがおさまらないので、これは大変だなと思い、
すぐにテレビを点けました。
テレビでは津波の報道がされていました。
淵澤:そうでした。
横倉:これは大きな被害が出る、そのための支援が必要だと思い、
対策支援本部を日本医師会館の中に立ち上げました。
実はちょうど日本医師会で救急災害委員会というものがあって、
大災害の時には支援のチームをつくろうではないかと、
議論が起きていました。
それがJMAT(日本医師会災害医療チーム)です。
また当時を振り返りますと、
東日本大震災の3日目から、油がない、お薬がないなど
いろいろな被災地の状況が少しずつ入ってきました。
そこで私どもは日本の製薬メーカーにお願いして、
薬を現地に届けようとしました。でも、運ぶ手段がない。
自見:そうですよね。
横倉:自衛隊にもご相談したんですが、手一杯だった。
ちょうどアメリカ軍が「友達作戦」をスタートする
情報が入ってきました。
すぐに米軍にお話をしたら運んでいいと言うことになりまして
日本医師会館から、警視庁のパトカーが先導して大きな
トラックで横田基地に運んで仙台空港と花巻空港に送りました。
そして現地の医師会の先生方と自衛隊の方々が協力して、
現場に運び込んで下さいました。
自見:横倉さんは、まさに陣頭指揮をとられた、ということですね。
そしてJMATの活動についてですが、
東日本大震災の時、お医者さんは日常の診療を一旦止めて
被災地に駆けつけたということですよね。
横倉:JMATは、だいたい1チーム4人から6人。
医師が1人と看護師さんが2人、
事務職員が1人というのが基本の構成です。
2011年の7月までにJMATの派遣をしたんですが
1,398チームが現地で活躍をしてくれました。
10,000人近い医療関係者が、支援のために被災地に入りました。
7月15日で支援は停止したんですが、
その後はそれぞれ被災された県の医師会でチームを作って頂いて
現地に入って頂きました。それが1,300チームです。
自見:未曾有の大震災ですから、
各方面の皆様が協力して下さったということですね。