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2017年12月31日
視覚障害者柔道・正木健人選手 (2)

今年2017年最後のゲストは、視覚障害者柔道の正木健人選手です。

 

得意技は「大外刈り」と「払腰」だという正木選手。
視覚障害者柔道に転向して自身初の国際大会となった2011年の世界選手権では、オール一本勝ちで優勝。
「自分の柔道人生の中でも一番内容が良くて満足した大会」で、翌年のロンドンパラリンピックに向けて、これなら行ける!と手応えを感じていました。

 

2012年。

ロンドンでパラリンピックの舞台に立った正木選手には何のプレッシャーもなく、試合前の緊張感もふだんの大会と変わらなかったといいます。
長年、健常の柔道をやってきたという自信、そして、前年の世界選手権で圧倒して優勝できたという自信。
パラリンピックという重みを感じず勝ち進み、初出場にして金メダルを獲得しました!

金メダリストになって、地元の学校などいろいろな所に報告に行ったり、イベントに参加したり、生まれて初めて講演会をやったり…そういう活動の中で、(自分がやったことってすごいことなのかな)と思い始め、そこで自分が出した結果のすごさや重みを感じるようになりました。

 

そこからリオ大会までの月日は「本当にきつかった4年間」だったと語ります。
ロンドン大会が終わって一年半の間、盲学校で資格取得に専念するため柔道から離れます。その後、盲学校を卒業して、また柔道を続けようとしましたが、一年半というブランクは想像以上に大きく、練習に体がついていかなかったといいます。
世界的に視覚障害者柔道のレベルも一気に上がり、大会に出てもタイトルをひとつも取れず、一時はもう辞めた方がいいのかなとも思ったそうです。

日本でもパラリンピックの知名度が上がり、それに伴ってまわりの期待は膨らみ、それがプレッシャーにもなっていきました。
さらに怪我も多く、その怪我とどうやって向き合えばよいかわからないという時期も長く続きました。
2016年に入り一度柔道から離れて、痛めていた膝のリハビリと体作りをゼロから始めることを決意。そのトレーニングにより徐々に体が戻り出して、なんとかリオ大会を迎えます。

 

練習不足による不安は強くあったものの、あとは「やるしかない」と自分を奮い立たせ、2度目のパラリンピックの舞台に立ちました。
準決勝の相手は過去に2回負けている相手。「勝負どころはここだ」と気持ちが入りすぎて、冷静さを失っていました。
試合が始まってすぐに(あれ、この選手こんなに力強かったかな)と思ったその一瞬をつかれ敗れてしまいます。そして、銅メダルという結果に終わりました。

試合後に見せた涙の意味は、後悔。
なぜもっとちゃんとやらなかったんだろう、なんでもっと周りの意見を聞いたり、自分で新しいことを始めようという考えに辿り着かなかったんだろうという、後悔の涙でした。
正木選手にとってリオ大会は「悔いしか残らなかった大会」となりました。

 

視覚障害者柔道は、一般の柔道とは違い、組んだ状態から試合が始まります。
技術勝負はもちろん、重量級になるほどパワーがものをいう世界。

柔道を知らない人でも見て楽しめるのが、魅力だといいます。
東京2020大会へのカウントダウンが始まっている今、そんな柔道の魅力を伝えながら、出場する大会では優勝を目指して、東京大会まで突き進んでいきたいと意気込みを語りました。

 

最後に、正木選手が上をめざして進もうとする方に伝えたい“Going Up”な一言を伺いました。

『執念』

視覚障害者柔道の選手の中には、交通事故や病気など後天的な理由により障害を負い、どん底を味わった人たちがいる。自分は何度も心が折れかかったけれど、そういう選手たちを見ると生きる力をもらい、執念を燃やして何事にも前向きな彼らの姿を見て、自分もやろうという思いになる。
天理大学柔道部の教えにもあるこの『執念』を持って東京大会で優勝したい。
そういう思いが込められた言葉です。

 

正木健人選手のリクエスト曲: Hero / 安室奈美恵

リオ大会の前から聞いていて、今でも一日に一回は聴く曲。

 

次回、2018年最初のゲストは、長野パラリンピック金メダリストのマセソン美季さんです。どうぞお楽しみに。

2017年12月26日
視覚障害者柔道・正木健人選手 (1)

今回のゲストは視覚障害者柔道の正木健人選手です。

(写真)東京2020パラリンピック1000日前イベントに出演した正木健人選手。視覚障害者柔道のデモンストレーションも行われた。

 

現在、身長190cm・体重155kg。
小さい頃から体格が良く、相撲やバスケットボールをやっていたという正木選手は、小学6年生の時にはすでに身長は180cm、体重も100kgあったそうです。

中学に入ってからもバスケットを続けたいと思っていましたが、まわりの走るペースについて行けず、きついと思っていた時に、柔道部にいた幼なじみの先輩から誘われて、柔道を始めることになりました。
初めの1〜2か月は受け身の練習だけ、最初は体重が半分くらいの先輩にも簡単に投げ飛ばされていたといいます。
それでも、柔道が楽しくてしょうがなかったという正木選手はめきめきと力をつけ、中学最後に出場した全国中学校体育大会では自分でもびっくりする程勝ち進んでいき、準優勝に輝きました。

 

その後、柔道の名門・神戸の育英高校から声がかかり進学をしますが、いざ高校に入ってみると、練習量は中学時代の3〜4倍。掃除も洗濯も自分で全部しなければいけない初めての寮生活にホームシックも重なって、入部一週間で「辞めたい」と言いにいったそうです。
「高校時代の3年間は常に辞めたいと考えていた」といいますが、それでも最後までやり通し、大学も柔道が盛んな天理大学へと進みました。

 

天理大学柔道部の監督は子供の頃から憧れていた、シドニーオリンピック銀メダリストの篠原信一さん。
大学ではその”篠原先生”に直接稽古をつけてもらい、来る日も来る日も篠原さんは20〜30分の稽古をずっと続けてくれたといいます。
『逃げるような柔道は絶対にするな、常に前に出て勝ちに行け!執念を持って勝ちをもぎ取れ!』というのが篠原先生の教え。
「篠原先生のおかげで力も強くなったし、今までの指導者の中で一番身を以て指導してくれた方」だと正木選手は語ります。

 

大学4年になり就職について考えていた頃ーー。
警察の機動隊に入って柔道を続けたいと思っていましたが、その頃の視力では試験には受からないことを知り進路について悩んでいました。
そんな時、盲学校で柔道を続けてパラリンピックを目指さないか、という話を受けます。
進学先もみつかって、しかも柔道もできる。
すぐに決断して、そこから視覚障害者柔道を始めることになりました。

 

視覚障害者柔道が一般の柔道と違うところは、組み合った状態から試合が始まること。
大学時代、毎日のように稽古をつけてくれた篠原先生もしっかり持ったところから始めるのが好きで、さらに、天理大学の柔道のスタイルも、しっかり持って一本を取りにいくというもの。この柔道が染み付いた正木選手にとって、組んでから始まるという視覚障害者柔道のルールは最高だったと話します。

 

そして、パラリンピックの舞台に立った正木選手はロンドン大会で金メダルを獲得しますが、その話は次回お送りします。お楽しみに。

 

正木健人選手のリクエスト曲: Moment  /  SMAP

ロンドンオリンピックの時の思い出の曲。
ロンドン五輪に直属の先輩が出場しており、この曲を聴くと、学生時代に自分たちの何倍もきつい練習をやっていたその先輩のことを思い出すそうです。

2017年12月19日
陸上・高桑早生選手 (2)

陸上の高桑早生選手を迎えてお送りした第2回目。

 

高校から陸上を始めた高桑選手の専門は、短距離(100m、200m)と走り幅跳び。
2年生の時に出場した自身初の国際大会・アジアパラユース大会では100mと走り幅跳びで金メダルを獲得し、トップアスリートへの階段を上っていきました。

 

一瞬で結果が決まる短距離レースですが「うまくいくレースはスタート前から集中していて、走っている間何も考えてない」といいます。
決勝に進むとレース前に選手が紹介されますが、レースに向けて集中し緊迫する中で、その時間が唯一肩の力を抜いてリラックスして大会の雰囲気を楽しむ瞬間なんだそうです。

 

高桑選手はこれまでパラリンピックにはロンドンとリオの2大会に出場しています。
初めてのパラリンピックとなったロンドン大会は「何も背負うものがなく、チャレンジャー精神、当たって砕けろという気持ちで臨んだので、大会自体の雰囲気だったりお客さんの歓声を全身で楽しみながら、ただひたすら走った大会だった」と振り返ります。
走り幅跳びは残念な結果に終わりましたが、メインとしていた100mと200mでは決勝まで進み入賞を果たすことができ、当時の自分としてはよくやったと思うと同時に、次は4年間しっかり準備したいという思いが強くなった大会となりました。

 

それから4年。
学生から社会人となり”アスリート・高桑早生”として挑んだリオ大会。
ロンドン大会の時にはなかった「4年間しっかり準備した」という手応えとともに2度目のパラリンピックに臨みました。
100mと200mの予選で自己ベストを更新、100mでは13″43というタイム(予選)でアジア記録を塗りかえ8位入賞を果たしました。そして、200mで7位、走り幅跳びで5位に入賞し大会を終えました。

リオ大会を改めて振り返ると、もっとこうすればよかった、ここまで4年間あったんだからもっとでききたのではないかという思いは残ったものの、「大きな舞台でひとつ大きな記録を残せたというのは、自分にとって大きな自信になったし、まだまだ行けるなと感じた大会」となりました。

 

昨年のパラリンピックイヤーを終え、“東京”までの新たな一年となった今年 2017年は、いろいろなことに挑戦しつつも、自分がアスリートとして良くも悪くも安定してきたと感じる一年だったと話します。
100mでこれまで一生懸命調整しないと出なかった13秒台前半というタイムをコンスタントに出せるようになり、落ち着いてレースに出られるようになって『安定』を感じる一方で、「(次のステップへの)突破口がない、何か突き抜けるものが自分には足りない」と思う一年にもなりました。
そして、来年2018年は、もっともっと記録に挑戦して、いろんなことにチャレンジしていき『突き抜けた一年』にしたいと抱負を語りました。

 

その先にある東京2020大会に向けては「(出場できたら)3回目のパラリンピックになるので、しっかりわかりやすい結果、具体的にはメダル獲得を目指して頑張りたい。28歳で東京大会を迎えるので、20代最後、20代めいっぱい好きなことをやってきた中でひとつ終止符みたいなものを打ちたい」と想いを寄せました。

 

最後に、高桑選手が上をめざして進もうとする方に伝えたい『“Going Up”な一言』を伺いました。

『初志貫徹』

“初志”とはパラリンピックのこと。中学2年の時の担任の先生に「パラリンピック目指して頑張ってね」という思いが込められたこの言葉をもらい、今でもすごく大事にしている。最初の“志”がパラリンピック出場だったので、パラリンピックという舞台に挑戦し続けるこれからでありたい。競技を始めた頃は(パラリンピックは)夢物語だったけど、頑張ったその先にそういう舞台があると思うと、今頑張ろうという気持ちになる、とこの言葉に込められた意味を話してくれました。

 

高桑選手にとって飛躍の一年となるであろう2018年、ますます目が離せませんね。
Going Upはこれからも高桑選手を応援します!

 

次回のゲストは、視覚障害者柔道の正木健人選手です。どうぞお楽しみに。

 

高桑早生選手のリクエスト曲: V.I.P  / シド