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2019年3月15日
車いすバスケットボール元日本代表・神保康広さん (2)

今回も、車いすバスケットボール元日本代表・神保康広(じんぼ・やすひろ)さんをゲストにお迎えしてお送りしました。

 

神保さんは、昨年8月にドイツで開催された『2018車いすバスケットボール世界選手権大会』で、イギリス代表チーム(男子・女子)の「メカニック(※)」として参加し、金メダル(男子)と銀メダル(女子)の2つのメダルを獲得しました。

※メカニックは、競技用車いすの修理(試合中にパンクしたタイヤや部品等…)やメンテナンス、選手の要望に合わせてセッティングを変えたり…etc.と、技術的なサポートをするスタッフです。

 

世界選手権と時同じくして、車いすバスケットボール・イギリス代表チームと神保さんが勤めている車いすメーカー・松永製作所は、オフィシャルサプライヤー契約を正式に結んだことが発表されました。

内容としては、競技用車いすの提供と、メカニックスタッフの派遣という形でチームをサポートすることとなり、契約期間は2022 年までの4年間ということです。

 

ビジネスとして「ヨーロッパで日本の車いすを販売していきたい」という思惑があったとはいえ、なぜ “イギリス”だったのか。

すべての始まりは、一昨年、東京で開催された『三菱電機 WORLD CHALLENGE CUP 2017』会場での、ある会話でした。

その年のWORLD CHALLENGE CUP出場のため、来日したイギリス代表チーム。

会場で、たまたまイギリスの選手と会った神保さんは、「車いすに関してどうなの?」と、ふと話を振りました。

聞くと、「実は満足しているわけではなく現状あるものを使って頑張っているよ」という答え。「逆に、なんで日本のメーカーは海外に出てこないんだろうね」と、その選手が続けた言葉に、神保さんは「目から鱗」だったそうです。

(そうか。世界中に日本の車を売りにいっているように、ものづくり日本の技術が世界で通用しないわけがない)

神保さんは、車いすを作ってイギリスの選手に乗ってみてもらおうと思いつき、その場で上司にも相談せずに、採寸をしました。

 

数ヵ月後、乗ってみたいと言った2人の選手の競技用車いす2台を持って、イギリス代表チームの合宿地を訪れました。

実際に乗った選手たちの反応はとてもよく、大変気に入ってくれた様子。

すると、神保さんたちの知らないところで、こっそり、タイムトライアルや、今乗っている車いすとの評価(比較)といったテストが行われたのです。

何度やっても、松永製作所が作った車いすの方が良いという結果に。

コーチたちもすぐに松永製の車いすを受け入れてくれ、次々と「私も乗りたい」「僕も乗りたい」という選手たちが現れました。

そこから、少しずつ話をしていく中で、イギリスチームにとっては2020年に東京(日本)でパラリンピックを控えているし、松永製作所としてはヨーロッパに売りに行きたいという思いがある。

その、両者の思惑が一致して、「一緒にやりませんか」とトントン拍子に話が進み、オフィシャルサプライヤー契約を結ぶことになりました。

 

2月に行われた『2019国際親善女子車いすバスケットボール大阪大会』(大阪カップ)では、イギリス女子代表選手のほぼ全員が、松永製の車いすでプレーしていました。

選手たちからの評判も上々です。

イギリス女子代表のジョイ・ヘイゼルデン選手は、「MATSUNAGAの車いすは、素速く(クイック)動けるし、 回転(ターン)もしやすい」と感想を述べています。

そして、男子代表のキャプテンを務める、フィル・プラット選手は「ワールドクラスのサポートを受けられるのは素晴らしいし、とても幸運だ」と話していました。

 

イギリス代表との契約は2022年までの4年間。

そこには、もちろん2020年の東京パラリンピックも含まれます。

東京大会では、海外のチームが日本製の車いすに乗ってプレーしていることも、きっと話題になることでしょう。

これまでとは違う形で迎える東京パラリンピック。神保さんにとってどんな大会になるのか伺いました。

「個人的にいうと、もう選手を引退しているので、まさか、またそういったところに絡めるようなことがあるとは夢にも思っていませんでした。でもやっぱり、僕は日本人なので、『海外に売りにいくぞ』といいながらも、日本の選手たちを応援しているという部分は強いです。ぜひ、(車いすバスケットボール日本代表)男女ともにいい成績を残してもらえるように、そこの部分も車いすでバックアップさせて頂きたいと思います」

 

そして、その先には、こんな未来像を描いています。

「日本の素晴らしいものづくりというものを世界中に知って頂いて、使って頂いて、国を越えて、国境を越えて、アスリートたちに喜んでもらえるものを供給していけるというのはすばらしいことだと思います。そういう活動を仕事と絡めてやっていけたら、すごくそれは幸せなことです。東京パラリンピックはその通過点になると思います。そこで、こんな日本の車いすがあるんだよっていうことを、たくさんの方に知ってもらえたらいいなと思います」

 

最後に、上をめざして進もうとする方に伝えたい“Going Up”な一言を伺いました。

『 やってみること! 』

車いすバスケットボールの普及活動などで子供たちに伝えている言葉。「できるかできないかは、やってみないとわからないので、まずは勇気を出してやってごらん。そこからスタートだよ」とよく話しているそうです。

自分自身、そう言い聞かせていろいろやってみた結果が、今、いろいろと結びついてきているので、まずはやってみるということが最初の第一歩だと思っていると、この言葉にこめた思いを語っていただきました。

 

次回のゲストは、パワーリフティングの大堂秀樹選手です。

どうぞ、お楽しみに!

 

神保康広さんのリクエスト曲:人にやさしく /  THE BLUE HEARTS

アメリカでへこんでいる時、(歌の中で)「がんばれ!」と言ってくれるこの曲を聴いて元気づけられたそうです。とても大好きな一曲だということです。

2019年3月7日
車いすバスケットボール元日本代表・神保康広さん (1)

今回のゲストは、神保康広(じんぼ・やすひろ)さんです。

 

神保さんは、車いすバスケットボール元日本代表として1992年のバルセロナからアテネまで、4大会連続でパラリンピックに出場されました。

その中でも、特に印象に残っているのは、一番最初に出場した1992年のバルセロナ大会だといいます。

バルセロナ大会といえば、オリンピックのバスケットボール競技でマイケル・ジョーダン擁するアメリカ「ドリームチーム」が出場した大会。

会場となった体育館に行くと、パラリンピックのシンボルマークの下に、うっすらと五輪のシンボルマークが残っていて、(ここでジョーダンもプレーしたのか…)と感動したそうです。

それに、自身初の海外が、バルセロナパラリンピックだったこともあり、想像をはるかに超えた規模の大きさに驚き、貴重な経験になったと振り返りました。

 

日本代表時代のチームメートには、現在、車いすバスケットボール男子日本代表として世界の舞台で戦う及川晋平(おいかわ・しんぺい)HCや京谷和幸(きょうや・かずゆき)AC、藤本怜央(ふじもと・れお)選手もいます。

今の彼らの活躍について、神保さんはこう話します。

「確実に日本は強くなっていると思います。特に、及川HCに変わってから、物凄く理論的に選手たちを率いてチームを作っていて、本当に強くなっています。でも、世界も強くなってるので、なかなか思った通りの結果がついてきていないのが、見ていて歯がゆいというか…もっと行けるはずだと思っていますが、なかなか勝ちきれてないというところが、僕自身も残念だなと思っています。東京2020パラリンピックでは絶対にやってくれると期待しています!」

 

2000年のシドニー大会の前にはアメリカに渡り、障がい者スポーツを支援している財団の研修生として子供達への指導法を勉強したり、マレーシアで普及活動をして、マレーシア代表チームのコーチも経験されました。

ただ、結果として指導者としての道を選ばなかったのは、「自分がどうしてもやりたくなっちゃうから」だと話します。

確固たる哲学のもと自分のスタイルを築くというよりは、競技の普及をしたり、車いすを選手たちに供給するような後方支援的な感じで関わってきたいと思ったそうです。

 

アテネパラリンピックが終わって引退した神保さんは、マレーシアでの活動を経て、11~12年程前に、日本の車いすメーカー・松永製作所に入社しました。

どうして、車いすの製作をしたいと思ったのか。その理由を伺いました。

「ひとつは、僕がバスケを始めた時に、スポーツ用のかっこいい車いすが、(家から)外に出るきっかけになったので、車いすというものに思い入れがありました。あとは、競技者としての視点から車いすを作って、より機能的なものだったり、かっこいいものを選手に供給していけたらいいなと思い、スポーツの車いすを作らせてくださいと会社の門を叩きました」

 

そうして作られた、松永製車いすの大きな特徴は、「セミアジャスタブル構造(座シートの角度や車軸位置などを調整できる仕組)」。

例えば、国の代表レベルの選手であっても、体調や体重の増減、トレーニングによる筋力のつき方によって、車いすのセッティングが変わります。

体に合わせてカスタマイズし溶接された従来の車いすだと、細かい調整ができず、また作り直したり、妥協して乗るしかなかったのですが、この構造により、調整ができるようになります。さらには、上と下でフレームが分割されているため、フレームがしなり、コーナリングの時にトップスピードのまま、きれいに、スムーズに回ることができます。

それだけではなく、成長などに合わせて大きく調整が変えられる「フルアジャスタブル」、そして、プロモデルのような、カッチリ固定される「リジット」の車いす、3種類を供給できるようにしているのは、世界でも松永製作所だけだということです。

 

10代で車いすバスケットボールに出会い、選手、指導者、用具の製作と、神保さんの活動の中心には常に、「車いすバスケットボール」というものがあります。

神保さんにとって、車いすバスケットボールはどういう存在なのか伺いました。

「事故した後、外に出るきっかけになったのが車いすバスケットボールで、もっともっと世界に出ていこうというきっかけも車いすバスケでした。目標を持って乗り越えていこうということも、その中で培ってきたので、漠然とですけど、一生関わっていけたらいいなと思っています」

 

神保さんは、昨年8月にドイツで開催された車いすバスケットボールの世界選手権で、金メダルと銀メダル、2つのメダルを獲得されました・・・

そのエピソードについては、次回、詳しく伺います。どうぞ、お楽しみに!

 

 

神保康広さんのリクエスト曲:ガッツだぜ!! / ウルフルズ

30歳で市役所を辞めて(指導法を学ぶため)アメリカに旅立つ時、開いてもらった壮行会で入場行進のテーマとしてかけてくれた思い出の一曲だそうです。

2019年3月1日
バドミントン・藤原大輔選手 (2)

今回も、バドミントンの藤原大輔(ふじはら・だいすけ)選手をゲストにお送りしました。

 

プライベートでは「島旅」をするのが好きだという藤原選手。

何をするでもなく、「ハンモックでずっと寝ていたい」「重力に逆らわず過ごすのが好き」なんだそうです。

毎日、ハードなスケジュールを過ごす中で、ゆっくり時間を過ごすのがリフレッシュになるということです。

 

藤原選手は、小学3年生でバドミントンを始め、高校2年の時、パラバドミントンに出会い、初めて出場した大会で準優勝。高校3年生の時には日本代表として世界選手権(2011年)に出場して、シングルス、ダブルス、ミックスダブルス、団体の4種目すべてで銅メダルを獲得しました。

ご自身にとって初めての海外が(その世界選手権が開催された)グアテマラで、試合以前に「日本との違いというのをすごく感じた」といいます。

大会については、初めて出場した大会で銅メダルを獲得したとはいえ、当時はまだ世界的にも選手層が薄く、高校生だった自分が銅メダルを獲れたことで、「(レベルは)こんなものなのかな」という正直な気持ちと、それでも優勝はできなかったという点では「やっぱり上には上がいて、自分では想像していなかった世界というものを感じさせてくれた」という、両方の気持ちがあったと語りました。

 

特に印象に残っている大会として挙げたのは、2014年に韓国で行われたアジアパラ競技大会。

2011年から大会に出始めて3年程経った頃に出場した大会でしたが、初めて1回も勝てずに終わったのです。「世界の壁の厚さを痛感した大会」だったと振り返りました。

特に、海外選手たちの“大きい大会に対する意気込み”から学ぶものが多かったといいます。

それまで、大きい大会になると緊張してしまい、良い時でいつも通り、だいたいは少しパフォーマンスが下がってしまいがちだという藤原選手。

海外の選手たちは「ここが大事という大会で、同じじゃない」と言い、プレーもふだんと全然違って、100%、120%、大会に向けて上げてくるので、そういう点を学ばなければいけないと思ったそうです。

 

バドミントンは、2020年の東京大会からパラリンピックの正式競技として採用されます。

自国開催ということで、プレッシャーはかかると思いますが、正式競技に決まったことで、パラリンピックというものが「強い目標になった」と藤原選手は力強く話します。

ただ、バドミントン競技では、パラリンピック出場において「開催国枠」がなく、世界各地で開催される国際大会での結果によって与えられるポイントが出場権獲得に大きく影響します。

今年はとてもとても重要な一年。

「今はバドミントンのことだけを考えて、2020年に金メダルを獲るために行動の選択をしていくことが大事」と話す藤原選手は、闘志にあふれています。

「東京2020パラリンピックでもちろん金メダルを獲りたいですけど、出場するためにはハードルがあります。もう僕のパラリンピックは始まっています。まずは、出場権を獲得できるように、目の前の大会を、ひとつひとつ頑張っていきたいと思います。一番最初の大会が3月の下旬から始まるので、そこが僕のスタートになります」

 

もうすぐ、大事なスタートの時を迎える藤原選手。

最後に、上をめざして進もうとする方に伝えたい“Going Upな一言”を伺いました。

『貫徹精神』

常に、大事だと思っている言葉のひとつ。藤原選手が卒業した高校の校訓です。何事も中途半端な終わり方をせず、貫いた上で結果を得るという思いが込められています。

 

 

次回は、車いすバスケットボール元日本代表・神保康広さんをゲストにお迎えしてお送りします。

どうぞお楽しみに!