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2017年12月13日
陸上・高桑早生選手 (1)

今回のゲストは、義足のスプリンター・陸上の高桑早生(たかくわ・さき)選手です。

 

11月29日、東京2020パラリンピック開幕の1000日前となったこの日は、日本各地で記念イベントが開催されました。

東京スカイツリータウンでは、東京2020パラリンピックカウントダウンイベント『みんなのTokyo 2020 1000 Days to Go! 』のセレモニーが行われ、高桑選手はアスリート代表として出席しました。(※写真向かって一番左が高桑選手)

 

他の競技からは、(※写真 高桑選手を置いて左から)バドミントンの豊田まみ子(とよだ・まみこ)選手・車いすバスケットボールの古澤拓也(ふるさわ・たくや)選手・水泳の一ノ瀬メイ(いちのせ・めい)選手・柔道の正木健人(まさき・けんと)選手が登壇し、『1000 days to go! わたしの参加宣言』と題して東京2020大会への意気込みが紹介されました。

 

高桑選手の『わたしの参加宣言』は “すべての人へ感動という東京土産を” 。

高桑選手にとっての“東京土産”はメダルを意味しており、東京2020大会でメダルを持って帰りたいという思いが込められています。

 

高桑選手が陸上を始めたのは、高校1年生の時。

中学1年で義足の生活になり、それまでテニスやいろいろなスポーツをやっていましたが、高校に入学して環境が変わる中で何か新しいことを始めてみたいと思ったそうです。

その頃、たまたま義足で陸上をやっている人がまわりにいて、(競技用義足で走るってすごくかっこいい、自分も挑戦してみたい!)と思い、陸上競技部に入ったのがきっかけとなりました。

 

パラスポーツでは、障害の種類や度合いによって「クラス分け」されているのが特徴のひとつでもありますが、陸上は特に細かくクラス分けされています。

高桑選手のクラスは『 T44 』

陸上はトラックとフィールド競技に分かれますが、このアルファベットのT はトラック競技(走る動作が入る種目)を意味します。数字の部分は障害を表しており、40番台は切断・欠損の選手たちのクラスであること、一の位は障害の程度を表しますが(数字が小さい程障害が重い)44となると片方の膝下切断や欠損、主には片足(下腿)義足や片足欠損のクラスとなります。

 

高桑選手の場合は、膝から下の(下腿)切断ということで、ブレード(板バネ)と呼ばれる競技用義足を履きます。
L字型の板の部分はカーボンとグラスファイバーの合成繊維でできており、足を入れるソケットと呼ばれる部分は樹脂とカーボンを注型して作られます。選手それぞれの足のサイズや形に合わせて作られるため、その選手しか履くことができません。

耐久性は板の部分でだいたい1~2年。積層で(繊維を重ねて)できているため、1年も経つと剥離したり剥がれて硬さが変わってきてしまい、パフォーマンスに影響が出るんだそうです。

 

初めて競技用義足を間近で見て持ってみた鈴木亮平さんの第一声は「重い」

板の部分は思ったよりガッと反りが入っていて面積も大きくみえたというのが鈴木さんの印象。カラーリングや素材感、カーボンの細かい模様も入っていて“かっこよかった!”と感想を述べていましたね。

ぜひ、リスナーのみなさんも競技場に足を運んで、“かっこいい”競技用義足に注目してみてくださいね!

 

※高桑早生選手のリクエスト曲: 7 colors / Acid Black Cherry

遠征先などで、ワクワクしたい時によく聴く曲。海外に行って寂しくなったり、試合に向けて自分の気持ちを奮い立たせる時に音楽の力をよく借りるそうです。

 

次回も、陸上の高桑早生選手をゲストに迎えてお送りします。お楽しみに!

2017年12月4日
ハンドサイクリスト・花岡伸和選手 (2)

ハンドサイクリストの花岡伸和(はなおか・のぶかず)選手を迎えてお送りした第2回目。

花岡さんは現役選手として活躍する傍ら、後進の指導や競技の普及活動にも務めていらっしゃいますが、今回はその「指導者」としての顔に迫りました。

 

昨年、早稲田大学の大学院で『エリートコーチング』(1年間の社会人コース)を専攻。

運動生理学や動作解析をするためのバイオメカニクスなどコーチングに必要なことを学びました。

バイオメカニクスとは、映像を撮って、そこからいろいろな数値を導き出してデータ化していくもの。具体的には、関節の角度や動いた範囲というものを数値化していく技術等もその中に含まれます。

例えば、選手が調子を崩した時にフォームが変わってしまっていないか、というようなことをチェックするにはとても役立つ技術です。パフォーマンスをしていて何か違うというのはわかっても、それが数字になって表れると説得力があります。

 

花岡さんは陸上の現役時代、自分自身、感覚だけでやってしまっており、さらに強くなるためにはこのままではいけないのではと思ったそうです。

もちろん優れた選手は感覚も優れているけれど、そこだけに頼っていると、次の選手に何か伝えようと思った時に難しい、優れた選手が何をしているのかというのを他の選手が見てわかるような知識を身に着けるべきなのではないかと、その必要性を感じていました。

そうして、コーチングのためのいろいろな知識を身に着けて、実際に指導し始めると、その重要性が身に染みてわかるようになりました。

感覚的な言葉で伝えても選手がピンとこない時、パフォーマンスを数値化したり“見える化”したりしていくことで、選手の理解をより促すことができます。スポーツは科学なんですね。

 

花岡さんは、車椅子陸上・若手のホープ、鈴木朋樹(すずき・ともき)選手の指導をされていますが、現在23歳の鈴木選手と出会ったのは(鈴木選手が)小学5年生の時。

いまや“クールでかっこいいお兄さん”になった鈴木選手ですが、小5の時もクールで無口な子だったと印象を語ります。

鈴木選手は、子供の頃からスポーツをやっていましたが、車いすバスケットボールを含め、なんとなくチームスポーツが合わないと思っていたそうです。そんな時、あるレースで出会い、鈴木選手のお母さんから「うちの子を教えてもらえませんか?」と言われたそうです。

花岡さんはまだ現役だったので、積極的に教えるのは無理だけど「アドバイス程度なら…」となったのが始まりでした。

 

それから月に1~2回、トレーニングを一緒にやるようになり、まずは競技用車いすといった道具の使い方から入っていきました。初めの頃、時には競技以外の生活面での指導をすることもあったそうです。

鈴木選手からは『二人目のお父さん』と言われているという花岡さんは、親心みたいな目で見ているところもあるといいます。

当然、指導者としては、記録が伸びてどんどん速く走れるようになっていくのは嬉しいことですが、それよりも一番うれしいのは「鈴木選手が、自分の人生を自分で決断して進めていっている」ということ。

親に甘えていた鈴木少年が、進学だったり就職だったり、自分自身の人生について考えて決断できるようになっていっているのがすごい、と目を細めて話します。

コーチングとは、“スポーツを利用して人を育てること”だと考える花岡さんは、競技をする上で速くなることや勝つことはものすごく大事なことだけど、それ以上に大事なことがあるんだという思いを、選手たちにも持ってほしいと思いを語りました。

 

最後に、花岡選手が上をめざして進もうとする方に伝えたい『“Going Up”な一言』を伺いました。

『志(こころざし)あれば道あり』

「自分自身の意志さえあれば、自分の後ろに道ができる。自分の前に道はなくても、自分自身が道を作っていけばいい」という思いが込められています。

これを胸にこれからも頑張ります!と力強い言葉を残してくれました。

 

 

※花岡伸和さんのリクエスト曲: YELL~エール~ /  コブクロ

競技を始めて、本格的にプロ活動していこうと思った時に背中を押してくれた曲。

自分が今までいた環境から全く新しい環境に飛び出す、その時やっぱり誰もが怖いと思う。コブクロがメジャーデビューしたこの曲には、次の新しい世界を目指して頑張るんだというメッセージが入ってると感じて、自分もやってみようと思ったそうです。

 

 

次回のゲストは、陸上の高桑早生選手です。お楽しみに!

2017年11月30日
ハンドサイクリスト・花岡伸和選手 (1)

今回のゲストは、ハンドサイクリストの花岡伸和(はなおか・のぶかず)選手です。

 

ハンドサイクル(ハンドバイクともいう)というのは、簡単にいうと手漕ぎの自転車のことで、“クランク”(足漕ぎ自転車のペダルがついている部分にあたる)を手で回して進みます。

障害の度合いによりクラス分けがあり、ハンドサイクルに乗る時の姿勢は、正座をして乗るタイプと仰向けに寝そべって乗るタイプの2種類に分かれます。(花岡選手は寝そべって乗るタイプのクラスです)

レーサーという競技用の車いすがありますが、そちらは陸上競技のもので、ハンドサイクルは自転車競技になります。

コース次第では時速70kmから80km出ることもあるそうですが、車いすマラソンの場合、レーサーはブレーキの性能がそんなに高くないため、スピードが出た時に「止まれないという怖さ」があるそうですが、ハンドサイクルの場合は、ブレーキをかけたら止まれるという安心感があるので、車いすほどの恐怖感はないといいます。

 

花岡選手は2013年にハンドサイクルに転向しましたが、それまでは車いすの陸上選手でした。

17歳の時に交通事故により車いす生活になりましたが、何かスポーツをしたいと思い、昔から球技は苦手、泳ぐのもだめ、そしたら走るくらいしかないなと思い陸上を選んだそうです。足で走るのが好きだったという花岡選手は(足では走れなくなったけど、腕で走ればいいや)と思って、車いすマラソン競技を始めることになりました。

 

2002年に1500mと車いすマラソンで当時の日本記録を樹立、2004年には競技を初めて10年目にして初めてのパラリンピック出場(アテネ大会)を果たしました。

アテネパラリンピックではマラソンで日本人最高位となる6位に入賞し、初出場にしてはいい結果だったと手応えを感じていました。

ところが、2008年の北京大会では代表選考で落選。

メダル獲得を目指し走り続けたアテネから北京までの4年間は「何をやっても結果が出ず、何もうまくいかなかった」時期だったといいます。もがき苦しみ、もがき苦しみましたが、結局、北京に行くことはできませんでした。

 

「正直、モチベーションはなくなった」という花岡選手は一時は引退も考えたそうですが、再び競技へと奮い立たせたのは、当時2歳だったお子さんの存在でした。

もし自分が北京で辞めてしまったら、アスリートとしての記憶が子供に残らない。

なんとしても強いおやじの背中を見せたい、それが、次のロンドンまでの4年間のモチベーションとなりました。

 

北京の落選後、もう1回盛り返してやろうとトレーニングに励んでいる時に考えていたのは、ロンドンパラリンピックを最後にしようということ。“どう引退すればいいのか”というのが、2008年から2012年までのテーマだったといいます。

引退には選手それぞれいろいろな形がありますが、花岡選手が出した答えは「一番いい時に辞めたい」。

ロンドン大会で自分自身の力を出し切って満足できたら辞めてよし!と決め、1500mで決勝に進出するか、マラソンでアテネ大会の6位という成績を上回る、どちらかの条件を満たせばOKという条件を自分につけました。

 

そうして臨んだロンドンパラリンピック。

1500mでは残念ながら自分に与えた条件はクリアできませんでしたが、マラソンは5位。

世界との差をひしひしと感じ悔しさはありましたが、先頭集団でゴール。おそらくこれが自分にできる最大限のことだなと思うことができた、スッキリしたマラソンのフィニッシュでした。

 

“スッキリした引退”の後に、ハンドサイクリングに転向した花岡選手。

再びアスリートとしてチャレンジしようと思ったのは、「下心です(笑)」

ロンドン大会の後、東京2020パラリンピックの開催が決まり「花岡、次も出るんだろう」という周囲の期待が数多く寄せられたそうです。ロンドンで応援してくれた方々の声でした。

ただ、もう陸上からは引退をして陸上選手としてパラリンピックは目指さないと決めていたので、他の競技をということで、以前からクロストレーニングとして取り入れていたハンドサイクリングに転向することを決断しました。

そうして今、花岡伸和選手はハンドサイクリングで“東京”を目指し走っています。

 

 

※花岡伸和選手のリクエスト曲:風が吹いている  / いきものがかり

“スッキリ引退した”ロンドンパラリンピックの時の思い出の一曲。

 

 

次回も引き続き、花岡伸和選手をゲストにお迎えしてお送りします。お楽しみに。