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2017年8月15日
車いすバスケットボール・藤本怜央選手 (2)

車いすバスケットボール・藤本怜央選手をゲストにお迎えしてお送りした後編。

藤本選手は男子日本代表として、2004年のアテネ大会から、北京、ロンドン、リオデジャネイロとパラリンピック4大会連続出場を果たし、2013年からは男子日本代表のキャプテンも務めました。

これまでに出場したパラリンピックの中で一番 “印象に残っている” 大会は、ロンドンだと言います。

 

ロンドンパラリンピックでは「かなりメダルを獲る自信があった」という藤本選手。しかし日本は予選ラウンドを通過できず、9位という結果に終わります。

その4年前、北京大会では予選ラウンドを通過し、過去最高の7位という結果を残していますが、それは藤本選手よりも年齢が一回り上の京谷和幸さん(現・男子日本代表アシスタントコーチ)をはじめとする大ベテランの先輩方のフォローがあって獲得できた7位だったのです。

北京大会後、その先輩たちが引退をしたりして代表メンバーからごっそり抜け、自分が日本代表の中心中の中心となって臨んだ大会がロンドン。そこで予選ラウンドを通過できず結果を出せなかった…というのが理由のひとつ。

 

そして、もうひとつの理由には、父親とのこんなエピソードがありました。

藤本選手のご両親は、アテネ大会からずっと現地の会場に応援にかけつけ、その度に「よく頑張った」と声をかけてくれたそうです。

ところがロンドン大会が終わった時、父親の口から出たのは「よく頑張った」ではなく「何やってるんだよ」という厳しい言葉。

「わざわざロンドンまで来て、日本が負ける姿を見てよかったって喜ぶやつはいないよ。頑張っているかもしれないけど、結果を出さなかったら頑張っているとは言いません」と怒られたそうです。

頑張って来たのに父親にそう言われてとても腹が立ったそうですが、その時藤本選手はある考えに至ります。

(日の丸を背負って戦うって、“自己満足”じゃないんだ)

 

『頑張ったね』という言葉をもらいたくてやるのはナンセンスすぎる。自分が満足することではなく応援してくれる人が満足する結果を残すことが全てで、そのために自分が満足した努力ではなくて、見ていた人たちが満足する努力を僕はしなければいけない。

そう思ってからは“楽しむこと”をやめ、まずはリオ大会までの4年間『楽しいことと苦しいことの選択肢があったら全部苦しい方を取ってやろう』と思って、ひたすら苦しい道を歩きました。

そのような自分の真価、そしてバスケットへの向き合い方を一気に変えるターニングポイントとなったのが、ロンドンパラリンピックだったのです。

「いい思い出は何もない」けど 藤本選手にとって “印象的”な大会となりました。

 

3年後の東京2020パラリンピックでの目標は、金メダル

メダル獲得は日本代表として戦う一番の大きな責任であり、応援してくれる人たちが一番求めて、期待していることなので、それを実現するための選手でありたいという藤本選手。

実は、2020年の東京開催が決まった瞬間、喜ぶ反面、かなりヤバイなとも思ったそうです。

まさか自分が現役の時に自国でオリンピック・パラリンピックが開催されるなんて・・・これはもう何がなんでも結果を出さなければならない状況が完全に作られ、逃げられないというのと同時に、最高の舞台が整うというのも事実。

「最後…まぁ、最後になるかはわからないですけど、37歳の年に(東京2020パラリンピックの)決勝で勝って金メダルをかけてもらって、思い切り嚙みちぎりたいなと思います」と決意を述べました。

 

最後に、上を目指して進もうとする方に伝えたい『Going Upな一言』を伺いました。

『努力なくして成功なし』

成功は才能だけでは絶対につかむことはできない。才能を持った人が努力をしたら間違いなく化け物になると思う。自分には才能がそんなにない分、努力をする才能を持つ “努力の天才”になりたいと思っている。人生を振り返った時に『このタイミングで僕は成功したんだ』と思えるような努力を常にしていきたいなと思ってこの言葉をいつも胸に秘めています、と語ってくれました。

 

 

8月31日から9月2日まで東京体育館で開催される車いすバスケットボールの新たな国際大会

『 三菱電機 WORLD CHALLENGE CUP 2017 』

この大会に藤本怜央選手は日本代表として出場します。

全勝優勝!という頼もしい目標を語ってくれた藤本選手、そして新生男子日本代表をぜひ会場で応援しましょう!

 

 

藤本怜央選手のリクエスト曲: All I Do Is Win /  DJキャレド

意外にもトレーニングが大嫌いだという藤本選手が、自分を駆り立て気持ちをあげる時に聴く曲、つらいトレーニングも「やるしかないな」と思う曲。

(※鈴木亮平さんもトレーニングは嫌いだそうですが…この曲が気に入ったようで、これを聴きながら筋トレやろうと思います!と言っていましたよ。笑)

 

次回のゲストは、車いすバスケットボールの千脇貢選手です。お楽しみに!

2017年8月8日
車いすバスケットボール・藤本怜央選手 (1)

今回のゲストは、車いすバスケットボール・宮城MAXの藤本怜央選手です。

藤本選手は男子車いすバスケットボール日本代表として、パラリンピックにはアテネ(2004)・北京(2008)・ロンドン(2012)・リオ(2016)と、4大会連続で出場しました。

日本の絶対的エースとして活躍し、2013年からは男子日本代表のキャプテンを務めています。

 

同じ年生まれ(1983年)ということもあり、藤本選手に会うのをとても楽しみにしていた鈴木亮平さんが、会ってまず驚いたのが藤本選手の腕と指の太さ!

鈴木さんはジムで鍛えていて自信があったようですが、藤本選手と比べてみると…その差は明らか。指の太さも手の厚みも鈴木さんの2倍はありました。

車いすバスケをやり始めて、車いすを握る頻度が増えたことで指が太くなっていったそうです。

(余談ですが、番組オープニングトークでもあったように、この日鈴木さんは浴衣姿で藤本選手をお迎えしました・・・笑)

 

藤本選手が車いすバスケを始めたのは大学生の頃。

それまでは義足を履いて(立って)バスケをやっていましたが、高校生の時に陸上選手として出場した全国障害者スポーツ大会で全国レベルの車いすバスケットボールに魅せられました。

やるなら高いレベルのチームでやりたいと、その大会でたまたま見ていいなと思った仙台市のチームに入るため東北の大学に進学。大学に入って調べると、仙台市に宮城MAXというチームがあることを知り、そこから藤本選手の車いすバスケ人生が始まりました。

これまでに日本選手権では宮城MAXの9連覇に大きく貢献し、個人としてはMVPに4回、得点王に12回輝いています。

2014-2015シーズンからはドイツに渡り「BG BASKETS HAMBURG」というクラブチームでプレーしていますが、どうしてドイツに行こうと思ったのか、その思いを伺いました。

 

車いすバスケは2年おきに、パラリンピックと世界選手権という大きな大会がありますが、ロンドンパラリンピックが終わり、リオ大会に向けてチームが動き出した2013年に藤本選手は男子日本代表のキャプテンを任されることになりました。

日本代表は2年間でチームを作り、リオの前にまず世界選手権で結果を出そうと、ベスト4を目標に大会に臨みましたが、思うような結果を残すことができませんでした。

 

2014仁川男子世界選手権、舞台は韓国。

この大会で日本は韓国と2回対戦しましたが、予選ラウンドで日本は韓国に敗れます。

藤本選手はその時はまだ、チームを作り始めたばかりでたまたま負けてしまっただけで次は勝てるだろうと思っていたそうです。しかし次の試合でも韓国に負けてしまいます。

それまで韓国は日本にとって「余裕で勝てる相手」でしたが、実はロンドンパラリンピックへの切符をかけた試合では韓国に辛うじて勝っていたのです。

韓国が力をつけてきているのをわかっていながらそこで負けた事実に向き合えず、3連敗してやっと藤本選手は「やばいな」ということに気付いたと言います。

日本代表の先輩方がそれまでずっと勝ち続けていた韓国に負けてしまったのと、その負けがよりによって自分がキャプテンの時だったということで、かなりの危機感を感じました。

 

4年で考えていたリオまでのプランが崩れ、あと2年でパラリンピックに出るチームを作らなければいけない・・・その時、藤本選手は “自分が弱いんじゃないか”と思ったそうです。

(今まで日本にいながら世界を見ていたけれど、日本から出て(常に)勝たなければいけないという環境に自分の生活拠点を置いた上でもまれてみたら何か変わるかもしれない)

自分よりも能力の勝る人たちがどういうシーズンを送っているのか、自分が知らなかったものをちゃんと見たい。勝つために足りない『課題』を見つける。

そのような思いから、世界選手権の期間中にドイツ行きを決断しました。

 

世界選手権での悔しい負けから1年3か月後。

リオパラリンピック出場をかけた予選で日本は韓国に2勝して見事雪辱を果たし、パラリンピックの切符を手にしました。

 

 

藤本選手のリクエスト曲 『  Swallow Dive / 降谷建志 』

2015年に日本(千葉)で行われたリオパラリンピックAOZ予選の時に会場で流れていたのがこの曲。Dragon Ashが好きでこの曲も知っていたので、(あ、流れている)と思い口ずさんでいると、気分が落ち着き、そして気持ちが高ぶり、集中している心の中にすっと入ってきた、という思い出の一曲です。

 

次回も、車いすバスケットボール・藤本怜央選手をゲストにお迎えしてお送りします。

どうぞお楽しみに!

2017年8月2日
車いすバスケットボール・古川諒選手(2)

車いすバスケットボール・埼玉ライオンズの古川諒選手をゲストに迎えてお送りした第2回目。

まずは、車いすバスケットボールとの出合いについて伺いました。

 

古川選手が車いすバスケットボールを知ったのは小学5年生の頃、そして高校生に入ってから本格的に練習を始めました。

古川選手の車いすを作ってくれた業者の方が車いすバスケをやっていて、当時入院していた病院の隣にある体育館で車いすバスケットボールのチームが練習しているから行ってみない?と誘われて見に行ったのがきっかけでした。

初めて見た時は、日常の車いすとは全く違うように(競技用の)車いすを動かしていたことに驚き、さらにバスケをやるなんて難しそうだなと思ったそうです。

実際やってみると、シュートが全く届かないし、フリースローなんていつになったら届くんだろうと思ったこともあり、できないことが悔しかったと言います。

だからこそ続けてみようと思い、うまくなればなるほど悔しいことも増えていくけど、それをひとつずつできるようになりたいと思うようになりました。

そうして、現在は埼玉県を拠点とする車いすバスケットボールのクラブチーム・埼玉ライオンズの一員として日々練習に励んでいます。

 

茨城県在住ということでチーム練習がある日は、茨城から埼玉まで通っていますが、練習が終わって家に帰り、ごはんを食べたりお風呂や洗濯などを済ませると夜中になってしまうそうです。

そういう時の古川選手の楽しみはラジオ。

高校生の頃からラジオをかけっぱなしにして寝るのが習慣だそうで、中でも一番好きな番組が『オードリーのオールナイトニッポン』なんだそうです。

 

古川選手は8月5日(土)と6日(日)に愛知県豊田市のスカイホール豊田で開催される

『全国ジュニア選抜車いすバスケットボール大会 in 愛知』に出場します。

この大会は、全国の25歳以下の選手、または30歳以下で車いすバスケットボールの経験が3年未満の選手たちが出場する大会で、各地域ブロックごとにチームが構成されます(女子選手は「女子チーム」として出場します)。

ふだん違うクラブチームに所属する選手同士が同じチームとして出場するということで、チーム作りでは全員でコミュニケーションをよくとることを意識しているそうです。

古川選手は関東選抜チームとして出場しますが、ここ数年は九州選抜と優勝の座を争っており、今年も優勝を目標に掲げ大会に挑みます。

「若い選手たちのアグレッシブなプレーが魅力の大会です。若くて荒削りな選手に注目してほしいです!」と大会の見所を語ってくれました。

現在、日本代表として活躍する選手たちの多くも、かつてはこの全国ジュニア選抜大会に出場しています。ぜひ、未来の日本代表の勇姿を見に会場に足をお運びください!

 

今後の目標は「埼玉ライオンズで日本一になること!」という古川選手に、上を目指して進もうとする方に伝えたい『Going Upな一言』を伺いました。

七転八起 (七転び八起き)

練習や試合で失敗するとすごく落ち込んで、考えすぎてしまう癖があり、ずっとその失敗が頭の中を巡ってしまう。次の練習の時にはリベンジして前の失敗を繰り返さないようにする。できなかったことをひとつでも多くできるようにする。何度転んでも起き上がろう!という思いが込められています。

(収録こぼれ話:古川選手の色紙の時を見て、鈴木亮平さんは「かわいい字だね」と言っていました)

 

古川諒選手のリクエスト曲: メトロ / SHISHAMO

(※練習で失敗して落ち込んだ時に、また頑張ろう!と思わせてれる曲だそうです)

 

 

次回のゲストは車いすバスケットボール・藤本怜央選手です。

どうぞお楽しみに!!