TV・映画・舞台で活躍中の俳優・鈴木亮平が、車椅子バスケットボールを中心に、様々な障がい者スポーツの世界と出会い、触れあい、感じたことを語るラジオ番組です。
障がい者アスリートや関係する方々にお話を伺ったり、リスナーの皆さんからのお便りを紹介することで、障がい者スポーツが盛り上がり、鈴木亮平がリスナーの皆さんと一緒に、今よりひとつ上に、“Going Up!”することをめざします。

放送局・放送日時

ニッポン放送
土曜日 22:00~22:30
STVラジオ
日曜日 17:30~18:00
東北放送
日曜日 12:30~13:00
北陸放送
土曜日 17:00~17:30
東海ラジオ
土曜日 12:00~12:30
朝日放送
日曜日 12:30~13:00
山陽放送
土曜日 16:30~17:00
中国放送
日曜日 17:00~17:30
九州朝日放送
日曜日 8:30~9:00

鈴木 亮平 すずき りょうへい

出身地:兵庫県
生年月日:1983年3月29日
身長:186cm
最終学歴:東京外国語大学(英語専攻)卒業
特技:英会話(英検1級・米留学経験有)、テーブルマジック、裁縫(洋服リメイク等)

新行 市佳 しんぎょう いちか

1992年11月9日、東京都生まれ秋田県育ち。
2015年4月からニッポン放送アナウンサーに。2015年10月~3月放送の車椅子バスケットボールのラジオ番組のMC起用をきっかけに、各大会・代表合宿等への取材を重ね、人脈と経験を積んだ。この実績から、リオの車椅子バスケ密着のアナウンサーとして現地からレポートした。

坂本 梨紗 さかもと りさ

1989年12月16日生まれ 岐阜県出身/ 元看護師
埼玉県内の総合病院に看護師として2年間勤務し、看護の基礎を学ぶ。その後、特別養護老人ホームや美容クリニックでの看護業務を経験。2014年11月に看護師を辞職し、翌年の1月から3月に行われたニッポン放送主催の「プロフェッショナルアナウンスセミナー」への参加をきっかけに本格的に声の仕事の道を志す。現在、ニッポン放送「垣花正あなたとハッピー!」 金曜日の中継コーナーレポーターを担当。

三菱電機 Going Upキャンペーン 全国キャラバン情報

全国のラジオ局とタイアップして、車椅子バスケットボールの体験イベントを開催します!ぜひご参加ください!

次回は「東海ラジオ 大感謝祭2017『進化するラジオ』」での開催です!

日時:

2017年9月17日(日) 9:00~19:00

2017年9月18日(月・祝) 9:00~19:00

場所:

名古屋市中区栄 オアシス21銀河の広場
サイトはこちら
2017年9月17日
パラアイスホッケー・安中幹雄選手 (1)

今回のゲストは、パラアイスホッケーの安中幹雄(あんなか・みきお)選手です。

「パラアイスホッケー」は、長年「アイススレッジホッケー」として親しまれてきた競技で、日本では今年7月に名称が変更されました。
パラリンピック競技の中で唯一、体へのアタック(ボディチェック)が認められており、『氷上の格闘技』とも呼ばれる非常に迫力ある激しいスポーツです。

 

スレッジ(=そり)という名前からもわかるように、スケートの刃を二本つけた専用のそりに乗ってプレーします。

長さ1m以内のスティックを両手に2本(片手に1本ずつ ※ゴールキーパーは1本のみ)持って、“ピック”というギザギザの金属の刃がついた側で氷をかき前に進み、下の方にスティックを持ち替え、ブレード部分でパックを操りながらシュートを打ちます。ドリブルをする際には中間くらいを持ったりします。

スティックを持つ安中選手の手はマメだらけ。そして、腕に残る古傷は、スティックのピック部分でさされて負った傷だそうで、防具をつけていてもその隙間にスティックが入り込み、肌を傷つけ怪我をしてしまうこともしばしばあるそうです。

 

リンクの広さや基本的なルールは一般のアイスホッケーとほぼ一緒ですが、試合時間はアイスホッケーが20分×3ピリオドなのに対して、パラアイスホッケーは15分×3ピリオドの45分で行われます。

選手交代は1~2分ごとに頻繁に行われ、交代できる回数の制限はありません。いかにうまくチェンジできるかということも試合の流れに大きく関わってきます。

また、多くのパラスポーツにある障害の度合いによる「クラス分け」のルールは、パラアイスホッケーにはありません。

 

安中選手が感じるパラアイスホッケーの魅力は、早いパス回しからシュートを決めるゴールシーン。ゴールキーパー(ゴーリー)の立場からするとナイスセーブ。

サッカーなどと同じように、『1点』が大事な競技なので、その『1点』を取り合うのが魅力だといいます。

 

東京生まれ、東京育ちの安中選手がパラアイスホッケーに出合ったのは1998年、26歳の時。

長野パラリンピックでアイススレッジホッケー(当時)を見た友人の勧めで体験会に行ったことがきっかけでした。

それまで安中選手は、義足を履いてゴルフばかりやっていて、障がい者スポーツやパラリンピックということは全く考えておらず、自分には関係ないものだと思って過ごしていたそうです。

か弱い人たちの集まりだろう…というイメージを持っていましたが、体験会でその考えが一気に覆されます。

みんな腕っぷしが太くて、“すごい”人たちの集まり。

体験会の最後にはミニゲームが行われ、ゴール前に立っている安中選手にどんどんパックが来て、「シュート打て!シュート打て!」とおだてられ、ゴールを決めると「うまいじゃないか!」と褒められて、パラアイスホッケーを始めることにしました。

 

体験会の翌週さっそく練習に参加した安中選手は、体験会とは全く違う雰囲気に戸惑ってしまいます。

始めたばかりなのに「声を出せ!」「気合いを入れろ!」といきなり言われ、26歳の社会人になって今更「声を出せ」とかいわれるなんて嫌だなぁと思ったそうです。

しかし、気づけば(強化合宿が行われる)長野にも行くようになり、自然とパラリンピックを目指すようになっていました。

 

その後、パラリンピック日本代表としてトリノ大会(2006)とバンクーバー大会(2010)に出場し、バンクーバーパラリンピックでは、優勝候補だった地元・カナダを準決勝で破り、銀メダルを獲得しました!

その時の思い出の曲が『 BLESS / L’Arc~en~Ciel

くじけそうになった時、この曲を聴いて自分を奮い立たせていたそうです。

 

パラアイスホッケー日本代表は、来年の平昌パラリンピック出場をかけて、10月8日からスウェーデンで開催される最終予選に臨みます。

安中選手も日本代表としてこの大会に挑みます。日本から熱いエールを送りましょう!

 

次回も引き続き、安中幹雄選手をゲストにお迎えします。お楽しみに。

2017年9月11日
柔道・藤本聰選手 (2)

※ニッポン放送では、ナイター中継延長のため放送がありませんでした。この回の内容は、こちらから聴くことができます。

********************************************

 

柔道界のレジェンド・藤本聰選手を迎えてお送りした第2回目。

5歳で柔道を始め、健常者と一緒に練習に励んでんできた藤本選手が、視覚障害者柔道を知ったのは徳島県立盲学校の理学療法科(当時)に通っていた時でした。

視覚障害者柔道を始めてすぐ、理学療法科3年の時に出場した自身初の国際大会が1996年アトランタパラリンピック。その大舞台で、金メダルという快挙を果たしました。

その後、シドニーとアテネ大会でも金メダルを獲得し3連覇達成、北京大会では銀メダル、とパラリンピック4大会連続でメダルに輝きました。

 

ところが、ロンドンパラリンピックでの金メダル奪還を目指して臨んだ2012年5月の代表選考会で廣瀬誠選手に敗れ、パラリンピック出場を逃してしまいます。

「あぁ、パラリンピックに出れんのや・・・」

 

日本で廣瀬誠選手のロンドンパラリンピック速報を見ていた藤本選手。

廣瀬選手の1回戦の相手は、藤本選手が北京パラリンピックの決勝戦で負けたアルジェリアのラムリ選手でした。廣瀬選手がラムリ選手に勝った瞬間、藤本選手の頭には『引退』の文字が浮かびます。

(廣瀬選手が金メダルを獲ったら引退しよう。世界一の選手に負けたんだったら納得いくわ…)

廣瀬選手は次の準決勝で中国の選手に敗れ、3位決定戦ではベネズエラの選手に投げられ、メダルを逃します。

藤本選手は(おまえ、いい加減にせぇよ。辞めるに辞められんじゃないか。しょうがないな…)と、一度は本気で腹をくくった引退を撤回、現役続行を決めました。

 

ただ、リオ大会までの道のりは簡単なものではありませんでした。

リオ大会出場枠をかけた試合でなんとか枠を確保したものの、こんなに苦戦したのは初めてのことで、若くてセンスのある選手が育ってきているのを見て、このままの練習では絶対に負けると思ったそうです。

リオまであと1年、1%でも勝てる確率を高めるために練習環境を変え、手首の怪我を補うために寝技の強化のためブラジリアン柔術をトレーニングに取り入れました。

それが功を奏し、リオ大会での3位決定戦では寝技で攻めて攻めて攻めまくり、銅メダルを獲得。

このままではだめだと思い、いろいろなことを始めた事が、メダルへと繋がりました。

 

そんな藤本聰選手が、上を目指して進もうとする方に伝えたい『Going Upな一言』は

「継続は信なり」

「継続は力なり」と言うけれど、続けたら力がつくのは当たり前の話。では、続けるというのはどういうことか。

念”を持つこと=自分は絶対にやりきる、どんな批判にも負けない強い気持ちが大事。そして、信念の「念」は今の心と書くように、今の心を信じなければ続けることはできない。それを続けることによって“自”がでてくる。できなかった事ができていき試合で結果が出ることによって、自分がやってたことが間違いではなかったという“確”に変わる。そして最後に人から“頼”されるようになる。「継続は信なり」という言葉に全部集約されているーーー。そういう思いが込められている言葉です。

 

東京2020パラリンピックまで3年。

今やるべきことをきっちりやって、未経験を経験していきながら、長いスパンで東京大会で金メダルを獲るためのストーリーをしっかり描いていきたいという藤本選手。

10月9日、ウズベキスタンで行われるワールドカップに日本代表として臨みます。

 

 

次回のゲストは、パラアイスホッケーの安中幹雄選手です。どうぞお楽しみに!

2017年9月4日
柔道・藤本聰選手 (1)

今回のゲストは視覚障害者柔道の藤本聰(ふじもと・さとし)選手です。

 

これまでにパラリンピック5大会に出場し、1996年のアトランタ大会からシドニー、アテネと柔道男子66kg級で3大会連続・金メダル獲得、北京大会では銀メダルに輝き、4大会連続でメダルを獲得しました。
昨年のリオ2016パラリンピックでも銅メダルに輝き、パラリンピック5大会で
5つのメダル獲得という、まさに柔道界のレジェンドです。

 

獲得したメダルはというと・・・リオ大会のメダル(写真一番左)は専用のケースに入っていましたが、あとの4つは、キャラクター柄の巾着袋から出てきました。

徳島県出身の藤本選手は吉本新喜劇仕込みの関西系のノリが体にしみついていて、巾着袋にメダルを入れるのも「講演会の時に、子供たちにウケるんで」と、“笑いをとってなんぼ”だと力説していました。

 

 

5つのメダルの中で一番思い入れがあるのは、リオ大会で獲得した銅メダルだという藤本選手。

4連覇を目指して臨んだ北京大会で銀メダルに終わり、ロンドン大会で再び金メダルを獲得しようと挑みましたが代表選考会で敗れて出場を逃し、怪我により3回の手術を経て、やっとたどり着いた銅メダルでした。

「銅」は「“金”と“同”じ」と書きますが、ほんとにそれくらいの価値がある銅メダルだといいます。

 

銅メダルまでの道のりは、どれだけ自分を信じてやれるかという日々だったそうです。

手首の怪我で手術をして、手術する度にどんどん悪くなって得意技も使えなくなり、高校生や大学生にも投げ飛ばされることも度々ありました。それでも、やっぱりやっておけばよかった…と後悔しないために前を向き続けました。

結果はどうであれ、やり切ったということが大事。それが今でも現役にこだわる理由です。

苦しい絶望感の中、応援してくれている人たちのために恩返しをしたいという一心で掴んだメダルでした。

 

表彰台に上りカメラのフラッシュを浴びた瞬間、「またこの景色を見れた」という安堵感のような感情がこみあげてきました。

宿舎に戻り、翌日の朝目覚めて、ベッドの上でゴロゴロしながら「あぁ、やった。メダル獲れた」と余韻を楽しみ、至福の時を過ごしたそうです。

 

藤本選手にとって、柔道の魅力は『自分で考える楽しさ』。

相手に勝つために、考えて工夫して、わからなければ人に聞く。ちょっとでもいいものを見つけると、たとえそれが高校生でも「いま、どないにやったん?」と聞いて、少しでも自分のプラスにする。100回やったら1回成功するかしないか。時間はかかるけど、できた時の快感はたまらない。それもまた相手に攻略されてしまい、また対策を考える。その繰り返し。だから柔道は面白いし、それが出会いを生む。

人生の中で柔道以上の喜びはない。

とても幸せそうな顔で藤本選手は語ります。

 

リクエスト曲は、ゆず「栄光の架け橋」

歌詞の内容が、自分の人生そのままだと言い、良い時も悪い時もこの曲に励まされました。

この曲は藤本選手の“勝負トレーニング”のテーマソングだそうで、“勝負トレーニング”とは、練習で疲れきってへたりこんだ瞬間にやる『気持ちで攻める』トレーニングのこと。

場面設定は、パラリンピック・決勝戦の延長戦。

「過去の栄光と悔しさを忘れたのか!」トレーナーの言葉が響きます。

北京で4連覇を逃しロンドン大会に出場できず、悔しさの中、8年間味わった地獄のような苦しみ。良いことよりも悪いことの方が多かったけれど、自分を奮い立たせ続けてくれた曲だそうです。

 

次回も引き続き、ゲストは柔道・藤本聰選手です。

アーカイブを見る

鈴木 亮平 すずき りょうへい

出身地:兵庫県
生年月日:1983年3月29日
身長:186cm
最終学歴:東京外国語大学(英語専攻)卒業
特技:英会話(英検1級・米留学経験有)、テーブルマジック、裁縫(洋服リメイク等)

新行 市佳 しんぎょう いちか

1992年11月9日、東京都生まれ秋田県育ち。
2015年4月からニッポン放送アナウンサーに。2015年10月~3月放送の車椅子バスケットボールのラジオ番組のMC起用をきっかけに、各大会・代表合宿等への取材を重ね、人脈と経験を積んだ。この実績から、リオの車椅子バスケ密着のアナウンサーとして現地からレポートした。

坂本 梨紗 さかもと りさ

1989年12月16日生まれ 岐阜県出身/ 元看護師
埼玉県内の総合病院に看護師として2年間勤務し、看護の基礎を学ぶ。その後、特別養護老人ホームや美容クリニックでの看護業務を経験。2014年11月に看護師を辞職し、翌年の1月から3月に行われたニッポン放送主催の「プロフェッショナルアナウンスセミナー」への参加をきっかけに本格的に声の仕事の道を志す。現在、ニッポン放送「垣花正あなたとハッピー!」 金曜日の中継コーナーレポーターを担当。